2013年10月13日、巨石交流会のイワクラツアー「大江氏と行く六甲山磐座巡り」が行なわれました。少し肌寒い秋晴れ、磐座を巡るのには、もってこいのお天気です。
阪急六甲駅で集合し、簡単な説明の後、5台の乗用車に分かれて六甲山頂に向います。
まずは、巨石交流会が管理・掃除している六甲山頂の磐座の見学しました。

そのあと、六甲比命神社(ムカツヒメジンジャ)の神域に向います。

心経岩の前でお昼ご飯。
昨日の巨石交流会の講演会に引き続いて参加いただいた方もいらして、20名もの人数になりました。
山の中で食べるお弁当は格別です。

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いよいよ、大江さんの説明が始まりました。
この神域が多聞寺の禁足地であり、非常に大切にされてきた場所であるということです。

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六甲比命大善神の磐座(イワクラ)に着きました。あまりの巨大さに圧倒されます。大江さんの話では、ウサギを表しているのではないかということです。姫の磐座として、なんとも相応しいですね。
私としては、これが人工か自然かの判断に興味があります。造作の跡はあるのですが、あまりに巨大すぎて、判断しにくい状況です。自然岩を利用して形作った磐座ということにしておきます。
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六甲比命神社に礼拝しました。
大江さんによると、この六甲比命こそが瀬織津姫(セオリツヒメ)であり、この場所が墓所ではないかということです。
瀬織津姫とは、ホツマツタエによると天照大神(男神)の正室で、藤原不比等によって古事記、日本書紀から抹殺されてしまった女神です。
くわしいことは、大江さんのブログを見てください。
八上 白兎神社Ⅱと全国神話伝承

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次は、本ツアーの最大の収穫となりました。
大江さんが最近発見した磐座を案内してもらいました。
大江さんによると、瀬織津姫の夫である天照神の磐座ではないかということです。
凄い磐座です。
。瀬織津姫の磐座は自然石を利用したものでしたが、夫である天照の磐座をその近くに造る必要があったため、一から組上げる必要があったのでしょう。小ぶりの岩を一つ一つ丁寧に組上げていることがよくわかります。
この磐座について書かれたものを、いまのところみたことがありません。
大江さんの大発見ではないかと思います。
イワクラ学会の方にも報告しなければと思いました。

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ツアーの皆さんは、興奮しておられるのか、思い思いの楽しみ方をしておられ、収拾がつきません(笑)
仰臥岩の上では、「石が動く」「石が脈打っている」などと、大騒ぎです。
気功に精通されている方々も参加しており、わいわいとやってます。
もちろん、私には何も感じませんでした(笑)
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次は、少し車で移動して、白山姫つまり菊理姫を祀る六甲山神社です。
ここは石の宝殿と呼ばれる社殿で有名です。この社殿は、この後行く越木岩神社の氏子が山の上まで運んだものです。
宮司の了解を得て、普段は立ち入り禁止の石の宝殿のさらに奥を参拝させてもらいました。
ここには、六甲山大権現とならんで八代竜王大神と龍王姫全神の石碑があります。大江さんによると天照大神と瀬織津姫であろうということです。
ここでは、六甲山神社の磐座を見学します。
登山道から外れているため、この磐座もあまり有名ではありません。
六甲山神社の本体は、こちらで石の宝殿はそのカモフラージュでしょう。
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この時点で予定時間は、1時間も大幅に超過していて、関東から参加されている方もいたため、最後の越木岩に行くグループと駅まで向うグループに分けようかと相談しましたが、皆さんツアーを続ける方を望んだので、全員で越木岩に向いました。

越木岩神社では、飯森宮司さんのご好意で、集会室を使わせていただき、そこでお話を聞きことになりました。
磐座をご神体として祀られている珍しい神社だけあって、磐座崇拝が本来の神社の形であるとのお考えです。
また私たちに合わせて、いん石を用いてのデモンストレーションも面白かったです。

震災で崩れた北の磐座を、なぜ元のままの形に修復しなかったと質問すると、飛鳥建設に頼むと1000万円以上かかることになり、当時は社殿の方もつぶれていて余裕がなかったこと、レプリカとして修復するよりも、修復したことがわかるように修復したことを説明していただきました。
残念がっている人が多いと伝えると、古代遺跡研究所の中島和子さんからも叱られたとのことです。
その後、時間がないのでツアーのみなさんは、神社の甑岩の見学を行ないます。

大江さんと私は、宮司さんと甑岩の御祭神についてお話を続けました。
一般的には、南の磐座(甑岩)にイチキシマ姫、北の磐座にワカヒルメ姫を祀っているといわれるが、男根を模った磐座に姫を結びつけるのはおかしいと意見すると、飯森宮司もよくわからないとのこと、一方、池田仁三氏によって甑岩の前の岩をコンピュータ解析で「稚日女命宮 御年四十七歳」と書かれていることがわかったが、神社が墓所となると都合が悪いので、取り上げていないとのことでした。
これは、南の磐座がワカヒメ、北の磐座がオモイカネとする大江さんの考えと合っているし、磐座の形態としても女陰をワカヒルメ、男根をオモイカネとするには合致しています。
しかし、そもそも2世紀に渡来した漢字で書かれていることと磐座の年代とは合わないので後づけなのは明らかなんです。
大江さんは既にブログで、このあたりのことは考察されていて、藤原氏の捏造と結論付けています。

大江さんのブログ

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写真は、宮司さんから見せていただいた古文書です。
昔は、この越木岩神社が西大国主神社と呼ばれていた証拠です。

現在、西大国主神社は、西宮神社の境内にありますが、かなりの軋轢があったようです。
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今回のツアーは、ここで解散となりました。
初心者には有名な磐座を、ベテランには新しく発見された磐座を紹介できて、良いツアーができたと思います。
10月12日の講演会、13日の磐座ツアーともに大成功だったのではと思います。
これからも、みなさん巨石交流会の応援をよろしくお願いします。

ちなみに私のホームページはこちらです。
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