大震災からはや一年。復興支援のために何もできていない自分が情けない。絆を強調する特集番組が白々しい。まだ何も終わっていないのだ。東北の冷たい海中に飲み込まれた死者に対する鎮魂は本当に実行されているのか。鎮魂と言えば思いだすのがフランソワ・トリフォー監督の「緑色の部屋」である。死者の肖像や遺品で飾られた「緑色の部屋」で生活する男の死者に対する愛情の物語だ。トリュフォー監督自らが主役を演じた。舞台は1920年代のフランス東部の小さな町。主人公のジュリアンは夭折した妻ジュリーへの愛情を忘れないために彼女の写真や遺品を飾った「緑色の部屋」で家政婦たちとひっそりと暮らしている。ジュリアンは、妻の形見を買い戻すために出かけた競売の場で、セシリアという女性と知り合う。セシリアも死者を大切にする心を持っていて、ジュリアンはセシリアの協力で古い礼拝堂を買い取り、そこを「死者たちの祭壇」とした。しかし、セシリアはジュリアン夫妻の天敵とも言うべきポールの愛人であった。その事実を知り絶望の淵にさまよいこんだジュリアンは衰弱し、ついにはセシリアの待つ祭壇の前で息絶えた。封切りのとき、トリフォー監督はどういうわけかこの映画を日本人に捧げる映画だと言った。トリフォー監督は日本人が死者を大切にする国民だと思っていたようだ。まもなく50才そこそこでトリフォー監督は亡くなったが、監督が今も生きていたら、今回の大震災に対してどのように鎮魂の言葉を述べるのであろうか。


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Christina Perriをネットで始めて聞いたときの興奮は、20年程前に新宿のショットバーでスザンヌ・ヴェガを偶然知ったとき以来だ。彼女の出世作のJar Of Heartsは自身の若いころの失敗を切々と歌いあげた素晴らしい出来映え。エイミー・ワインハウス亡き後、クリスチーナ・ペリーの動向には目を離せない。


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本当に呆れた話だ。というか見え見えの嘘の感もある。原子力災害対策本部など震災関連の10会議で議事録を作っていなかったことが明らかになったと言うのだ。きょうびの事、常識で考えれば会議に参加した誰かがボイスレコーダーに音声データを保存しているはずだろう。あえて会議内容を抹殺すべく筆記も録音もしなかったのか。今朝の日経の春秋も古事記の稗田阿礼を例にとり、この椿事を糾弾していたが、奈良時代や平安時代の為政者や官僚の方が遥にまともで有能であったのは日本書記から始まる六国史の記述から見ても明らかであろう。先のブログで日本三代実録の貞観地震の記述を引用したが、迫真のレトリックは現代の記録者には真似ができないだろう。現代史が1000年後の末裔にどう読まれるのかを考えただけで暗澹たる気分になる。



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