2016年4月2日、3日に、「平津豊と行くイワクラツアー」で物部イワクラツアーを行ないました。

1日目は、高知県香美郡物部村に伝えられているいざなぎ流御祈祷神楽を拝見しました。


いざなぎ流は、陰陽道・修験道・仏教・神道などが混淆して成立した民間信仰で、斎藤英喜先生や梅野光興先生方の研究が有名です。
いざなぎ流は、太夫(たゆう)から弟子に膨大な知識を10年以上かけて伝えられ、師子相伝の形で継承されています。弟子になるには、その家系も重要と聞きました。
いざなぎ流には、神社というような祭祀の拠点はなく、太夫は、村の各家に出向いて、祈祷を行います。祓いで舞台を清め、そこに神々を呼び寄せて祭りの成功をお願いし、家や人に付いたスソ(穢れ)を縁切りし、藁で作ったミテグラに集めて、川に流すのが祈祷の大筋です。
このときに呼ぶ神様は各家によって異なり、神様ごとに決められた形を紙で作った「 御弊 」が用いられます。その神様の数が非常に多いのが特徴です。

また、祈祷時に唱えられる祭文(さいもん)も独特です。「山の神の祭文」、「大土公(だいどっくう)の祭文」、「地神(ぢじん)の祭文」、「荒神(こうじん)の祭文」、「恵比寿の祭文」、「水神の祭文」、「呪詛の祭文」、「天神の祭文」などがあり、中でも「いざなぎの祭文」は、この神事の名称にもなっている重要なもので、そこには神事の由来が書かれています。それによると占いの上手な天中姫宮(てんちゅうひめみや)が天竺のいざなぎ様に祈祷を習って帰ったのが始まりとされています。
「地つく、天つく、天、天、天」という太鼓のリズムに合わせて祭文が唱えられ、舞が始まります。東西南北と天の5方向に対して舞うのが1セットで、次々と道具を持ち替えて絶え間なく繰返されます。この舞の中で、人に見られないように密かに「印」を結ぶのだそうです。また、神様を喜ばせるためにアクロバット的な要素も含まれていて楽しめました。神事のあと、舞の体験もさせていただき、いざなぎ流を身体で感じることができました。
人の往来もきびしいこの山奥の村だけで独自に発展し、伝えられてきた神事です。四国には、このように古いものを守り続ける風土があるようです。


2日目は、徳島の明神山のイワクラ見学です。
友人の岡本静雄さんが探求されている山で、人工の痕跡が数多く残っています。
この明神山を岡本さんの案内付きで見学できるのは、大変貴重です。
岡本さんには、このツアーのために下草を刈っていただき、大変お世話になりました。
イワクラ学会の武部正俊さんも合流し、イワクラ学会員が3名も揃った濃いメンバーになりました。
巨大な女陰岩、男根岩、蛇石、亀石、階段石、船石、などなど、オンパレードです。
途中で雨が降り出しましたが、雲の中にそびえる巨石という幻想的な風景に浸っていました。





山を降りた後、八多の立岩神社に立ち寄りました。
立岩神社の立岩は、南に向いた男根岩で、近くにたたら跡のある金山神社があることから、ヤタノカガミを作った天津麻羅(アマツマラ)との関係が深い場所です。

大変、有意義なツアーでした。

(古代史探索家 平津豊)




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