年末に一生読みもしなそうな本を大量に購入するという習癖がある。昨年末も吉川弘文堂の国史大系を大量に購入してしまった。しかし、今回は珍しくこれらの本を眺める日々が続いている。真っ先に開いたのが日本三代実録。日本書記から始まる六国史の一史で、清和天皇から光孝天皇までの御世の国史である。西暦で言えば858年から887年まで。この年代で何と言っても大事件は869年に起こった貞観地震である。福島第一原発のメルトダウンに際して、想定外の免責の抗弁に使用された千年に一度の大地震である。津波によるメルトダウンの抗弁が実は津波到達前に電源喪失していた事実が明らかになり、今や説得力を失っているが、貞観地震自体は凄まじいものであったのは間違いない。日本三代実録の該当箇所を引用すると「貞観十一年五月廿六日癸未。陸奥国地大震動。流光如昼隠映。頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆圧死。或地裂埋殆。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落・覆。不知其数。海口哮吼。声似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海数十、千
、百里。浩々不弁其涯。原野道路。惣為滄溟。乗船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉」。原典は漢文で読みづらいが、「海口哮吼」などは、まさしく今回の大震災で目の当たりにした地獄絵図を表している。漢文では意味を正解に把握しずらいので岩波の読み下し文を引用すると、「陸奥国、地大いに震動りて、流光昼の如く陰映す。しばらくのあいだに人民叫び、伏して起つ能はず、或は屋倒れておされ死に、或は地裂けて埋れ死にき。馬牛は驚き奔りて或は相昇り踏む。城郭倉庫、門櫓牆壁のくづれくつがえるものは其の数を知らず。海口(みなと)は哮吼えて、声いかづちに似、なみ湧き上がり、くるめき、みなぎりて忽ちに城下に至り、海を去ること数十百里、浩々としてそのはてをわきまえず、原野も道路もすべてうみとなり、船に乗るにいとまあらず、山に登るも及び難くして、溺れ死ぬる者千ばかり、たからも苗もほとほと残るもの無かりき」 。貞観地震の悲惨で凄まじい様子が生々しく再現されている。その筆力、伝達力は大変なものだ。現代の新聞報道のレトリックを間違いなく凌駕している。貞観地震では大和朝廷の北の拠点の多賀城も被害を受けた。しかし、貞観地震は大和朝廷の東北進出が蝦夷の荒ぶる神の怒りをかい、引き起こされた言えないだろうか。征夷大将軍坂上田村麻呂が東北のまつろわぬ民、蝦夷の討伐に乗り出す計画が立てられたのがちょうど801年。それから日本列島は未曽有の自然災害に苛まれる世紀に突入した。その年である801年には富士山の噴火があり、818年には北関東で大地震、死者多数、830年は出羽国秋田に大地震、841年、伊豆地震、863年越中越後地震。864年には再び富士山大噴火、阿蘇山噴火。そして86年に三陸大地震、いわゆる貞観地震が起こった。宗教学者の山折哲雄さんが今回の大地震を初めは東北地方太平洋沖
大地震と呼んでいたのにいつの間にか東日本大震災と名称変更されたのに憤慨する。どうみても今回の大地震は東北、しかも地震本体よりも巨大津波が未曽有の災害をもたらしたのである。この東日本大震災という名付けこそ、平安時代以降の東北蔑視を象徴していると山折さんは嘆く。東北の地への鎮魂を怠ったとき、災いは日本全土に及ぶであろうことを山折さんは告発している。


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君が代斉唱の際の不起立教員に対する最高裁判決が下った。最高裁の判断は懲戒処分の正当性について限定的で橋下大阪市長が導入をもくろむ条例にも影響を及ぼしそうだ。ところで、国旗や国歌に対する忠誠やはたまた反逆、抗議が国際的に先鋭化していた時代は1960年代終りころから70年代ではなかっただろうか。そのさきがけは1968年のメキシコオリンピックにおいてアメリカの短距離アスリートのトミー・スミスとジョン・カーロスの二人組であった。彼らは200メートル走で金銅メダルをとりながら、メダル授与のため表彰台に向かった際、シューズを履かず黒いソックスを履いてメダルを受け取り、さらにアメリカ国歌が演奏され、星条旗掲揚されている間中、二人は目線を下に外し、頭を垂れ、黒い握り拳を掲げた。この行為で二人はメダルを剥奪されることになった。その後、メダル剥奪には至らなかったもののオリンピックの表彰台で国旗掲揚に無言の抗議をしたのが赤い弾丸と呼ばれた当時のソ連の短距離選手ワレリー・ボルゾフであった。ボルゾフは1972年のミュンヘンオリンピック100メートルの覇者である。戦後、この種目において白人選手が金メダルを手にしたのはボルゾフが最初で最後である。しかし、ボルゾフの優勝は決勝で優勝候補と見られたアメリカ選手2人がなんと競技時間を間違え失格するという前代未聞の椿事があったためのフロックと言われた。しかし、ボルゾフは200メートルでも好タイムで堂々と優勝し、実力を証明したのである。そのときの表彰台においてボルゾフはソ連国旗から目をそらした記憶がある。たしか、解説者がボルゾフはウクライナ人ですからと意味深な発言をした。当時、ソ連内部の民族対立など知る由もなく漠然とした感覚しかなかったが、ソ連崩壊後に合点がいった。ボルゾフが弾丸のように走る姿と表彰台の悲しげな目が忘れられないのである。

新年が明けた。毎年年初には昨年は激動の年だったと呟いている気がするが、平成23年はホンマモンの激動の一年だった。天変地異やアラブの春に代表される変革の実態が不明な革命もあった。あるキャスターが昨年を「崩」の一字で表現していたが卓見である。大震災で大海原が大地が崩壊し、世界的な政治不信や社会的閉塞感が政治システム自体や社会構造を崩壊させた。今年はどうだろう。崩壊した国土や人心を「絆」によって取り戻せるのか。精神科医の名越さんが不吉なことを言っていた。昨年の異変は未だ完結していない。今年はその続きだと。2年セットで何かが起こると。「崩」だけでは完結しない。「壊」が残っている。忍び寄る軍靴の音。閉塞感を打ち破るのは破壊しかないことを過去の歴史が物語っている。


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