近頃周りが騒がしい~♪
結婚する~とかしないとか♪
さて。
5月も最後の日を迎え、もうすぐ6月。
6月ということは、直美さんもうすぐ誕生日を迎えます。
久しぶりにだらだらと最近思うことを書いてみようかと思います。
あと3日でわたし、27歳になります。
27かぁーと思うと、確かに複雑な気持ち。笑
三十路まであと3年。
世で言ういわゆるアラサーの仲間入り?w
弟の友達にまで、「お姉さん結婚してないの?」とか言われる年です。
(余計なお世話だっつーの!w)
でも、
結婚考えないの?と言われれば嘘になるというのはほんと。
でも
わたしって、実際つくづく強い女だなぁと思う。
まぁそんなに悪い奥さんにはならないと思うんだけれど、
ものすごく強い信念を持って生きていて、神様への愛には朝から晩まで余念がないし、
なんとなくいろいろと自己完結してるところあるし、
はっきり言って、わたしみたいのをあえて妻に選ぼうと思う人ってなかなかいないよなぁと今はつくづく思う。
仕事をするならベストパートナーになれる自信はあるけどね。
たぶん、男性が自分の奥さんに求めることに関しては、
全く自信がないなぁというのが本音。
でも、わたしは今までの人生に後悔はないし、
やっぱり今後の人生においても、神様のために
他にだれも引き受ける人がいない仕事ができるようになりたいと思う。
それがたとえ、トイレ掃除であっても・・・w
とりあえず、この人生に生き甲斐を感じれば感じるほど、
結婚そのもは遠のいていくような気がするな・・・w
でも今、惠泉塾に関わり、ヴィタポートの仕事を与えられて、
朝から晩までここまで徹底した信仰生活を送っていて初めて、
等身大になれた自分がいると思う。一日の充実感はハンパない。
もっと楽すればいいじゃん・・・ て自分であきれるときもあるけど。w
もちろんわたしは、
この生き方、この人生に、たくさんの人を招きたいと思う。
人間にはこんな幸いな超充実した人生が用意されているんだよ!!
と、声を大にして叫びたい思いは今もある。
でも、
そのためには本当に大きな覚悟がいる。
自分の人生を本気で失う覚悟。
それは聖書に一貫して書かれてある祝福の条件。
自分の幸せよりも、神のために、隣人の生活を支え、
隣人の苦しみを引き受けていくことに、本当の人間の幸いを見出すことができなければ、
全く理解できない世界。
なんのためにそこまでするの?
と聞かれたら、
神様のため・・・
としか答えようがない世界だから。
でも、自分を犠牲にして初めて知る「幸い」の感覚は、
わたしたちが普通イメージする「幸い」とあまりに違うものだった。
そんな無責任に伝えられる福音ではないと、今はすごく厳粛な思いでいる。
ただ、
その幸いを共有できる人がいれば…と願う気持ちがないとは言わない。
もしこういう人生に招かれたいと思う人がいるなら、
わたしはもろ手を広げてその魂を歓迎したい。
そのためにわたしはありとあらゆる協力を惜しまない。
でも、聖書が「狭き門」という表現を使う意味は、
決して誇張表現でもなければ、漠然とした象徴表現でもない。
その名の通り、この道は「狭き門」なのだと今は思う。
じゃあ
この狭き門に入ったものはえらいのか???
NON!!!!
決してそうではない。
この狭き門に入った者こそ、
門の外にいる万人に奴隷のごとく命を懸けて仕える者になる。
そして、世界が主にあって一つとなることをこそ願うのだから、
狭き門は決して人間の勲章にはなりえない。
イエスキリストがたった一人で全人類を救ったように、
たった一人の存在を通して世界はひとつとなりうるのだから・・・
神はいつでも、そのたった一人を求めてさまよい歩いている。
とはいえ、当初、私自身も奴隷の内実をよく知らなかったのはほんと。
この道に入ってかから一体何度
「こんなはずじゃなかった!!!???」
と思って逃げ出そうとしたことか・・・
だけど、振り返ってみれば、、
聖書に書いてあることにどれだけ嘘がないか。
約束がいかに真実で、旧約の初めから今日に至るまで、
神の命令の本質が一貫して変わらない永遠性を持っているか・・・
をまざまざと知った4年間だったと思う。
そこには妥協も言い訳もへったくれもない。
ただ、聖書に書いてあることは一言一句「真実」であると、
ただそれだけがわかってきたという他には何もない。
唾を吐きかけられ、茨の冠をかぶせられ、
槍でわき腹をつつかれたとしても、
その人の救い願い、己の命を惜しまず差し出す愛を目指す。
しかも、それは縁もゆかりもない一兵士のためのそれ・・・
とりあえず、
わたしはいま、そういう生き方を目指している。
だから結婚は、
今は本当に考えていない。
目指すもの目指して一直線に突っ走ってきたら、
こんなところに来てしまいました・・・という感じ。
残念・・・な気もするけど、今はそのことに誇らしさを感じる。
多くの夫婦のために、悩む若者、子供たちのために、
未来の日本のために、心を尽くして働く者でありたい。
きれいごとでなく、そのためには働き人がいる。
時間も報酬も何も求めずにただ時間をささげる働き人がいる。
自分に家庭があるからこそできることもあるけれど、
自分に家庭がないからこそできることもある。
誰かがやらなきゃいけないなら、それがわたしの役割であってもいいと思う。
お金なんて、必要な分だけあればいい。
食べるものがなくなったら死ねばいい。
神がわたしを必要とするなら、わたしは絶対に死なない。
少しでも神様の役に立てるなら、
その一端でも担うことが許されるなら、
わたしの人生はそれでいいと今は心から思う。
でももし、この信仰を貫く先に、
この重荷を共に担うべく、供えられてある伴侶があるならば、
わたしは命を懸けて、その人に仕える妻になろうと思う。
主にあって、多くの人たちに、幸いあれ。
今も昔も、本当にそれだけがわたしの願いだったりする。
一粒の麦、地に落ちて死なずば・・・
神は全地をあまねくみそなわして言われた。
「だれかいないか・・・」
「・・・はい主よ。わたしがここにおります。
どうか、お言葉どおりのこの身になりますように。」
結婚する~とかしないとか♪
さて。
5月も最後の日を迎え、もうすぐ6月。
6月ということは、直美さんもうすぐ誕生日を迎えます。
久しぶりにだらだらと最近思うことを書いてみようかと思います。
あと3日でわたし、27歳になります。
27かぁーと思うと、確かに複雑な気持ち。笑
三十路まであと3年。
世で言ういわゆるアラサーの仲間入り?w
弟の友達にまで、「お姉さん結婚してないの?」とか言われる年です。
(余計なお世話だっつーの!w)
でも、
結婚考えないの?と言われれば嘘になるというのはほんと。
でも
わたしって、実際つくづく強い女だなぁと思う。
まぁそんなに悪い奥さんにはならないと思うんだけれど、
ものすごく強い信念を持って生きていて、神様への愛には朝から晩まで余念がないし、
なんとなくいろいろと自己完結してるところあるし、
はっきり言って、わたしみたいのをあえて妻に選ぼうと思う人ってなかなかいないよなぁと今はつくづく思う。
仕事をするならベストパートナーになれる自信はあるけどね。
たぶん、男性が自分の奥さんに求めることに関しては、
全く自信がないなぁというのが本音。
でも、わたしは今までの人生に後悔はないし、
やっぱり今後の人生においても、神様のために
他にだれも引き受ける人がいない仕事ができるようになりたいと思う。
それがたとえ、トイレ掃除であっても・・・w
とりあえず、この人生に生き甲斐を感じれば感じるほど、
結婚そのもは遠のいていくような気がするな・・・w
でも今、惠泉塾に関わり、ヴィタポートの仕事を与えられて、
朝から晩までここまで徹底した信仰生活を送っていて初めて、
等身大になれた自分がいると思う。一日の充実感はハンパない。
もっと楽すればいいじゃん・・・ て自分であきれるときもあるけど。w
もちろんわたしは、
この生き方、この人生に、たくさんの人を招きたいと思う。
人間にはこんな幸いな超充実した人生が用意されているんだよ!!
と、声を大にして叫びたい思いは今もある。
でも、
そのためには本当に大きな覚悟がいる。
自分の人生を本気で失う覚悟。
それは聖書に一貫して書かれてある祝福の条件。
自分の幸せよりも、神のために、隣人の生活を支え、
隣人の苦しみを引き受けていくことに、本当の人間の幸いを見出すことができなければ、
全く理解できない世界。
なんのためにそこまでするの?
と聞かれたら、
神様のため・・・
としか答えようがない世界だから。
でも、自分を犠牲にして初めて知る「幸い」の感覚は、
わたしたちが普通イメージする「幸い」とあまりに違うものだった。
そんな無責任に伝えられる福音ではないと、今はすごく厳粛な思いでいる。
ただ、
その幸いを共有できる人がいれば…と願う気持ちがないとは言わない。
もしこういう人生に招かれたいと思う人がいるなら、
わたしはもろ手を広げてその魂を歓迎したい。
そのためにわたしはありとあらゆる協力を惜しまない。
でも、聖書が「狭き門」という表現を使う意味は、
決して誇張表現でもなければ、漠然とした象徴表現でもない。
その名の通り、この道は「狭き門」なのだと今は思う。
じゃあ
この狭き門に入ったものはえらいのか???
NON!!!!
決してそうではない。
この狭き門に入った者こそ、
門の外にいる万人に奴隷のごとく命を懸けて仕える者になる。
そして、世界が主にあって一つとなることをこそ願うのだから、
狭き門は決して人間の勲章にはなりえない。
イエスキリストがたった一人で全人類を救ったように、
たった一人の存在を通して世界はひとつとなりうるのだから・・・
神はいつでも、そのたった一人を求めてさまよい歩いている。
とはいえ、当初、私自身も奴隷の内実をよく知らなかったのはほんと。
この道に入ってかから一体何度
「こんなはずじゃなかった!!!???」
と思って逃げ出そうとしたことか・・・
だけど、振り返ってみれば、、
聖書に書いてあることにどれだけ嘘がないか。
約束がいかに真実で、旧約の初めから今日に至るまで、
神の命令の本質が一貫して変わらない永遠性を持っているか・・・
をまざまざと知った4年間だったと思う。
そこには妥協も言い訳もへったくれもない。
ただ、聖書に書いてあることは一言一句「真実」であると、
ただそれだけがわかってきたという他には何もない。
唾を吐きかけられ、茨の冠をかぶせられ、
槍でわき腹をつつかれたとしても、
その人の救い願い、己の命を惜しまず差し出す愛を目指す。
しかも、それは縁もゆかりもない一兵士のためのそれ・・・
とりあえず、
わたしはいま、そういう生き方を目指している。
だから結婚は、
今は本当に考えていない。
目指すもの目指して一直線に突っ走ってきたら、
こんなところに来てしまいました・・・という感じ。
残念・・・な気もするけど、今はそのことに誇らしさを感じる。
多くの夫婦のために、悩む若者、子供たちのために、
未来の日本のために、心を尽くして働く者でありたい。
きれいごとでなく、そのためには働き人がいる。
時間も報酬も何も求めずにただ時間をささげる働き人がいる。
自分に家庭があるからこそできることもあるけれど、
自分に家庭がないからこそできることもある。
誰かがやらなきゃいけないなら、それがわたしの役割であってもいいと思う。
お金なんて、必要な分だけあればいい。
食べるものがなくなったら死ねばいい。
神がわたしを必要とするなら、わたしは絶対に死なない。
少しでも神様の役に立てるなら、
その一端でも担うことが許されるなら、
わたしの人生はそれでいいと今は心から思う。
でももし、この信仰を貫く先に、
この重荷を共に担うべく、供えられてある伴侶があるならば、
わたしは命を懸けて、その人に仕える妻になろうと思う。
主にあって、多くの人たちに、幸いあれ。
今も昔も、本当にそれだけがわたしの願いだったりする。
一粒の麦、地に落ちて死なずば・・・
神は全地をあまねくみそなわして言われた。
「だれかいないか・・・」
「・・・はい主よ。わたしがここにおります。
どうか、お言葉どおりのこの身になりますように。」



