キリスト教弾圧の地「西坂の丘」で、日本人信徒20人と外国人宣教師6人が処刑されました。それは、豊臣秀吉がキリスト教を禁止したことによります。秀吉がキリスト教を禁止したのは、日本人が奴隷として海外に売買されていたからです。16世紀に、イエズス会は各地に宣教師を派遣し、ポルトガルの商人も貿易を求めて海外に渡航。東南アジアでは、ポルトガル商人による人身売買が行われ、売買された人々は奴隷としてポルトガルに送られ、転売されていました。キリスト教の布教と貿易はセットでした。

秀吉の時代に、日本人奴隷が船に積まれ、ヨーロッパに連行される記録が『九州御動座記』』にあり、 日本で得た金・銀を船に積み込み、母国へ送った様子が記録されています。数百人の日本人男女が、ポルトガル商人に買い取られ、逃げられないように手足が鉄の鎖につながれ、船の底に押し込まれました。ポルトガル人は牛馬を買い取ると、生きたまま皮を剥いで、そのまま手でつかんで食べたという。ポルトガル人は親子兄弟の間にも礼儀がなく、さながら畜生道の光景でした。問題は、近くの日本人がポルトガル人の姿を真似て、子、親、妻女を売り飛ばしたことです。

 

九州の売国奴キリシタン大名、大村純忠、大友宗麟、有馬晴信は、神社仏閣破壊、仏教僧侶を殺害し、戦争に勝つため鉄砲の火薬を求めて貧しい日本人5万人を南蛮船で来たポルトガルの奴隷商に売り飛ばしました。

日本にいたポルトガル宣教師が見かねて、当時のポルトガル王のドン・セバスチャンに進言し、1571年に「日本人奴隷の買い付け禁止令」も出されたが効果なし。 ポルトガルの奴隷商によって買われ、ブラジル・アルゼンチン・ペルーなど世界中に売られた日本人奴隷の記録は、多くの公文書に残されています。

また、彼ら九州のキリシタン大名達が勝手にイエズス会に自分たちの広大な長崎や浦上の土地を寄進していました。こうして豊臣秀吉は、はじめはキリスト教の布教を認めたけれど、1587年にバテレン追放令を出してキリスト教を禁止に至りました

九州は日本の最南端で地理的に、外国勢力侵入の港口で狙われがちです。

今は、中国共産党の参加リスクがある台湾のTSMC工場が誘致されました。

半導体生産に欠かせない「水資源」豊富な阿蘇山ふもとの熊本県。半導体生産には純度の高い超純水が大量に必要ですが、台湾は台風進路変更で歴史的な水不足です。

日本の土地と源泉が狙われています。 

 

伝1:9 昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。1:10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか先の時代に、すでにあったものだ。

 

苦しんでいる人は祈りなさい

 

「教会」はギリシャ語で「エクレシア」と言いますが、意味は「召しだされた者たちの群れ」です。

教会は苦難の中で召しだされた祈りの集いです。

 

イザ56:6 また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった外国人がみな、安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、56:7 わたしは彼らを、わたしの聖なる山に連れて行き、わたしの祈りの家で彼らを楽しませる。彼らの全焼のいけにえやその他のいけにえは、わたしの祭壇の上で受け入れられる。わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。56:8 ──イスラエルの散らされた者たちを集める神である主の御告げ──わたしは、すでに集められた者たちに、さらに集めて加えよう。」

 

詩篇13篇1~2節「主よ、いつまでですか。あなたは私を永久にお忘れになるのですか。いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。いつまで私は自分のたましいのうちで思い悩まなければならないのでしょう。私の心には一日中悲しみがあります。いつまで敵が私の上におごり高ぶるのですか。」

 

ダビデは絶望的な心と苦しみの中で、たましいのうちで思い悩み、心には、一日中悲しみがあると言っています。

 

過去を考えてむだな時間を過ごさずに、未来を見つめてキリストとの交わりに生きてください。キリストが赦すことのできないほどの大きな罪はないのですから、恵みとあわれみを感謝し、キリストを毎日賛美しましょう。

 

祈り

 

ヤコブは、「らくだの膝を持つ人」と言われていたそうですが、なぜそのように言われていたかというと、彼の膝がらくだのように堅くなっていたからです。歳をとって堅くなったのではありません。彼はいつも膝をついて祈っていたので堅くなったのです。彼は祈りの人でした。その祈りの中で神に願い求めたのです。

 

ヤコブ5:13 あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

 

祈り

 

中国の奥地伝道のパイオニア、ハドソン・テーラーはこのように言いました。「あなたがたは、膝をついて前進しなければならない。」膝をついて前進したらろくに進めないのではないかと思うかもしれませんが、でも膝をついて前進するというのは祈って前進しなければならないということです。

 

詩篇34篇10節には、「若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を訪ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。」