戸籍制度ではフォロー出来ないと思う | JetClipper's Bar

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JetClipperが日頃感じている事をblogにしました。

東京生まれですが、沖縄、多摩ニュータウン、横浜、尼崎、川崎を経て、三鷹市民になりました。

100歳以上の高齢者で既に死亡しているにも関わらず、家族が年金を受け取っていたという事件があり、各自治体が100歳以上の生存の確認に取り掛かっているが、家族の非協力等で完全ではないようだ。

そもそも、戸籍制度自体は日本等東アジア特有の制度。それこそ律令制から続いていると皆思い込んでいるがこれは日本においては誤り。
実際、平安時代以降は完全な把握は困難になり、(つまり律令制が崩壊しているから)太閤検地の後、江戸幕府が作った寺社が管理する人別帳等がほぼ全ての人の把握を可能にした。勿論無宿人という村から出た人もいたのだが、当然こうした人も無宿人の帳簿が存在していたし、過去帳から洗い出す事も可能だったからそういう意味では日本は近代国家に近いシステムを持っていたといえる。

ところが、明治維新でこのシステムは破壊される。廃仏毀釈でこうした寺社が管理していたシステムを長州が破壊して、長州藩が導入していた戸籍制度をそのまま全国に導入した。つまり現在の戸籍制度はなにも律令制から続いているものではなく、江戸時代との連続性もない。

人別帳と同じくどの村が出身かを示す本籍を元に徴兵がなされた。本籍によって東京に住んでいても出身地に戻るという事が行われた。それに墓や本家が地元にあったから、帰省というのが当たり前に行われていた。それに明治・大正とも農民人口は日本の人口の多くを占めていたという事から問題が顕在化しなかった。

敗戦後、日本は徴兵制が無くなった。乳児死亡率が改善し、農家の次三男が地元を出て中卒でも地元を離れていった。核家族化も進み、帰省するという行為や実家に仕送りするという行為もしない世帯が増えてきた。元々その地域で育った人も必ずしも地元に根付いて生活しているとは限らないし、その地元というのも実は単に親の転勤や仕事の都合で来ただけのもの。根付くほど根付いていない。地域コミュニティのつながりは仕事ではなく子供がベースになる母親と子供のコミュニティに限られてきたのではないだろうか。

その顕著な例が私の育った多摩ニュータウンだ。私は幼稚園入園の前年に引っ越してきて、結婚までここで育った。高校卒業の頃から就職し始める友人が出てきて、地方の大学に行く人もいた。大学を卒業すると転勤で地方に行く人も多い。今でも昔と同じところに住んでいる友人はごく一部だ。独身でも多摩ニュータウンではなく別のところに住んでいる。
親同士が仲が良いというケースを除けば、個人的なつながりがない友人の消息は全くわからない。地元に戻れば必ず誰かに会って集まれるという事もない。地域の横のつながりすら、しかも携帯電話やPCを使える若い世代ですらつながりが無いのに、そうでない人が地域での繋がりを持つ事が出来るだろうか。

まして、一億層中流と言っていた時代と違って、同じ会社に勤めていても、同じ地域に住んでいても所得も資産も全く違うという人たちが集まるエリアが出てきた。当然、そうなると同じ地域だからという近所づきあいも希薄になる。特に都市部の公団・公営住宅は地域性を無視して、身寄りのない人を住まわせている。となると当然コミュニケーションが苦手な人にとっては近所づきあいは非常に辛いだろう。

今の戸籍制度は自らの届出がなければ変更する事は不可能に近い。失踪宣告すら時間がかかる。ましてや家族が死んだ事を伏せていればまずわからないだろう。

住基ネットワークで大騒ぎした人たちは、国民総背番号制と反対した。この反対派がこうした年金の不正受給や年金の名寄せを難しくしてしまったという認識があるのだろうか。

アメリカの制度が万能ではないのは承知しているが、社会保障番号で全てを管理するシステムは一考に価すると私は考える。勿論、高コストの住基ネットワークを利用するのではなく、もっと安価なシステムでセキュリティの高いものはいくらでもある。アメリカでは社会保障番号なしでは銀行の口座も開けない。

結局、不正受給だとか脱税だとかそういう不法行為を全て防ぐとなると、何らかの管理システムが必要になる。だからと言って国民全員にICチップを埋め込むかのような方法はいかがなものかと思う。
政府という社会システムとの関係を持つ以上、何らかの個人認証の方法が必要なのではないだろうか。

そう考えると日本の人口統計も本当に正しいのか疑問を持っても良いと思う。
それこそアメリカの国勢調査の方法の方が統計学的には正しいのかもしれないのだが。