以下の記事には全く呆れかえった。「英国訪問中の米倉弘昌経団連会長は7日、記者団に対し、菅直人首相がストレステストの方針を示し早期の原発再稼働が絶望的となったことに対し、国民の信頼を裏切る行為で国際的にも影響を及ぼすと激しく非難した。さらに、日本をもり立てようとする企業の協力が真っ向から否定されていると批判し、海外移転がますます加速するのではないかと指摘した。」。なんだこりゃ。福島第一原発の事故を受けて他の原発の安全性のストレステストを実施し、その結果、早期の原発再稼働が絶望的となったことが、何故に、国民の信頼を裏切る行為なのか。ここでいう国民の信頼とは何なのか。経産相が一旦、何の根拠もなしに原発の安全宣言をしたのを撤回したことが裏切りなのか。日本をもり立てようとする企業の協力が真っ向から否定されているとは何?原発を盛り上げるのが日本をもり立てていることになるの。お国のために頑張ってくれている日本企業の海外移転がますます加速するの?すまないなあ。ありがとさん。原発を盛り上げて国民のために頑張ってくれている日本企業さん。行かないで!
湯川秀樹の著作を久しぶりに読む。終戦直後に上梓された「目に見えないもの」は名著と言われる。湯川博士は太平洋戦争中に理化学研究所に所属したはずであるが、何故か戦時中の湯川博士の研究の実体が見えてこない。仁科博士を中心として理化学研究所でマルニ計画と呼ばれる国産原爆開発が進行していたのは有名な話だ。湯川博士が戦後まもなくノーベル賞をとったのは核に関する研究テーマに評価が与えられたからだ。しかし湯川博士の戦時中の核開発との関わりを探るヒントは不思議なことにどこにも見当たらない。
紺暖簾に筆太で「原発一筋」と白抜きしたいくらいの御仁である。この方を最初にお見かけしたのは、昭和63年にチェルノブイリ事故を受けたテレ朝の「朝まで生テレビ」であった。原発推進派と反対派が一堂に会し原発の是非を論じた際に推進派の論客として異彩を放っていた。その人の名は石川迪夫氏。昭和32年に東大工学部を卒業すると、発足間もない日本原子力研究所に入り、爾来、原子力発電一筋の迪(みち)を歩む。一時、北大の教授も歴任したが、福島原発を機に再びマスコミに登場している。昭和63年の朝まで生テレビでは、「東京に原発を」や「危険な話」で売り出し中であった反対派の雄の広瀬隆氏に対し、石川氏は老教授が血気にはやる学生を諫めるように応対し会場の顰蹙をかっていた。石川氏はにこやかにしゃべろうと務めているようだが、目だけは笑っておらず、カメラ目線でないときの表情はすこぶる怖い。そして20年以上が経過した今も原発界の妖怪のようにマスコミに登場している。石川氏は浜岡原発は防潮堤の増設では津波には対応できず非常電源装置の拡充で確実に事故は防げる、また、年間被爆量100ミリシートベルトでも安全であると豪語する。そして現在の福島原発事故のおかれている状況をサイパン島、硫黄島玉砕になぞらえ、後方支援の必要性を強調する。原発事故を戦争と捉えているようだ。戦時中なのだから、政府、東電発表の工程表のようなメソッドは平時モードで生ぬるいと公然と批判し、参議院予算委員会に参考人として招聘され熱弁をふるう。福島原発事故は千年に一度の予期せぬ事故で日本の原発は100年でももつと言う。その発言は確信犯的だ。