見つめる力と御言葉

 

フランシス・ウィラードは、1839年、ニューヨーク州の教師の家系に生まれました。彼女の最も初期の記憶は、家の食堂の壁に掛けられていた鉄製の版画でした。

「その小さな絵の中心には、優しそうな女性と明るく幸せな禁酒を守る家族が描かれており、一方それと向かい合ったところには、酒瓶を手に持ち、酔っ払ってふらついている男性と、もの寂しく不潔な家が描かれていました。無意識のうちに、私は消し去ることのできない一つの教訓を学んだのです。」と、ウィラードは語っています。


ウィラードは、ノースウェスタン女子大学で学び、母校で教授となります。同時に、禁酒運動を始めますが、大学が合併すると、彼女の方法は、大学や男子学生には受け入れられず、辞職することになりました。その後も禁酒運動を始めようとしますが、その資金もなく、母の世話をする必要もありました。

 

そんな頃、滞在していたホテルに備えられていた聖書を開くと、「主に信頼して善を行え。そうすればあなたはこの国に住んで、安きを得る」(詩篇37:3 口語訳)とあり、それが彼女にとって転機となり、信仰が確立しました。間もなくウィラードは同じ日に二通の手紙を受け取ります。

 

一つは、ニューヨーク市にある若い女性のための格式高い学校の「学長」への招へいの手紙で、もう一つは、シカゴの「青少年禁酒同盟」の会長となってほしい、という要請でした。それも資金などない団体でしたが、強い信仰に支えられていました。彼女はただちに、学長となる申し出を断り、シカゴへと向かいました。


禁酒運動を続けると、ウィラードは大酒と不道徳が言わば「結合双生児」であることを学びました。そして、社会には、アルコール飲料に対し本能的に強く反対する層が存在していることも分かりました。この層とは、飲酒を好まない女性たちです。この女性の真心から出た神聖な光と力を社会に注ぎたいと、ウィラードは、各地にあったクリスチャン女性禁酒会を組織化し、世界クリスチャン女性禁酒会(世界矯風会)を創設したのです。その使命は、平和と純潔、家庭の保護と意気揚々のため、世界的に母性愛を組織化することでした。

 

ウィラードは会長職にあった期間、全米、人口一万人以上の全ての町で講演し、当時の歴代大統領に会い、ビクトリア女王にも紹介されました。当時、世界の人にとってワシントンやリンカーンよりも著名な米国人だと言われたほどです。クリスチャン教師の家に育った恵みを受け、信仰により世界禁酒会創立への道を切り開きました。