泉パウロ 純福音立川教会 - YouTube

 

私たちが繁栄を生み出すためには、それが実現したときの姿を、具体的に"心のスクリーン"に描いていなければなりません。そして成功にふさわしい考え方をしなければなりません。
 思いの中に将来を創造し、心の中に「まだ見ていない事実」を、見るのです。聖書は言っています。
 「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである」(ヘブ一一・一)
 「事実」とは、ふつう"すでに起きたこと"をいいます。しかしまだ起きておらず、"まだ見ていないこと"を、「事実」として「確認すること」が信仰なのです。
 東京の町田市に、幼稚園から大学院までを擁する総合学園「玉川学園」があります。創立者は、知育・徳育・体育の調和を説く「全人教育論」で知られる、クリスチャンの小原国芳師です。
 小原師は大学時代に、美しい"一枚の学校の絵"を描きました。その絵は今日でも残っています。簡単なスケッチですが、絵の下には「理想の学校」と記されています。


 絵の学校は、きわめてオープンな学校です。正門はありますが、扉はありません。塀も柵もありません。ただ、入口近くには美しい池があります。学校全体は、小高い丘の上に建てられていて、多くの緑におおわれています。門からみて左側の丘には白い校舎があり、右側の丘の上には、礼拝堂と十字架が見えます。初めてこの絵を見た人は誰でも、玉川学園を、「写生したものだ」と思うでしょう。正門から見た光景に、あまりにもよく似ているからです。ところがこの絵は、まだ学園の影も形もないときに、描かれたものなのです。それは玉川学園建設の、数十年前に描かれました。まだ学園の土地が、誰も住んでいない丘陵地帯で、一面の緑だった時でした。しかもそれは、師が、無一文の学生だった時に描いたものなのです。

 

 師は当時、学校の建設資金も、協力者も持っていませんでした。しかしその心にはビジョンがありました。夢があったのです。
 師の"思い"の中には、将来自分が建設する学園の青写真が、すでにできていました。
 イエス様の「五千人の給食」が奇跡であるなら、こうしたこともまた、奇跡の一種ではないでしょうかい。人間は思いの中に将来を見るとき、神の祝福があるなら、その思はやがて現実化するのです。
 私たちも何か事をなそうとするなら、"思い"の中に、将来を先取りしていなければなりません。"心のスクリーン"に、将来の姿をしっかり焼きつけていなければならないのです。
 あなたが何かをなそうとしているなら、あなたの仕事が完成されるまでの各段階を、あなたの心のスクリーンに、"ドキュメンタリー映画"のように具体的に描くことです。あなたにそれができた時、成功の半分は、すでにあなたの手中にあるのです。

 

救世軍は、一九世紀にロンドンにいる多くの浮浪者を救うことを目的として、始まりました。ブースは彼らに、キリストの福音を伝えるだけでなく、今日の食物にも事欠く彼らに、物質的な援助もしたいと願ったのです。
 もともと彼に、沢山のお金があったわけではありません。食物があり余るほどあったわけではありません。
 しかし彼の意図に賛同した多くの人々の援助によって、その事業は次第に拡大していき、やがて世界的な大事業になりました。
 救世軍は、命令系統に軍隊組織を採用していますが、武器には、「キリストの福音」と「愛」をとりました。彼らは多方面の公共事業に進出し、貧しい人々の救済や医療、婦人の社会的進出などにも大きく寄与しました。
 救世軍は日本でも、「社会鍋」(歳末募金)や病院建設などで、知られています。その影響は、数えきれないほど多くの人々に及びました。
 救世軍は、なぜこのように、世界的な大事業を展開することができたのでしょうか。その理由は、"主が増やし、私たちが働く"原則を実践したのです。

 

聖書の言葉通りイエス様が、私たちの罪の身代わり十字架にかかり血を流して死なれました。イエス様は、墓に葬られましたが、三日目に、復活されました。イエス・キリストは、2千年経過した今も生きておられ、世の終わりに、もう一度この世界に戻って来られます。もし、あなたがイエス様を信じて信仰を働かせれば、奇蹟は起きます。無から有が生じます。信じれば、真理のためなら何でもできます。

罪を悔い改めるなら罪がゆるされて、死後、地獄ではなく祝福された天国に移されます。あなたが、心からイエス様を信じるなら、神様は守られます。永遠の命が与えられ、あなたの将来には希望があります!次のように祈ってみて下さい。神様は本当に生きておられます。祈りと聖書で聖霊様の満たしを体験できます。

 

「天の父なる神様。私のすべての罪をゆるして下さい。イエス様が、十字架で私の罪の身代わりとなって死んでくださったことを感謝します。復活したイエス様、私の心の中にお入りください。イエス・キリストの名前によって祈ります。アーメン」

 

地獄の話

 

穴の中には、男の人のたましいがあり、骸骨の形の中に覆われていて、イエス様に大声で叫んでいました。彼は叫びました。「主よ、どうして私がここにいるのか私に理解させてください」イエス様は言われました。「黙りなさい、口をつぐみなさい。あなたはなぜここにいるのか、理解しています」「私を出してください、良い人になりますから」と、その男の人は懇願しました。主は彼に言われました。「地獄の中でさえあなたはまだうそを言っています」イエス様は私の方を向いて言われました。「この男性がここに来たのは彼が二三歳の時でした。彼は私の福音に耳を傾けようとはしませんでした。彼は幾度も聖書の私のことばを聞き、私の家である教会にもしばしば通っていました。私は彼を私の霊によって救いへと引き寄せましたが、彼は世と世の欲望とを求めました。彼は飲酒を好み、私の呼びかけに注意を払おうとしませんでした。彼は教会の中で育てられましたが、自分を私にゆだねようとしませんでした。ある日、彼は私に言いました。「イエス様、私はいつかは私の人生をあなたにささげます。」しかしその日は決して来ませんでした。ある夜、パーティーの後で、彼は交通事故にあって死にました。サタンは彼をまさに終わりまでだましたのです」「彼は即死でした。彼は私の呼びかけにはどうしても聞こうとしませんでした。他の人々もその事故で死にました。サタンの働きは、殺し、盗み、滅ぼすことです。この若者が、もし耳を傾けてさえいたのなら!だれであれ人が滅びることは父の願っておられることではありません。サタンはこの男性のたましいを求め、不注意や罪や強い飲酒を通してそれを滅ぼしたのです。毎年多くの家庭や命が、アルコールのために滅ぼされているのです」

もしあなたが主イエス様のもとに来るなら、彼はあなたを強い飲酒から救ってくださいます。イエス様を呼び求めなさい。そうすれば彼はあなたに聞き、あなたを助けてくださいます。彼はあなたの友となってくださいます。覚えていてください。彼はあなたを愛しておられ、あなたの罪を赦す力をも持っておられることを。