主の心と一つになる | 僕の日記

僕の日記

イエス様が大好きな中島豊です。
神様に教えられている聖書の御言葉と
神様のみわざを綴っていけたらと願っています。

 

10/1 (月)民数記25:13

 

主の心と一つになる

 

これは、彼とその後の子孫にとって永遠にわたる祭司職の契約となる。

それは、彼が神のねたみを自分のものとし、イスラエルの子らのために宥めを行ったからである。

 

神様はアロンの子孫にわたるピネハスに、神様の平和の契約を与えた。

それは、ピネハスと、ピネハスの子孫にとって、永遠にわたる祭司職の契約となり、

その祭司職は、イエスにより僕らにも与えられた。そして僕らにも、神様の平安の契約を与えられた。

それは、ピネハスが神様の妬みを自分のものとし、イスラエルの子らのために宥めを行ったからだった。

アロンの孫のピネハスは、神様の妬みを自分のねたみとした。それは、淫らな事、偶像礼拝を憎む事。

主を畏れるとは、悪を憎む事なんだ。

 

主を恐れることは悪を憎むこと。

わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとをいう口を憎む。

箴言8:13

 

 

 

イスラエルはシティムにとどまっていたが、民はモアブの娘たちと淫らなことをし始めた。

その娘たちが、自分たちの神々のいけにえの食事に民を招くと、民は食し、娘たちの神々を拝んだ。

こうしてイスラエルはバアル・ぺオルとくびきをともにした。

すると、主の怒りがイスラエルに対して燃え上がった。

民数記25:1-3

 

神様は、淫らな行い、偶像礼拝を忌み嫌う。そして、その罪は死に値し、神様の怒りが燃え上がる。

神様はそのような罪を犯した者をさらし者にするようにとモーセに語った。

そして、モーセはバアル・ぺオルとくびきをともにした者を殺すように命じ、ピネハスがある男と女を殺した。

 

この主の罰で死んだ者は、二万4千人であった。

民数記25:9

 

ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。

貪欲は偶像礼拝です。これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。

コロサイ3:5,6

 

 

僕は昔、万引きをしていて、日曜日になると十戒という聖書のルールを教会で読むのだけれど

そこに「盗んではならない」と書いてあって、それを毎週教会に行き読むたび心が痛くてたまらなかった。

罪があると地獄に行くと聞いたことがあって、僕は地獄に行かなきゃいけないんだと思って毎日恐怖に怯えていた。

罪のゆえに僕は死に、地獄に行く存在だった。

だけど、そんな時、お父さんから聖書の言葉を聞いた。

もし今まで犯した罪があったら、それを神様に告白したら、神様は赦してくれるよって。

それで、その時に心の中で神様に叫んだ、「神様、勇気をください」って。

そしたら、今まで万引きしてきたことをお父さんと神様に話せた。

その瞬間涙が溢れてきて、鳥肌が立って、僕の心の中にあったぽっかり空いていた黒い穴が消えた。

その時イエス様が僕の罪を赦すために十字架で死んでくださったことを知って、

イエス様のために生きて行きたいと思った。

 

僕が死ななきゃいけないのに、イエス様が死に、罪を背負ってくださった。

そして神様は僕を赦し、平和の契約を与え、祭司としてくれた。

 

これは、わたしにはノアの日のようだ。

ノアの洪水が、再び地にやって来ることはないと、わたしは誓った。

そのように、わたしはあなたを怒らず、あなたを責めないと、わたしは誓う。

たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実の愛はあなたから移らず、

わたしの平和の契約は動かない。ーあなたをあわれむ方、主は言われる。

イザヤ54:9,10

 

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。

第一ペテロ2:9

 

神様は罪に対して、旧約では神様の聖さを示したけれど、新約ではイエスを通して愛を示された。

神様は罪を忌み嫌うが、神様は本当に人々を愛し、赦される。それが、神様。

 

御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。

第一ヨハネ1:7

 

もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、

私たちをすべての不義からきよめてくださいます。

第一ヨハネ1:9

 

 

私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなた方が罪を犯さないようになるためです。

しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。

この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体のための宥めのささげ物です。

第一ヨハネ2:1,2

 

 

神様は、僕が罪を本当に忌み嫌い、イエス様のように罪を犯す人に対して、愛で罪を覆ってほしいと願っておられる。

 

神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。

第一テサロニケ4:3

 

何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。

Ⅰペテロ 4:8

 

罪のゆえにイエス様は命を捧げ、僕らの罪を覆った。そのように、

神様は僕らに、悪をする者のために祈り、善を行い、平和を作る神の子として

命を捧げて愛し、罪を愛で覆う生き方をして欲しいと願ってくれてる。

 

自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

マタイ5:44

 

平和をつくる者は幸いです。

その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。

マタイ5:9

 

 

 

 

 

このことをよく知っておきなさい。

淫らな者、汚れた者、貪る者は偶像礼拝者であって、こういう者はだれも、

キリストと神の御国を受け継ぐことができません。

だれにもむなしい言葉でだまされてはいけません。

こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順の子らに下るのです。

エペソ5:5,6

 

主よ、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、貪欲を殺させてください、

主よあなたによって、イエスの御名で祈りますアーメン。

そうしてくださること感謝します。そして、神様がこれらのことを妬むように、

僕らもこれらを自分のねたみにする、そのような者に造り変えてください

イエスの御名で祈りますアーメン、そうしてくださること感謝します、

 

 

そのように歩ませていただくことで、僕らは、神様と心が全く一つになる。

そして、神様と心が一つの人に、神様は御力を現す。

 

 

主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、

その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。

第二歴代誌16:9

 

 

神様と心が全く一つになるものとしてくださいイエスの御名で祈りますアーメン。

御心にかなう願いを叶え、そうしてくださる主に感謝します。

 

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、

これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。

私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、

私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。

第一ヨハネ5:14,15

 

 

神様と全く心一つになるとは、悪を忌み嫌い、愛を追い求めることだ。

主を畏れることは、悪を憎むことであり、高ぶり、おごり、悪の道、ねじれごとを言う口を憎む。

 

主を恐れることは悪を憎むこと。

わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとをいう口を憎む。

箴言8:13

 

主よ、高ぶり、おごり、悪の道、ねじれごとを憎む者に聖霊様、

私を造り変えてくださいイエスの名で求めます。アーメン。

そうしてくださること感謝します。

 

ですから、愛されている子どもらしく、神に倣う者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストも私たちを愛して、私たちのために、ご自分を神へのささげ物、

またいけにえとし、芳ばしい香りを献げてくださいました。

エペソ5:1,2

 

 

愛を追い求め、迫害する者のために祈り、愛を示し、愛でそむきの罪を覆う者としてくださいますように。

罪をおかしている人がいても、柔和な心で正し、優しくへりくだり、恐れつつ、あなたのように、

その人を愛し、裁かないで、仕えさせてくださいますように。

そしてあなたの、十字架の愛に倣う者に造り変えてくださいますように。キリストに倣い、愛のうちに歩み、

キリストのように他の人を愛して、他の人のために、自分を神様への捧げ物いけにえとし、

芳ばしい香りを捧げる者としてください、イエスの御名で祈りますアーメン。

聖霊様がそのように造り変えてくださること感謝します。

 

私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、

栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。

これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

第二コリント3:18

 

 

 

具体的に、愛を示すとは何か考えたら、僕にとっては苦手な人のため、ちょい難しい人のために祈り愛することだと思った。

二人の人が心に思い浮かんで、僕は、祈られていたり、御言葉やメッセージカードをもらうと嬉しいので、あとドーナツやチョコとかのツイーツも!笑 そのようにして愛を示すことを神様に願われている気がしてやってみたら、その二人からの反応が、ありがとう!って言ってくれて、充足感を感じた。御言葉に聞き、御言葉を行うと心が満たされる感じがする。

 

愛するゆえに、イエス様は自分を捧げて愛してくださった。

僕も愛するゆえ、自分を捧げて生きたい。

そのような者と造り変え、生かしてくださいますように、イエスの御名で祈りますアーメン。

 

 

私はこう確信しています。

死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後にくるものも、

力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、

そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、

私たちを引き離すことはできません。

ローマ8:38,39

 

 

キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、

良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、

私たちのためにご自分を捧げられたのです。

テトス2:14

 

 

このブログを読んでくださった方に、神様の恵みと愛と祝福と平安が満ち満ち満ち溢れますように。

イエスの御名で祈りますアーメン!