その小説は日曜名作座で確かに聞いた。森繁の抒情的な朗読で聞いた。独身のまま50歳を過ぎた主人公がドブ川の近くの遊廓に夜な夜な通うという話だ。濹東綺譚と似ているようだが違う。うらぶれたロンドンで言えばコックニーという感じだ。しかし、長い間、この小説の著者も題名もどうしても思い出せなかった。記憶の底に深く沈殿していたのである。しかし、本屋で並んでいる本の背表紙をぼやっと眺めていたとき抹香町という題名が甦った。探し求めていたのは川崎長太郎の抹香町という短編であった。抹香町は川崎長太郎の故郷の小田原にある。そもそも、小田原の遊郭は、2つあったという。明治36年に芸者家や料理屋を新玉4丁目に移し集めた「初音新地」とその東側の新玉3丁目に開かれた新開地「抹香町」である。抹香町は戦後もカフェー街として残された。現在は住宅街の中に完全に埋もれているらしい。箱根に行くときは、小田原でぶらぶらするのが習慣なので今度探索してみよう。小川のほとりの粋な街だった面影を、僅かながら感じられる戦後の町並みを見てみたい。
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スー・チーさんがイギリス国会議事堂で外国人女性として初めて演説したという。これを歓迎する向きが極めて多いが、私はミャンマーがイギリスに翻弄された過去の悪夢が再現される気がしてならない。彼女の父親のアウンサンと同様に。かつてビルマの対英独立運動は第一次世界大戦中に始まり、1937年にインドから独立してイギリス連邦内の自治領となった。1942年、アウンサンがビルマ独立義勇軍を率い、日本軍と共に戦いイギリス軍を駆逐し1943年に日本の後押しでバー・モウを元首とするビルマ国が建国された。その後、1944年のインパール作戦の失敗など日本の敗色が濃厚とみるや、アウンサンが指揮するビルマ国民軍は1945年3月、日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。連合軍がビルマを奪回すると、ビルマ国政府は日本に亡命した。しかし、アウンサンは日本軍に勝利したものの、イギリスは独立を許さず、再びイギリス領となった。ようやく1948年にイギリス連邦を離脱し、ビルマ連邦として独立するが、直前の1947年7月19日にアウンサンは暗殺されたのである。ミャンマーは西側諸国がこぞって経済進出を目論んでいるがミャンマー人の幸福につながるのか。欧米流の民主主義の錦の御旗のもとにスー・チーさんが父親のアウンサンと同様に欧米に利用されることがないように祈りたい。


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東日本大震災の際に20世紀最大の被害を出した中国の唐山地震が語られることがなかったのは不思議である。1976年7月28日に中国河北省唐山市付近を震源として発生した直下型地震は唐山市街地を北北東から南南西に走る断層に沿って大きな水平右ずれが発生し、激しい振動によって当時中国有数の工業都市であった唐山市は壊滅状態となった。この地震による死者は公式記録によれば24万人を数え、20世紀最大の被害となった。当時中国は文化大革命の収束期であったものの、政府は「自力で立ち直る」と外国からの援助を断わったため、被害の実態は不明な部分も多い。この唐山大地震をテーマにした張翎の小説を原作とし、唐山地震で引き裂かれた家族の別れと再会を描くドラマ映画が地震からおよそ34年後にあたる2010年7月22日に公開され、アカデミー賞外国語映画部門中国代表作品にもなった。そして、日本においても松竹配給で2011年3月12日から上映される予定だった。ところが奇しくも東日本大震災が発生した3月11日。東京・九段会館大ホールでは、夕方から唐山大地震の映画の試写会が行われる予定だった。しかし、昼に開催されていた行事の最中に本物の地震が発生し、ホールの天井が落下、死者2名を出す惨事となってしまった。何という皮肉であろうか。そのため、当日の試写会はもちろん、その後に予定されていた試写会もすべて中止になった。そして、唐山大地震の映画は、東日本大震災の被災者の心情を察し、結局、日本では公開されなかったのである。もちろん、国内ではDVDやビデオも発売されていない。映画は唐山大地震の悲惨さ迅速な対応の必要性を説いているという。しかし公開の中止の是非は議論されなかった模様である。

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