友達いっしょにいよう! | 世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

「自由なお塩」の日記。
愛するジーザスとの歩みを綴ります!「聖書」は日々を生きるエッセンス!

今回の台風10号の被害も甚大になった。
天災に加え人災も凄まじい日本。
埼玉県東松山市で起こった少年殺人事件も、胸が潰れた!
去年の川崎で起こった中1男子の殺人事件も同様、
拳を握りしめた人も少なくないだろう!

今日の読売新聞のコラム「編集手帳」

「…川柳作家の時実新子さんに一句ある。

【死ぬために ただ死ぬために 蝉生まれ】

小さな虫の、はかない命をいとしむまなざしが優しい。
ましてや人間である。
生きるためにただ生き生きと生きるために
生まれてきた人間である。
殴られ、アザだらけの全裸で溺死した君たちの仲間は。」

こうくくられている。


十代、誰もが多感な時間、一番大切なものは友達だろう。
こんなふうにして仲間に裏切られ、死んでいく若者たち。
理解されたくても受け入れられず、死を選ぶ子どもたち。

昨日、話した9月1日が誕生日の青年は、
夏休みが始まるその日は、中高生の自殺が一番多い日なんだよ
と、教えてくれた。


さて、この歳になると
高校や学生時代の同窓会や集まりが多くなるというもの。
いろんな理由にかこつけて可能なら出かけているが、
そのたびに、かつての仲間達が、
味わい深く、豊かで楽しくなっていて、
互いを受け入れて、昔のことは水に流し…、
一緒にいて気楽に感じさせてくれる貴重な存在だとしみじみ思う。


先日も、一人が、
「みんなが、こんなに良い人たちだなんて
当時は知らなかったよ!」と笑って言った!

時間が経つというのは、こういうことなのだろうと思う。


話しが変わるが、
私が聖書のどこが一番好きかというと…それは、
イエスが血と肉をまとって、
この地上を友と共に歩かれたということ!


御子なる神であるイエスは、一人の女性から生まれ、
人間としての生涯を生きられた。


彼のとった行動、言葉、人生は、
神がどのような方であるかを表す、
目に見えるものとなったと、聖書に描写されている。


沢山の笑顔と思愛やりの溢れた言葉、
きさくで親しみやすく、一緒にいたいと思わせる存在。


究極の愛、深い憐れみ、理解や恵み、
また悪への憎しみ、不義や偽善への怒り、
貧しい人や弱い人たちを利用することへの怒り
そのすべては私たち人間に理解できるよう
表現された神の性質だった。


聖なる人であったけども、
当時の貧しい人たちや罪人に近い、彼らの友だった。


弟子たちとは24時間行動を共にしていたから、
同じ釜の飯を食ったから、
あんたら弟子をもう弟子と呼ばず、友と呼ぶよと宣言された!


近く行動を共にし、また苦労を分かち合えば合うほど、
親しくなり、互いを守りたくなる。


人間の友人関係ならここまでは言えなくても、
神なら言える。

「体を張ってアンタを守る!
アンタのためなら死んでもいい!」と。


私達の利己的さから生まれる
人間のすべての罪を許すため
身代わりとなって十字架で死んでくれたイエス。

そうさせたイエスの愛と自主性は、
こんな私達と共に歩いた友情から生まれたもので、
もしかしたら、神側から見た、また
神側が感じるその友情の深さは
私達人間が想像できる以上の、または理解できないぐらいの
深さであり、貴重なものかもしれない!


そして姿が見えない今でも、
イエスは私達の心の中に住み、
私達という友とずっと一緒にいたいと思っていると
聖書は教えてくれている。


「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて(心の)戸を開けるなら、
わたしは、彼のところに入って、
彼とともに食事をし、かれもわたしとともに食事をする。」
黙示録3章20節

食事を共にするとは、関係をさらに築くということ!


なにかによって繋がれた縁を、長く育んでいきたい。


向こうに行った若者達にも、
天国でそんな出会いが多々あるようにと祈る。


(素朴な写真は無料画像から)