Ⅱテモ3:12 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。

イサクは柔和な人でペリシテ人からねたまれて繰り返し迫害、窃取さえましたが、争わず、自分から他の場所へ移動して、他の祝福を求めました。

 

創26:12 イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。26:13 こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった。26:14 彼が羊の群れや、牛の群れ、それに多くのしもべたちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。26:15 それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。

 

今の時代も人は変わらず、繁栄するとき、ねたまれないよう配慮が必要です。ペリシテ人のように他人の祝福を盗み取る悪しき者から守られるよう、神様に祈り、警戒しなければなりません。

 

創26:18 イサクは、彼の父アブラハムの時代に掘ってあった井戸を、再び掘った。それらはペリシテ人がアブラハムの死後、ふさいでいたものである。イサクは、父がそれらにつけていた名と同じ名をそれらにつけた。26:19 イサクのしもべたちが谷間を掘っているとき、そこに湧き水の出る井戸を見つけた。26:20 ところが、ゲラルの羊飼いたちは「この水はわれわれのものだ」と言って、イサクの羊飼いたちと争った。それでイサクはその井戸の名をエセク(争い)と呼んだ。それは彼らがイサクと争ったからである。26:21 しもべたちは、もう一つの井戸を掘った。ところが、それについても彼らが争ったので、その名をシテナ(敵意)と呼んだ。26:22 イサクはそこから移って、ほかの井戸を掘った。その井戸については争いがなかったので、その名をレホボテ(広い場所)と呼んだ。そして彼は言った。「今や、主は私たちに広い所を与えて、私たちがこの地でふえるようにしてくださった。」

 

26:32 イサクのしもべたちが帰って来て、彼らが掘り当てた井戸のことについて彼に告げて言った。「私どもは水を見つけました。」26:33 そこで彼は、その井戸をシブアと呼んだ。それゆえ、その町の名は、今日に至るまで、ベエル・シェバ(誓いの井戸)という。

 

イサクの対応は、イエス様が後に語られたように優れた大人対応でした。奪い取る悪人ペリシテに無条件で争わないで与えるという大胆な行動です。

 

ルカ6:29上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。

 

損したようでもイサクは神様の祝福を受けて、新たな井戸を2つ掘りあてました。それだけでなく、柔和で争わない人格者イサクは親子三代のなかでも一番長寿でした。

アブラハム175歳。ヤコブ147歳。イサク180歳。

 

マタ5:5「柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。」とイエス様が言われた通り、井戸という地を受け継いだ柔和なイサクでした。

 

 

赦し 

 

マハトマ・ガンジーは言いました。

「弱い者は赦すことができない。赦しとは強い者の性質なのである。」

 

ネルソン・マンデラ。彼は、ロッベン島での27年間にも及ぶ投獄生活の末、1990年に釈放されて、苦難を強いられた怒りを表さず「報復ではなく、和解を」と宣言しました。厳しいアパルトヘイト人種差別政策を推し進めた南アフリカの白人政権との闘争を終わらせ、“自由・赦し・和解”を訴えたことで世界中から尊敬を集め続けました。

 

人々は、70歳で出所した彼がとても衰弱した姿を見せるのではないかと予想しましたが、彼は健康そうなたくましい姿で登場したので、人々を驚かせました。記者がその秘訣を尋ねると、ネルソン・マンデラは次のように答えました。

 

「私は刑務所で、常に神様に感謝し続けました。空を見上げては感謝し、地面を見ながら感謝し、水を飲みながらも、食事をしながらも、さらには強制労働をさせられた時も感謝しました。どんな時も感謝していたからこそ、こうして健康を維持することができました。」

 

93年にマンデラはノーベル平和賞を受賞し、人種差別撤廃に向けた運動が世界的に認知され、94年、南アフリカの黒人大統領になったのです。彼は就任演説に際し、自分の魂と自分の祖国を癒すためには許しが必要と考え、その印として自分を監禁した人たちに最前列の席を用意し、その後の政策でも白人に復讐しなかったのです。 

 

黄金律  何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。(マタイ7:12)

互いへの尊敬 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:3)

相手に期待しすぎない 善のみ行って罪を犯さないような人間は この地上にはいない。(コリ7:20)

自分も完璧ではないと気づく 人の語ることばをいちいち心に留めてはならない。(伝7:21)

みんなが必要 もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。(1コリ12:17)

人は人によって「研がれる」 鉄は鉄によって研がれ、人はその友によって研がれる。(箴27:17)

 

ヤコブ 

 

悪人と争わない柔和な父イサクとは違い、息子のヤコブは奪い取る詐欺師的な性格 で、実際、兄エサウの長子の権利をだまし盗りました。しかし、その後のヤコブは、おじラバンの家に亡命生活となり、羊飼いとして苦難の20年後、帰国して兄と和解しますが、その日々は厳しいものでした。

詐欺師イサクは、詐欺師ラバンから20年間で何度も報酬変更で騙され、詐欺師の理不尽さを体験学習させられたのです。その証拠にヤコブは20年間を振り返ってこう言いました。

 

創31:6 あなたがたが知っているように、私はあなたがたの父に、力を尽くして仕えた。31:7 それなのに、あなたがたの父は、私を欺き、私の報酬を幾度も変えた。しかし神は、彼が私に害を加えるようにされなかった。

 

このように詐欺的な性質は早期に抹消して、偽らない清い心を持たないといけません。聖書は詐欺師についてこうい言います。

Ⅱテモ3:13 悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。

 

詐欺師が騙し、騙されるように、人はまいた行動の種を同様に刈り取るのです。

 

オバ1:15 主の日はすべての国々の上に近づいている。あなたがしたように、あなたにもされる。あなたの報いは、あなたの頭上に返る。

 

いじめる者は、やがていじめられるのです。

 

ナホ3:19 あなたの傷は、いやされない。あなたの打ち傷は、いやしがたい。あなたのうわさを聞く者はみな、あなたに向かって手をたたく。だれもかれも、あなたに絶えずいじめられていたからだ。

 

逆に御霊のために人に施し与え、積極的に善をまく者は、命を刈り取るのです。 

 

ルカ6:38 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。

 

マタ5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

 

ヤコブ2:13 あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。

 

主イエスを信じて、善きものをまきましょう。最大の善きもの、おすすめは、人々を天国にまで導き入れる命の言葉、福音をまく伝道です。