2016年7月17日、岡山の星と太陽の会の方々に赤穂市を案内しました
なんとか雨も降らずに良かったです。
赤穂市には、忠臣蔵以外にも見所があります。
今回は、山登りのないコースを組んで、以下のような場所を案内しました。


①播磨・備前国堺の石碑と恋ノ浜の石碑
播磨と備前の国境です。


②おんびき岩・牛岩
「おんびき」とは大蛙のこと

③金時さんの足跡
小さな石の窪みは、力持ちの金時が四国の高松から瀬戸内海を飛び越えて足をついたところ。

④ノット岩
神功皇后が三韓征伐の帰りに嵐にあったとき、この岩に船を繋いで祝詞を唱えると波が静まった。祝詞岩が転訛してノット岩になった。



⑤おせどの牛岩・馬岩
元は赤穂城の本丸庭園にあり、島津家から浅野家に送られた薩摩石。

⑥伊和都比売(いわつひめ)神社の畳岩と御前岩
伊和都姫が夫を待ちわびで畳岩の上で亡くなったと伝わる。畳岩は干潮のときに渡る事ができ祠が建っていた。海上には御前岩。


⑦弁慶のとめ岩転がり落ちてくる大岩を弁慶が止めて村人を助けた。

⑧大避(おおさけ)神社の神石
坂越三霊石の一つ。大避神社は、秦河勝(はたかわかつ)をご祭神とする神社で、10月に行われる船渡御(ふなとぎょ)祭(国重要無形民俗文化財)で有名。秦河勝は、聖徳太子に重用され、太子が秦河勝にものまねを演じさせたのが猿楽のはじめとされている。世阿弥が記した「風姿花伝」には、秦河勝は赤子のときに壺に入って流れ着き、成人して活躍し、大臣にまで登りつめた後、最後は、うつぼ船に乗って坂越の浦に着いたと書かれている。



⑨生島(いきしま)の飛び付き岩
秦河勝が難波から船出して644年に漂着した場所。生島には秦河勝の墓と伝えられる墳墓がある。

⑩重ね荒神
街道沿いに祀られた塞の神。

⑪有年原(うねはら)田中遺跡公園
弥生時代後期の祭祀方法の始まりを示す古墳として全国的に有名。前方後円墳の祖形といわれている。祭祀土坑や一般の人を葬った木棺直葬跡がある。

⑫有年(うね)考古館



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