会社は倒産するもの | JetClipper's Bar

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JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

不死の人間はいない。人間は生まれたら、どんなに能力があろうとも、貧富、身分の貴賎、場所に関係なく、必ず死ぬ。

また、人間は必ず間違いを犯す。絶対間違わないという人間は存在しないはずだ。「私は絶対に間違わない」なんてハイリスクな発言をするのは宗教団体の教祖みたいな人位で、間違いは必ず起こる。

この二つはおそらくあまり議論の余地がないと思うのだが、どうだろうか。


では、その間違いを犯す可能性があり、いつか必ず死ぬ人間が作った仕組みが、絶対に壊れたりしないかという問いを立てよう。

私が思うに、間違いを犯すのだから、その仕組みのどこかにエラーが潜んでいる可能性はあるし、人間は自分の関わっていられる時間のことは見えるけど、それ以上先の事は見えないし、コミットメント出来ないのだから、人間の作ったモノや仕組みに永久不滅なんてものは存在しない。


そう考えると、会社なんてものは、潰れて当たり前で、どんな企業であろうと潰してはいけないという発想は、人間というものを良く解っていない、世の中の秩序は変わらないと考えがちな法学部的思考だなと思うのだ。実際、新商品は来年まで売り続けられるものは少ないのだし、美容院や飲食店が3年後も全く同じようにやっているという保証はまずない。

確かに勤めている人や株主、出資者、預金している人、債権者、債務者(意外に忘れられがちだが、その会社に債務を持っている人にも影響はある)にとってはその会社が倒産するという事は、今の現状がずっと続くという世界観からはあってはいけないことだろう。

でも実際、商店街にしても、ロードサイドのコンビニやガソリンスタンドが閉店してもあまり大騒ぎはしないし、ああ、閉店するのも仕方がないなという事を口にするだろう。ところがそれが銀行やちょっと名の知れた会社になると大騒ぎになる。


日本がこれからまだ生き残る為には、駄目な会社は倒産する、破産するという事が当たり前な事として受け入れられる事だと最近思う。
日本では会社が倒産するというと、大事であるかのように大騒ぎする輩もいれば、経営者に個人保証を要求して自殺に追い込むくらいの事が当たり前のようにある。でもそれはおかしい。
株式会社は株主に対して、株主の出資額以上の責任を問うべきではないし、経営者に個人保証を求めるような事はまず改めるべきだろう。経営責任は確かにあるが、それは出資額と明らかに会社に損害を故意に与えた分だけしかない。

きちんと株主や出資者、経営者の有限責任を認める制度の中ではその有限責任以上の責任を問わないという事をまずきっちりとするべきだろう。
雇用の流動化、雇用規制の緩和と同時にそういう経営者や個人事業で有限責任法人で事業をしている人の責任も厳格に限定するべきだ。


そういう面では、政治家はやはりそういう当たり前の事が判っていない。
自見金融担当大臣が、日本振興銀行の破綻について、社外取締役でもない竹中平蔵氏に道義的責任があるのではという馬鹿げた発言をしている。
それをいうならば、粉飾決算の問題があるなかで速やかに金融庁の調査と業務停止をしなかった亀井前大臣の方が政治的・道義的責任があるのではという反論すら出来る。

まあ、民主党・国民新党の頭の程度はあまり期待していないが、低レベルの発言にはげんなりする。