復活の姿をあらかじめ預言 

 

マタ17:1 「それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。17:2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。」

 

預言的に、「六日」は歴史6000年終わると、高い山は空中携挙のひな形で、クリスチャンは空中高く上げられます。

12弟子中3人だけが選ばれて、その変貌山の現場に呼ばれています。それは25%携挙率のリバイバルであり、イエス様とともに高峰行く幸いです。

空中携挙の上空で私たちもイエスの光を受けて復活の変身に輝くのです。

「御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。」

 

ほかのメッセージに畑に二人がうすを引く例話と、男二人が寝台にいる例話と、賢い5人の乙女の例話があります。これらは、文字通りいくなら全部50%の携挙率です。

これを当てはめて単純計算で今の世界人口が80億人なら、世界の25-50%が携挙。つまり20-40億人が携挙対象の天国となります。そうなることを願いたいものです。

 

Ⅰコリ15:51 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。15:52 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。

 

ルカ20:34 イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、20:35 次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められる人たちは、めとることも、とつぐこともありません。20:36 彼らはもう死ぬことができないからです。彼らは御使いのようであり、また、復活の子として神の子どもだからです。

 

問題はどのような心で礼拝しているか

 

あるフィリピン人の姉妹が自分のアパートでオンラインで礼拝をささげていました。いざ礼拝が始まり、ズームを観ているうちに、別に向こうからは見えないだろうと、朝食を食べながら観ていたのですが、そのとき彼女の心が主の御霊によって刺されました。

「自分はいったい何をしているんだろう。食事をしながら礼拝するなんて。教会にいたらそんなことは絶対に出来ないのにそれができるというのは、自分の中に神への思いがズレでいるからではないか・・。」

 

それで翌週から礼拝に来るようになりました。どこで礼拝するかが問題なのではなく、問題はどのような心で礼拝しているかです。そのような状態が続くと霊的にも麻痺してしまい、神への恐れでなく自分中心の信仰に陥りがちになります。

 

神に会う備えをせよ

 

「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。ですから、だれでも人々の前でわたしを認めるなら、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも、天におられるわたしの父の前で、その人を知らないと言います。」

(マタイ10:28-33)

 

旧約聖書の預言者アモスは、こう言いました。「それゆえイスラエルよ、わたしはあなたにこのようにする。わたしがあなたにこうするから、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」(アモス4:12)