イエス様の十字架 身代わりの死

 

あるドイツの教会の庭に可愛らしい子羊の像が建てられています。この像が建てられた背景は意義深いものです。ある日、数人の職人が教会の屋根修理をしていて一人が誤って足を滑らしました。高い屋根でしたから同僚の職人たちは転落した仲間の命はないものと思いましたが彼は無事に生きていました。

 

彼が転落したとき丁度そこに草を食べている子羊がいたのです。その子羊の上に落ちた職人は命が助かりましたが、その子羊の命はありませんでした。命を助けられた職人は彼が落下し子羊が亡くなった場所に子羊の像を作りその台座に「砕かれた子羊の記念に」という碑銘を記しました。

 

私たちの信仰の創始者であり、完成者であられる義なるイエスさまについて聖書は語ります。

(イザヤ53:10)彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

 

イザヤが預言したイエスさまの十字架以降現われる「末長い子孫」とは、末長く永遠にまで生きられる私たちクリスチャンのことです。

キリストが足の裏まで通過した釘と頭の頂まである、いばらのとげで全身サタンに打たれ、血潮を流して炎の試練を通り抜け、三日後の復活と昇天でいやされた今、そこから生まれ出た私たちクリスチャンこそイエスさまの復活の命で新生した末長い子孫として、この世界のどこにもいないほど最も美しく輝く特別な存在です。

 

祈って悩ますサタンの訴えを無効にせよ!

 

20世紀初頭、オハイオ州の学校で用務員をしていた「ジェーム・マーレー・スパングラー」は1つの悩みを抱えていました。彼の主な役割の1つに「学校の廊下の掃除」があったのですが、彼は「埃アレルギー」です。

その当時『掃除』といえば「掃き掃除」しかなく、彼は毎日廊下を掃きながら「何とか埃を舞い上がらせずにキレイに掃除する方法はないものか?」と考えあぐねていました。

 

するとある日、彼が神様に祈っている時に1つのアイディアがひらめいたのです。「埃を掃く代わりに、吸い込んでしまったらどうだろう?」

彼は扇風機や枕カバーなどを使って「埃を吸い込んでキレイにするシステム」を開発しました。これが現在の『電気掃除機』の原型です。