この日はふらふら~っと,靱本町の包丁矢印だけを目当てに家から自転車で出かけてみたのですが思いのほかネタがたくさんあったのでまとめていきます。
まずは朝潮橋駅周辺から撮影を始めました。この頃は無性に鉄板灯器を撮影したかった時期でまず初めに京三製の鉄板灯器から撮影を始めたわけなんですが,なんと普通に見える鉄板灯器がとんでもないネタだったんです。
それではまずは灯器の画像から
関西に設置されているタイプの京三製鉄板灯器です。
次に銘板を
ん?なんも変なとこないやんけ!と思われるでしょう。
製造番号の欄をよく見てください。Tから始まっています!
ここで解説を
京三製作所製の灯器の製造番号はX,Z,Tのいずれから始まります。
X,Zは大阪で,Tは横浜で製造されたものにつけられています。よって大阪ではXまたはZから始まる製造番号であるはずですがこれはどうやら横浜で製造されたもののようです。
横浜工場製造分では通常付いていないレンズまわりの防雨ゴムがあったりとても不思議なところが多い灯器です...
一方縦型の自歩灯はZから始まっています(平成6年12月製造)。
そして上の灯器の対岸には同じ自歩灯が設置されていたのですがなぜか数年前に小糸D型に更新されていました。銘板を確認してみると...
なんと京三製だったんです。
どういう理由で更新されたのかは分かりませんが京三製作所が工事を落札したものの,電球式の指定があり小糸工業からOEM供給を受けたものだと推測します。2010年では京三製作所では電球式信号機の製造が終了していたのでしょう。
そのままみなと通を西区方面へ向かいました。
赤レンズが橙色になっている宇宙人です。
下から見てみると穴が開いてしまっていますね...
銘板を確認したところ昭和年月製造でした。
(この灯器は既に更新されました)
その近くには真っ茶色に錆びた宇宙人も...
九条あたりを通って長堀通へ向かいました。
京三セパです。
大阪府では平成10年頃の一年弱設置されていたようでしてまあまあレアな灯器です。
松下銘板もありますが,こちらも設置された期間はそれほど長くありません。
裏道をすいすい進んで本町駅の方へ行きました。
まだ中央大通には黒塗装されてはいますが昭和40年代の宇宙人や日信初代丸型が残っています。
宇宙人は昭和48年12月製造,日信初代丸型は高架下ということもあって製造年月は解読できませんでしたが,「交通信号灯」銘板で非常に古い灯器です(昭和47年頃と推測)。
そこから西へ向かい靭本町へ
包丁世代の矢印灯器です。昭和52年10月製造で警交仕規欄があります。十三方は矢印を左側に寄せていますが,西成方は両面とも通常の位置に設置されています。
本町通でのんびり走っていたら包丁未遂がある交差点が。
大阪では主道にも包丁未遂が残っていたりします。今回は状態がいいようです。
従道を見てみると...
円弧アームに鉄板灯器が設置されています!?
しかも包丁未遂のアームらしく,末端が1本です。内照式の標示版をつけているのに強度は大丈夫なんでしょうか...
昭和橋西ではヤンキー兄ちゃん歩灯目当てに向かいました。
無事撮影した後矢印灯器を見てみるとなんと3列で,銘板を確認してみると平成10年3月製造と結構昔のLED灯器でした。
九条駅前では包丁の自歩灯が残っていました(昭和49年11月製造)。
包丁穴を利用してコードが引き込まれています。
以上です。他にも個人的にネタだったり単純な収録がありましたがそのあたりは割愛させていただきます。
撮影日 2014年6月1日
場所 大阪市港区,西区,中央区
次回予告
鉄板灯器の親子設置



















