イースター前の嘆きとうめき2024 | 世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

「自由なお塩」の日記。
愛するジーザスとの歩みを綴ります!「聖書」は日々を生きるエッセンス!

大部屋に入院中の友人を見舞って、昔、若い時、入院中の祖母が語った言葉を思い出した。「しんどいんよ。隣に人がいると思うと、痛みにうめきたくともうめけない!」

 

その後すぐに罹ったインフルエンザで高熱に苦しんだ夜、私は自分の部屋で一人、祖母を想ってうめいてみた。うめいてみても何も変らないとわかっていたけど、うめかずにはおれなかった。

 

嘆きは誰かに聞いてもらうものだが、うめきは隠れた処で一人行うもの!他の人には人知れず行うもの。そう、誰もがうめきを発した夜があるだろう。

 

うめきと言えば聖書にある言葉で最初、聞いた時は「変でしょう!うめくのは我々人間であって神様の方ではない。これ変!」と思った言葉があった。

 

【神の霊もまた同じように、弱いわたしたしちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、神の霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。】新約聖書の言葉

 

確かに苦痛に胸がつぶれると、どう祈れば分からなくなる。その中で、神自身が切なるうめきをもって祈り、その祈りを聞いてくださるという逆転現象が起こっているのだ!

 

代わりに、うめきの中に私達の想い全てを込めて、神の御前に届けさせてくださると。

 

うめき…、こうも約束されている。

【哀れな者のすすり泣きと、 貧しい者のうめきゆえに、今こそ、わたし(神)は立ち上がり、おびやかされた者を安全なところに置こう。】

 

 

さて、私の英語教室に日曜学校に通う小学3年生の男子がいる。イエス様をこよなく愛する私達は同志だ。

 

「今日は先生、なんか顔が哀しそう!」と言ってくれたので、先日、古い友人が亡くなったことでつい「神様に友達を生きさせてくれって祈ったのに聞いてくれなかった!『神様のアホ!神様のクソッタレ!』て怒ったけど、それって駄目かね?」なんて言うと…

 

「イエス様も同じだったよ。十字架で『なんで私をお見捨てになったのですか?』って言ったじゃない。」と言ってくれた。たった9歳がそこまで理解していることに驚嘆し、諭された!

 

死に至る激痛と仲間身内に見捨てられ愚弄嘲笑される中、誰も十字架から下ろしてくれる者はいない…。その中で発せられた言葉!イエスはそこを通ったから、私の嘆きも全て理解してくださる。

 

次の日曜31日は、今年2024年のイースターだ。イースターはイエスが十字架刑で死に、3日後に蘇ったとされるキリスト教のお祭りだ。

 

2000年前ユダヤの地でイエスは、罪深い我々全人類への愛ゆえに、その罪を贖うために身代わりとなって、罰である十字架刑を受けて死んだが、3日後にその体は蘇ったとされる。その「復活」の事実が聖書に残る。

 

復活。思い通りにいかなくても、苦悩や困難がどれだけ激しくても、耐え忍ぶなら必ず報われる。すべては共に働いて私達の益となる!イエスの復活が約束しているから!

 

イエスの復活が生活の有様を変えるわけでなく、依然として鍛錬と犠牲とが私たちを待ち受けているけど、それでもイースターの事実が、鍛錬を受け入れ、犠牲を払うための力を与えてくれる。

 

嘆いてもいい!うめいてもいい。イエスはあなたの嘆きもうめきも聞いてくれている!そして復活してくれた!

 

暖かい陽の光、これ以上の勝利があろうか。