一枚の写真がある。というような出だしは太宰の人間失格だったか。まるで鞍馬天狗のような格好をしているのが、陸奥宗光の若き頃の姿である。陸奥宗光は父の宗広が紀州藩の勘定奉行で、藩の財政改革に腕をふるったが、宗光9歳の時に失脚した。陸奥宗光伝を書いた宗光の係累の岡崎久彦氏によれば、宗光は父の失脚のとき、虎のように荒れ狂い、床の間にあった先祖重代の刀を抜いて家の外に飛び出し、家人がとめても復讐の言葉を繰り返し、手がつけられなかったそうだ。宗光の父は田辺に幽閉され、宗光は失意の中、単身、江戸に向かう。そして勝海舟の海軍塾、坂本龍馬の海援隊を経て、明治政府の外務大臣として、治外法権の撤廃、日清戦争後の下関条約と、日本史の教科書そのものの生涯を送ることになるのである。
さて、冒頭の写真の出所は定かではないが、幕末の勤皇派に属していたころのものであろうか。龍馬暗殺犯は、明光丸と衝突沈没したいろは丸の損害賠償を巡り紀州藩が龍馬に報復したとの説も有力であるが、龍馬暗殺犯を紀州藩の仕業と決め付け、紀州藩の三浦休太郎を襲ったころのものであろうか。まさに幕末のテロリストそのものの姿である。
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