III.神のしもべの封印 (7:1-17)

A. 地の風を押さえる天使たち (7:1)

黙示録 7:1 で、ヨハネは「地の四隅に立つ四人の天使が、地の四方の風を押さえ、地にも海にも、どんな木にも風が吹かないようにしている」のを見ました。

文字通り地球に風が吹かなくなる想像以上の異常気象が起きるでしょう。風がなくなればすべての木々も植物も根を張ることに力を失い、容易に倒され、海の波も消えて海中の海藻や魚が酸欠で全滅、食物連鎖も破壊されて全滅に向かいます。   

さらに、風は戦争の旋風を意味し、神は戦争を担当する天使たちに、福音を説くすべての人々の額に封印されるまで戦争を中止するよう命じました (2-3 節を参照)。聖霊の封印。今日、私たちがイエスへの信仰と救いに引き寄せられるのは、目に見えない封印によって行われます。その日には、神がしもべたちの額に封印することは、すべての人に見えるでしょう。後に悪魔は額や手に666の数字がある者にも封印します。

B. 艱難時代に封印される福音の説教者(7:2-8)

神のしもべの封印は、天使が太陽の昇るところから昇ってきて封印を始めるところから始まります。それが起こる前に、キリスト教徒はすでに天国にいて、地上の出来事を見ています!

1. 封印された者たちは皆ユダヤ人

封印された者たちは、艱難時代の前半に神の残りの民を解放する福音の説教者たちです。さらに、4-8節には、彼らは皆ユダヤ人であり、イスラエルの子らのすべての部族から144,000人いると書かれています。なぜダン族が省かれ、代わりにマナセ族が含まれていたのでしょうか。それには明確な理由があります。

第一列王記12:25-30には、北イスラエル王国で偶像崇拝がどのように行われたかが記されています。最初の王ヤロブアムは、2体の金の子牛を作り、1体をダンに、もう1体をエフライムの山地ベテルに置きました。ダン族とエフライム族は両方とも子牛を崇拝しました。神は以前、他の神々に仕える者たちの名前を天の下から消し去るとおっしゃっていました(申命記12:25-30参照)。29:18-20)


申29:18 「万が一にも、あなたがたのうちに、きょう、その心が私たちの神、主を離れて、これらの異邦の民の神々に行って、仕えるような、男や女、氏族や部族があってはならない。あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。29:19 こののろいの誓いのことばを聞いたとき、「潤ったものも渇いたものもひとしく滅びるのであれば、私は自分のかたくなな心のままに歩いても、私には平和がある」と心の中で自分を祝福する者があるなら、29:20 主はその者を決して赦そうとはされない。むしろ、主の怒りとねたみが、その者に対して燃え上がり、この書にしるされたすべてののろいの誓いがその者の上にのしかかり、主は、その者の名を天の下から消し去ってしまう。」

 

そのため、イスラエルの12部族のリストからダンの名前が省かれ、代わりにヨセフの長子であるマナセの部族が選ばれました。


Ⅰ列王12:25 「ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。12:27 この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。12:31 それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。12:32 そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。12:33 彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」

2. 144,000という数字についての誤った解釈

今日、144,000という数字を使って異端のエホバの証人は人々を騙しています。144,000人だけが天国に行くと言っているのです。しかし、もしそれが本当なら、その数字はすでに限界に達しており、残りの者には希望がないことになります。

3. 144,000: 残りの魂を集める僕たち

144,000 人は、艱難時代の前半に残りの魂を集める神のユダヤ人の僕たちです。

なぜ神は彼らをその目的のために選んだのでしょうか?
最初に福音を説いたのはユダヤ人でした。聖書を記録したのもユダヤ人でした。そこで、私たちの主が再び、神の王国を完成させる者として選ばれた人々にユダヤ人を使うのは当然のことです。この 144,000 人のユダヤ人は、神がエリヤの時代に信仰を守った 7,000 人の人々と似ています。彼らはバアルにひざまずかず、最後まで神への信仰を守りました。終末時代のユダヤ人は、イエス キリストを救世主として受け入れます。神は艱難時代の前半に、彼らを至る所で福音の教えを説き、彼らを神の民として受け入れます。

 

C. 救われる大勢の人々 (7:9-14)

144,000 人のユダヤ人の説教者たちは、命を犠牲にしてでも熱心に福音を伝え、すべての国と民族から救われる人々の数は数え切れないほどです。ヨハネが見たように、彼らは「白い衣をまとい、手にしゅろの枝を持って、玉座と小羊の前に立っていました」(9 節)。

長老の一人がヨハネに言いました。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」(14 節)。

彼らの白い衣は、彼らがイエス・キリストの尊い血によって清められたことの証拠であり、彼らが手に持つしゅろの枝は、彼らが反キリストと苦難を克服したことのしるしです。 しかし、黙示録6章で見たように、殉教者たちは祭壇の下に平伏していました。したがって、玉座の周りに立っていたこの大群衆は殉教を経たわけではありません。

私たちにとって重要な点は、イエスの尊い血に頼る人々は、艱難の最中でも救われるということです。私たちはキリストのために熱心に証ししなければなりません。たとえ今は信じなくても、144,000人の説教者たちの勧めによって信じて天国に行くかもしれません。

時が近づいていますので、福音の種を忠実に蒔きましょう。人々が今信じなくても落胆しないでください。ただ種を蒔いてください。イエスはそれを成長させ、イエスが教会のために来られた後でも多くの人が救われるでしょう。

D. 救われる大群衆(7:15-17)

艱難時代の冠


神が聖徒たちの間に住まわれるときが来ます。

 

黙7:15 「だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。」

 

またこれらの人々は非常に多くの飢えと渇きを経験したので、神は彼らにこれ以上の苦しみを与えることはありません。聖書はまた、彼らがこれ以上苦しむことはないとも言っています。このことから、彼らがこの反キリストからどれほどの苦しみを受けているか想像できます。

 

黙7:17 「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」