1912年のある夜、至上最大の豪華蒸気客船『タイタニック号』が北極海に沈み、多くの犠牲者を出しました。「沈没することはあり得ない」とまで言われていたタイタニック号であっただけに、その反響は当時大きなものでした。

 

この大惨事の後、リバプールにあった「ホワイトスター観光事務所」の入口には、この豪華客船に乗船していた方々の家族や友人たちが殺到しました。

何故ならその入り口の両脇に、片方には「死亡者リスト」、もう一方には「生存者リスト」が貼り出されたからです。

そして更なる死亡者・生存者が確認されるたびに、事務所の係員が出てきては、その名前を書き足すのでした。

『生存者リスト』に自分の知り合いの名前が書かれるのを見た人々は歓喜し、『死亡者リスト』に書かれるのを見た人々の顔には絶望の涙が流れたのです。 

 

実はこの話は何も『他人事』ではありません。聖書ははっきりと「やがて来る世の終わりには、『小羊のいのちの書』にその名が書いてあるか否かで『天国行き』もしくは『地獄行き』が決まる」と書いてあります。そしてこの『小羊のいのちの書』に名前が書かれるかどうかは、私たちの学歴や業績とは全く関係がなく、ただ「あなたの罪の身代わりに十字架にかかって死なれた『イエス・キリスト』を、自分の救い主として信じているかどうか」にかかっているのです。 

 

タイタニック号の大惨事で生き残ったかどうかは、それぞれの学歴や業績とは全く関係ありませんでした。しかし乗船していた全員に共通していたことがあります。それは、自分たちがそんな大惨事に直面しているなどとは夢にも思っていなかったことです。


ヘブル9:26 キリストは、ただ一度、今の世の終わりに、ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。9:27 そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、9:28 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。

黙20:11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。20:12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。20:13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。20:14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。20:15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。