今回は私が本格的に大相撲を見るようになったきっかけを作ってくれた大関の話がメインです.
平成20年3月場所を琴欧洲が途中休場したのをたまたま新聞で知っていたのですが,翌5月場所を見てみると絶好調で優勝してしまった,というのがきっかけです.あの場所の琴欧洲はスケールが大きかったですね.あの上背と腕力をいかんなく発揮していました.
朝青龍,白鵬の両横綱や,千代大海,魁皇,同部屋の琴光喜が大関,琴奨菊も三役の常連になっていました.この数年後には結構入れ替わってるんですよね.過渡期といった感じです.
話を戻しますと,平成26年3月場所途中に琴欧洲関は引退されました.自分の中で大相撲の一時代が終わったのです.実際最近では顔と四股名が一致しない若手力士も増えましたし,関取だったのに,知らぬ間に幕下へ陥落してしまっている力士も少なくありません.
最近また若手の台頭がすごいですね.ただ高校や大学出身ばかりなのが時代の流れなんでしょうか,ちょっと偏りすぎているなと感じています.横綱大関陣では照ノ富士以外はみなさん30代になりました.昔だともう引退も近いはずなのです.
(これだけ上位がベテラばかりになってしまうと平成初期の頃のように横綱不在とか起きてもおかしくないんですよ,ただ今の若手には確実に大関になるなという若貴のような存在はいません.そこは協会危惧すべき案件ではないかと個人的には思っていますが,その話はまた今度か永遠にしないようにしましょう.)
くだらない話をしてしまいました.大関時代の琴欧洲ははっきり言って安定はしていなかったように思います.ハラハラさせられる取組ばかりでした.ただ勝つときは力強かった.そんな取組を見る度にまた見たいと感じるのでした.把瑠都戦での大型力士同士の大きな相撲,欧州出身の栃ノ心や阿覧との対戦では,相四つもあってか,格の違いが見られて非常にかっこよかったです.
大関陥落が決まってしまった時も非常に残念でしたが,一番残念だったのは,関脇で10勝を挙げて大関復帰できなかったところでしょうか.あと少しというところまでは来ていました.それだけにね…
これは言っても仕方のないことで,一ファンがどうこう言うべきことではないのでしょうけども,公傷制度の復活を日本相撲協会にはお願いしたいのです.横綱はひと場所から数場所(一般的な話),大関はひと場所,休むことはできます.ただこれだけ力士が大型化していく中で大けがは避けては通れない道だと思います.今のままでは将来ある関取も一回のけがで大きく足踏みしてしまうのではないでしょうか.せめてひと場所でもその地位のまま休むことが出来れば…といつも思っています.
引退を表明されて,その時には何時であっても断髪式には行こうと心に決めていました.土曜日に開催されたので,実際に大学の授業(英語)を休むことにしたのです.一度しかありませんからね.断髪を見るのは初めてではなかったのですが(把瑠都関の時に一度行っている),何人であろうとずっと髷姿で見ていた方が,一般人と同じ髪型に変身するのは不思議なものですね.大相撲をスポーツと言ってしまってよいとは完全には思っていませんが,こんなスポーツはほかにはありませんよね.
鳴戸親方になられましたが,魅せる関取を育てていただきたいです.最後に,力士生活お疲れ様でした.
えーそれでは,この時に東京で撮影した分に関して紹介していきましょうーーー
大阪から新宿まで夜行バスで行きまして,都営新宿線ホームに行ったところ,いきなりこれに出会えました.編成数は少ないということで,幸先のいいスタートになりました.
いくら午前中からはじまると言っても,バスが到着するのは早朝なので,時間があります.そこで西高島平に行ってみました.駅近くのトラックターミナルに角形灯器があるためです.一応敷地内の写真が多いので,ここでは割愛させていただきます.ストリートビューや各交通信号機関連のサイトにてご確認ください.撮影許可につきましては守衛さんに許可は取りました.
西高島平駅近くにて.日信銘板の電材多眼レンズ歩灯です.この製造時期ですと,車灯ではLEDはおろか,薄型が主流になってきている時期です.歩灯はまだ電球式でよいとはんだんされたのでしょうか.この銘板で製造番号がK始まりのものは非常に珍しいと思います.
最後に.デーモン閣下が鋏を入れている場面です.世を忍ぶ仮の姿で国技館に出入りすることは最初はできなかったそうですが,今では土俵にも立てるのですね.時代は変わりました(笑)
今回は非常に長い内容になりましたが,次回以降は画像多めでお伝えしますーーー
撮影日
2014年10月4日
撮影場所
都内
次回予告
西日本ブロック若手オフ