今年の1月16日、一人の服役者がカリフォルニア州の刑務所で新型コロナウィルスに罹患し、病院で死去した。名前はフィル・スペクター。アメリカの音楽シーンを語る上で忘れてはならないプロデューサーである。スペクターという名前からデイブ・スペクターを連想し、彼がユダヤ系であるとの前知識からWikipediaで調べるとやはりフィルもロシア系アシュケナージであった。

彼はスタジオで多重録音をし重厚なサウンドを作りあげた。なんと言っても最高傑作はロネッツのビーマイベイビー。ミーンストリートの冒頭がよみがえる。

しかし、彼は2003年、女優殺しで禁固19年の刑を言い渡される。一旦、有罪認定が出来ず保釈になったが再度の陪審で有罪になった。真相は闇の中だが、薬物中毒同士のイザコザで偶発的に起こった自殺崩れの可能性が大きい。それにしても、刑期満了の直前にパンデミックにより亡くなったのは彼にとって幸せだったのかどうか。

コロナとの闘いの中で、パンデミックを扱ったカミュのペストが人気とのことである。カミュの名が告げられることは昨今稀であったが、この影響で、10年ほど前に出版された「最初の人間」を久しぶりに手にとった。最初の人間は、カミュが交通事故で急逝した際に携えていたカバンに残っていた原稿を細君が編集した未完の遺作である。カミュの自伝とも言うべき作品で、推敲がされていないことが、かえって瑞々しさを湛えていて、カミュの作品の中で一番好きな小説になった。眩い地中海の海岸に面したアルジェの街の白い建物群が目に浮かぶような情景描写が素晴らしい。テーマはカミュが生まれてすぐに戦死した父親の記憶を探す旅である。父親に死に別れ赤貧の中で母は祖母の実家に同居する。文盲であった母と祖母。中学校に進学するのが困難な状況であったがカミュの才能を見抜いた小学校の恩師の尽力で上級学校に進むことができた。そして若くしてノーベル賞を受賞するが、交通事故で不可解な死をとげる。
なんとこの小説が映画化されていることを初めて知った。早速、TSUTAYAディスカスで借りて観る。筋立ては小説とかなり異なるが、アルジェの街が眩しい。カミュの分身である主人公のコルムリがアルジェリア戦争勃発直前のアルジェに里帰りする。コルムリの少年時代が回想される。幼なじみのアラブ人と再会するがFLNの活動家の息子が死刑判決を受けたので高名なコルムリに何とかしてくれと頼まれる。しかし、ギロチンの処刑を阻止することは出来なかった。
FLNとくれば、アルジェの戦いを見たくなるのは必然である。この映画も40年ぶりに見ることになった。
本年度のタイム誌のパーソンズ・オブ・イヤーには環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんに決まった。このグレタさんに対し、巷間、胡散臭い、誰かに操られているとの声も少なくない。かく言う私もグレタさんは生理的に好きになれない。その理由は容姿かもしれない。女性を外見で論評してしまうオッサン根性である。しかし、グレタさんの目付きは良くない。目が濁って見える。目は心の鏡とはよく言ったものだが、地球温暖化を糾弾する論評は、一方的なイデオロギーを代弁しているように見えてならない。小生などは地球温暖化対策との声は、原発推進派の声とだぶる。