イースター2024 神の生け贄、万歳! | 世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

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「自由なお塩」の日記。
愛するジーザスとの歩みを綴ります!「聖書」は日々を生きるエッセンス!

毎年変わるイースター・復活祭の日。今年は明日3月31日。「春分の日」のすぐ後の「最初の満月」から数えて初の日曜日となる。

 

さて、いきなり書くのは【人身御供】という言葉!古代、世界中どこにでも人を「生け贄」にする宗教や風習があった。

 

旧約聖書によると、ユダヤ教の神はユダヤ民族から人身御供の習慣を絶つために、「子羊」を生け贄として祭壇に捧げ殺すことを命じた。

 

キリスト教のイースターはユダヤ教の「過越し」の祭りと関連がある。「過越祭」とはユダヤ教の宗教的記念日。古代エジプトで奴隷になっていたユダヤの民が、モーゼの先導でパレスチナの地に脱出した事を記念する。

 

戸口に殺した子羊の血を塗って、印をつける事で災いを免れ、エジプトから脱出することが出来た祝いだ。現在もイスラエルではその祭が盛大に行われ、家族が一堂に集まり、犠牲を象徴する焼いた羊肉を食べる風習があると言う。

 

イエスが死んだ十字架刑と3日後の復活は、約2000年前の「過越祭」の最中の出来事だった!

 

生け贄は、人間に一番大切な物をささげる行為自体に意味があった。でも、生け贄は神の要望ではなく、あくまでも人間の勝手に作りだした「誠意」の表現だったかもしれない。命は何よりも大切なものだから、それを差し出すことが最高の誠意だと思っていたのだろう。

 

でも神は、生け贄など望んではいないのに…。

 

犠牲…自分の大切なもの、健康や体の一部、大切な人や、大切な物やお金を手渡すことを余儀なくされること…そんな経験は長い人生の中、誰でもあることだろう。

 

神への犠牲…涙や痛みを伴いながら、手を差し伸べて自分の大切なものを神に与えなければいけない事が、時に起こりえる。でも、その犠牲を差し出した人は後で、きっとその報いにあずかって、周りの人への優しさや強さを必ず持てるように神様は私たちを祝福してくださる!

 

そう、神は本当に生け贄など望んでおられず、反対に、実は神自身が生け贄を私達に与えてくれていた!神は一番大切な自分の【独り子】を人間のために捧げられたと聖書は伝えている!

 

他の誰かのために大切な自分の子どもの命を捧げたりする、愚かな人は存在しない。なのに神はそれをした。

 

私たちは自分のしたいことを通すとき、他の人を傷つけたり、裏切ったりして、誰かの望みを壊すことがある罪ある存在だ。状況が状況なら、人から奪い、身体を傷つけ、戦い、殺すこともあり得る。

 

そんな私達のすべての罪を償うために、神様は自分の息子が罰を受けるよう息子イエスを差し出した!イエスを私たちの【身代わり】にして極刑の十字架で処刑させ死なせた。

 

けれども死よりも強いという神の力の証明のために3日後、イエスに肉体的な復活を遂げさせた。

 

彼は生贄、神の子羊なのだ!神の生け贄をこのようにして祝う!それがイースターの本当の意味であるという!

 

私達は今までのすべての過ちを償おうと思っても、どんなに多くの犠牲を払い、自分の行いによって支払おうとしても、代価があまりに大きすぎて誰も支払うことはできない!イエスにしかできない!

 

だから神ご自身が、その御子イエス・キリストを惜しまないであなたのために死に渡された。

 

【神はそのひとり子を賜ったほどにこの世を愛してくださった。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。】新約聖書の言葉

 

そんなイエスに自分の心を開いて、この小さな祈りを祈ってほしい!

「イエスよ、私の心に入ってください!」

 

イースター・エッグは3日後に甦ったイエスが、死の殻を突き破った事で「新しい命」を象徴している!

 

転んでも起き上がろう!その度にこのように神が与えてくれたことを思い出し、その度、復活して新しい自分となり歩んでいこう!

 

写真は無料画像から、イースター万歳!!