神は何不自由ない生活をしている! | 世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

世界が「聖書」を読んでいるのに、私も読まずにおれようか!

「自由なお塩」の日記。
愛するジーザスとの歩みを綴ります!「聖書」は日々を生きるエッセンス!

暑いので、本を読んで家籠り。


ある人々によって世界は操作されているという陰謀説は、
私にとっては面白いテーマ!
でも、それが本当ならそんな奴らによって、
人生を棒に振りたくはないが…。(;´Д`)ノ


とにかく、八月は、戦争や貧困、搾取、
世界、歴史を通して起こった理不尽な事について
考えるにはもってこいの季節!

地上で苦痛を強いられる人たちのことを、
神はどれだけ分かっているのだろう? 


クリスチャン的なこんな話がある。

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『神は何不自由ない生活をしている?』


神の御座の前に広がる大きな草原に、
何十億もの人たちがいた。
彼らは地上での一生を終えて、
神によって裁かれるのを待っていたのだ。


前の方の一団が、熱っぽく議論を始めた。
人生を振り返って反省するどころか、けんか腰だった。


「どうして、神にわれわれが裁けるのか?」と一人が言った。


「神は苦しみを経験したことがあるの?」
 別の女性が苦々しく答えた。
袖をまくると、手首には
ナチスの収容所で受けた番号の入れ墨があった。
「私たちは、殴打され、拷問されて、恐怖と死を味わったのよ!」


別の一団にいた黒人は、「これを見ろよ」と言って、
えりをぐいと下げた。
縛り首のロープの跡が痛々しかった。
「ただ肌が黒いってだけで、リンチされたのさ! 
家族から引き離され、奴隷船に押し込まれ、
『死によって解放されるまで』こき使われたんだ」


見渡す限りのこの広大な草原に、
似たような体験をした人たちの集団が何百もあった。


神から授かった人生なのに、
苦悩や苦痛を味わうのを神が許された。


涙も恐れも飢えも憎しみもない天国に住んでいられる神は、
なんと運がいいことかと!


確かに、地上で苦痛を強いられる人たちのことを、
神はどれだけ 理解しているのだろう? 


「だって、神は何不自由ない生活をしているのだからな」と
彼らは口々に言った。


そこで人々は、自分たちの中から最も悲惨な目にあった人を
一人ずつ代表者として選んだ。


そのグループは、ユダヤ人や黒人、インドの最下層民たちや、
広島の原爆犠牲者、シベリアの強制収容所で死んだ人、
その他もろもろである。


その広い草原の中央で、代表者たちは額を寄せ合った。

ついに、 神への「申し立て」が決まった。
単純な内容だった。


神の御座では、すべての人間が裁かれるという。

それなら、神が自分たちを裁く資格を得るには、
まず神も、
自分たちと同じ苦難を通らなくてはならない、という事だ。


「『神が人として地上での人生を送る刑』を受けるのが正しい」
という結論に達したのだ。


しかし、自分を助ようとして
全能の力を使うことがないようにとの条件も設けた。

以下が、その刑だ。


●ユダヤ人として生まれること!
(歴史を通してユダヤ人は迫害されてきた)


●その出生の背景が疑わしいこと!


●革新的な信念と正義の闘士となること。
それゆえに憎しみを買い、非難され、
あらゆる主流宗教や宗教体制から命を狙われること!


●誰も、見たり感じたり味わったり
聞いたり嗅いだりしたことがないものを伝えようとすること!


●最も近い友に裏切られること!


●ぬれぎぬを着せられて裁判にかけられること。
偏見に満ちた陪審員によって裁かれ、
臆病な裁判官に判決を下されること!


●孤独感にさいなまれ、
誰からも完全に捨てられたと思うような状況におかれること!


●拷問を受け、殺されること! 
他の犯罪者と共に、最も屈辱的な死を味わうこと!



代表者たちが決定事項を一つ読み上げるたびに、
群衆の間から大きな歓声が上がった。

しかし、全文が読み終えられると、
長い沈黙があった。
つぶやき一つ聞かれず、
人々はその場に立ちつくしていた。


皆、その時気づいたのだ。
神はすでに、その刑を全うしていたことを!

―作者不詳 
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『神は何不自由ない生活をしている』「輝くひととき」より抜粋、一部編集



その刑をすでに終えていたって、どういうこと?


神様はすでに、
自分の子どもイエスを、この世界に送って、
その通りの同じ目に遭わされていたということだ!


でも、だから、それらの人々に
その許しを帳消しにしてくれって事ではない!


イエスは、私たち人間の全ての思いを知るために
その身に肉をまとって
この世界に人間として来たという!
それを、神の「受肉」という。


屈辱と激痛と敗北と死を味わった人!

でも、死よりも強い神の力を示すために
3日後に甦った!


イエスが私達を愛するために、この世界に来て
私たちの全ての罪の身代わりとなって
十字架で死んでくれた。


その愛を知り、彼を心に受け入れるなら、
死んだ後も永遠の命を得て、
彼と共に「平和」の内に居ることが出来る!


神はこの世界が理不尽であれども、
必ずそのようにすると、聖書に約束されている。


「神はその一人を賜ったほどに
この世を愛してくださった。
それは御子を信じる者が一人も滅ばないで、
永遠の命を得るためである。」
(新約聖書、ヨハネによる福音書3章16節)



そして、生きているこの世界でも、
たとえ、これから何に翻弄されても、
神との堅いつながりがあれば、
力強く進んでいける!


神がそうされた!
私たち人間を愛してくれてるから!!
大事なのはそれらをまず知ること!


歴史は誰かの人生ドラマ。
なぜ、こんなことが起こるのか?
神様に自分一人で対峙して、
いろいろ考え悩むためにあるんだと思う。


いろいろ考えるためには、まず知ることが大切、
それは歴史も聖書も同じ!