JetClipper's Bar next season(仮) -4ページ目

JetClipper's Bar next season(仮)

Si vis pacem, para bellum

私は原発継続拡大派だ。今のところは。

今のところはと留保するのは、これからより安全かつよりクリーンなエネルギーが十分に安価に安定的に供給されればという前提が必要だ。現在の自然に依存する風力・太陽光等はとても安定とは言い難い。脱原発派は瞬間の発電力と1日の供給力と需要は一瞬でも足りないとアウトになるという当たり前の前提を共有できない。だから太陽光パネルがたくさん出来れば原発をリプレイス出来るという幻想を振りまく。これは大きな間違いだ。同様に風力でも同じ。
結局、エネルギー問題の根幹は必要な時に必要なだけのエネルギーが瞬間的に途切れる事もなく安定して供給されるという事。それを超えればある程度の停電が必要なのも現実だ。

また地球温暖化問題にも懐疑的だけど、とりあえず彼らの主張が正しいとすると、火力を強化するのはCO2を増やす事になり、これは地球温暖化の面でも問題だ。いずれにせよ、今の日本の状況は非常によろしくないのだ。

さて、先週末も今週も寒い日が続いている。夏は昼間にピークのくる電力は冬になると夕方にピークがシフトする。当たり前の事だけど、意外に問題になっていない。
先週末で関電も東電も96%まで行ってしまった。後もう少しで大規模な停電に繋がる。東京は関東平野各地で停電が四万件程あって、京浜急行は電車を止めた。もし原発が稼動していればそういう事態が防げた可能性が高い。

さて、東電の最大供給量は実は1割り近くを東北電力等から融通してもらっている。東北電力に頼っているとしたら結局福島や新潟の電力を使わせてもらっているのに等しい。東電の半分程度の供給量しかない中部電力や関西電力は電源周波数が60Hzで変換所も130kw程度しかないから、融通されたとしても2%にも満たない。
東北電力は最大需要でも1300kw程度だから東京電力が融通してもらっている電力量を単純に東北電力から買っているとしたら半分。それくらい余裕がないのだ。
(要するに東京電力が買える他の電力会社の電力を融通してもらっているのだ)


こういう日に大規模なブラックアウトが発生すると、道路の渋滞が酷くなり、対処する人達も現場に駆けつけにくい。寒さに耐えられない人もいるだろう。それ以上に生命維持に電力が必要な患者には自家発電だけでは足りない。
エスカレーターやエレベーターが止まれば交通弱者は大変だ。私もそのひとりだから安易に階段使えと言われれると非常に困惑する。
恐らく死ななくてもいい命が失われるだろうし、重症化しなくて良い人が重症になるだろう。


結局は電力が安定的に安価に供給されれば人は心置きなく医療も何もかも出来る。ところが東日本大震災以降、電力供給が不安定になり、何処かの発電所が止まると危機的な状況になる位の状況。この状況で、原発なしでも電力供給が間に合うと主張する脱原発派は年間4兆円のコストと見合うかどうかをきちんと説明する必要があるのではないか?まあ感情的な屁理屈をたれるだけだろう。
私の本意ではないが、ブラックアウトが起きるといい。それに対して論理的な反論をしてくるのは期待しないけど、こちらとしては今までの説明を繰り返すだけなんだけど。。。

いずれにせよ、脱原発派は詫びて罪を償ってもらわないとという気持ちが私の中には強くある。

三人寄れば文殊の知恵という言葉がある。でも大抵の場合これは間違っている。当事者ではない、責任のない三人の知恵は大抵の場合意味がない。
そういう点では私は一般大衆の民意なんてものが正しいとか正義だとか思ったことはない。

当たり前の話だが、正義かどうかと、民衆の民意の多いものと、科学的な正しさはなんの関係もない。ところが、どうも左の方々とか、頭の弱い方々は民意の多いもの=科学的に正しい=正義という恒等式が成立すると思っているようだ。
正義はひとつではなく複数の正義が存在する以上、イデオロギーや宗教に依存していく。科学的な正しさはこうしたイデオロギーや宗教からの自由が担保されてから初めて成立したという西洋の事例をみればわかる。科学は大抵の人の思い込みとは違う動きをする。福島の原発事故で騒いだデマをばら撒いた人達には是非、威力業務妨害とか偽計業務妨害とかできちんと取り締まって欲しいくらいだ。

本来、国会の議決によって成立した委員会等が民意を問うとかパブリックコメントで政策に良否を決めるというのは本末転倒だ。民意によって選ばれた国会議員では対応できない専門性を求められているのだから、専門家は専門家としての見識で答申・政策立案すればよいのだ。

原子力規制委員会自体がもはや設置法から外れた、既存の原発を新たに設置された原発と同様の設置検査を行い再稼動の審査をするという事をしている事態が大問題なのに、マスコミはそれについては口を拭っている。原子力規制委員会が出来るのは新しい基準策定で、それが出来るまで再稼動できないというのは、法の遡及適用で間違っている。基準が省令なり政令なり、国会の議決なりお墨付きを得た段階で、それからのバックフィットの条件次第だが、基準制定後に検査や新規設置をする原発に順次適用していくのが法治国家の基本だ。

これに対応するのは簡単だ。そもそもの原子力規制委員会設置法自体を廃止すればいい。
この法律自体、菅と枝野が原発が再稼動出来ないように苦肉の策で作り上げた法律で、自民党政権は一度廃止するなり、委員を入れ換えるなり対処すればよかったのだ。

その馬鹿な委員会がパブリックコメントを集めたいらしいが、規模も人員もいない原子力規制委員会とその上部組織ではとても対応できないだろう。そしてそれは反原発の一方的な主張を展開される場所になり、原発推進派の社会的生命を奪う場所になってしまう危険性がある。
どうせ馬鹿な感情論のパブリックコメントを集めたところで、糞な意見の集合体と同じ。そしてその価値は全くない。だったらそんな無意味な事は止めさせるべきだ。


またお笑いだったのは、特定秘密保護法についての有識者委員会で賛成派が反対派よりも多いと毎日新聞が噛み付いていた。
かれらの論理で考えると、いかなる委員会も反対派と賛成派を同数にして議論するのが倫理的道義的に正しいのだろう。でもそれは間違いで、有識者の会議なのだから、糞の民意を集めるのではなく、専門家が専門家としての知識をもって議論してもらえばそれでいいはずだ。
別に国論が割れている訳でもなく、特定秘密保護法案は必要という認識の人は多い。


こういう民意絶対主義とも言えるリベラルの皆さんが必ずしも民意をいつも重視する事はない。彼らが目指す社民主義的なリベラルは民意を必ずしも反映しない。自分達と対立する民意が多かったら陰謀論を唱える。また自分達に都合の悪い民意は操作されていると騒ぐ。

民意で選ぶのは専門家を見抜いたり、政策立案者を選んだり、行政官を選ぶ能力をもつ人物を政治家として国に送り出すための議員だけ。それ以外は民意を聴いても大抵意味がない。
朝日新聞の声の欄に載らない意見が多数派だったときに朝日新聞は民意として記事を変更するだろうか。しないだろう。



NHKの会長や経営委員会のメンバーの発言が放送の中立を保てないとか、公共放送にあるまじき言動とか言っている。特に左翼マスコミの攻撃はねちっこい。

産経新聞のWEB版でこんな記事が。

朝日・毎日への反論(5) NHK新会長慰安婦発言が問題なら、テレ朝とTBSのニュースこそ放送法違反


まあ、ほぼ私の言いたい事を言ってくれているので、余計な事は言わなくても良いかも知れませんが、一応私の考え方も。


そもそもテレビと新聞、雑誌では報道内容について法律と自主規制が存在します。
テレビ局は放送法第一条で次のように要求されています。
第一条  この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。
一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

これが所謂テレビ局の放送が政治的公平と不偏不党の中立原則を明確に示している部分です。

テレビ局の報道はこの中立原則に則って、公正中立、不偏不党で行われなければならないのです。また放送内容についても自主的な規制ではありますが、CMの時間と放送時間の関係や、番組の構成比についても定めがあります。

これがどんなに重いものかという事は所謂テレビ朝日の「椿事件」というものを見てみる必要があります。
これは自民党政権が倒れ、小沢氏らの新党勢力に政権移譲がされる事をテレビ局のニュースで露骨に宣伝した結果でした。当時の報道局長であった椿氏がこうなるように世論誘導を行ったという主旨の講演が産経新聞に取り上げられたことから問題になりました。
放送法の中立義務に違反するという事でテレビ朝日は放送免許の取り消しもありえる状況に追い込まれます。最終的にはそこまで行かなかったのですが、これと、この後にあったあるある大事典で総務省の旧郵政省等が免許取り消しを言い出したのも記憶に新しいところです。


テレビのニュースはこうした中立義務や放送内容について現場レベルでも徹底されますから、言い間違えや誤報や間違って捉えれらる問題については訂正コメントを速やかに出します。

ところか同じメディアグループに属する新聞社はこうした中立原則は存在しないのです。
また新聞広告はテレビとは全く違う自己規制で、新聞の広告欄はそれこそ怪しいサプリメントの広告まで載せられます。スポーツ紙の広告を見ればわかるとおりです。

その新聞より自由なのは雑誌です。
雑誌にせよ新聞にせよ、出版・表現の自由があるので規制する事が出来ないし、所謂業法が存在しないのでどうしようもない自主規制に依存する。


新聞社出身の解説委員は新聞の記事と同じように発言できると思っているだろうが、それは法律の中立義務違反になる。
ところが自分達は新聞というメディアでは何でも言えるからテレビもネットでも同じだと思い込んでいる節がどうもある。


新聞や雑誌に書いてある事の信憑性はかなり疑問があると思わざるを得ない。
そしてそういう人達が出るメディアも同じく信用できるか?
私にはそれはできない。

ネットにいたっては誰がどのサイトで言い出したかはチェックしないと、とてもじゃないけど自分の記憶に残せない。
ならばまだテレビのニュースの方がまだ信用できるはずだ。

勿論この公正中立不偏不党が正しいとは思わない。だいたいどんな考え方にも左右の開きがあり、それぞれの地域の国益もある。当たり前だけど、こうしたニュースは武器を使わない外交と言う名の戦争だ。


では今回の一連の騒動は問題なのか?

NHK側は問題はないと私は考えています。
会長の記者会見でのコメントについては新聞記者側が会長を嵌めたという類のものです。
会長は個人的見解と断ってコメントに応じたにも関わらず、それはNHK会長としての発言だと問題にし、取り消しを申し出たのに、取り消しは出来ないと。
この新聞記者のやり方は悪質ですが古典的なものです。組織とそれを代表する人の間には当然見解の相違も歴史観の違いもあるはずです。こうしたメディアの経営者には彼らの唱える言論の自由はなくて、放送の中立を犯すものなのでしょうか?
私はそう思わないです。叩き上げならまだしも外部からきたパラシュート経営者は番組に対し干渉はしないし出来ない。

また経営委員についても言えて、経営委員が個々の番組編成について口を出してはいけないというルールが存在しているのです。実際一経営委員が干渉したところで現場は無視するだろうし、場合によってはリークなりいろいろな政治力を駆使してその経営委員を排除するのがNHKの政治部のお仕事だから。だから経営委員が中立を監視していたり担保している訳ではなく、経営委員は単に経営についての社外取締役程度の存在でしかないのだ。


それを考えればそういう中立性が担保されていないのにテレビ局側は自分たちは中立であると主張する連中が本当なのかという疑問があります。
最初から不偏不党といわずに、ちゃんと自分の政治的スタンスとか考え方をはっきりさせて、それを標榜した方が遥かに今の世の中としては親切だと思う。その代わりテレビに出るときにはきちんとテレビ側のルールに従って欲しいものです。