【ワールドミッションレポート:🌍グローバル🌏

「ノーベル賞受賞者の大半はキリスト教徒とユダヤ人」】

1901年から2000年までのノーベル賞受賞者の宗教別分布を分析したところ、65.4%と大多数がキリスト教徒であることがわかった。

この調査結果は、バルーク A. シャレフの『ノーベル賞の100年』(2003年)に基づいており、654人の受賞者の宗教的信条と業績との間に興味深い相関関係があることを明らかにしている。

キリスト教徒は、以下のノーベル賞部門で顕著に優れており、平和賞の78.3%、化学賞の72.5%、物理学賞の65.3%、医学賞の62%、経済学賞の54%、文学賞の49.5%を獲得している。さらにキリスト教の宗派別で詳しく調べてみると、科学部門でプロテスタントが、文学と平和賞ではカトリックがより多いことがわかった。

一方、無神論者、無宗教者、自由思想家はノーベル賞受賞者全体の10.5%を占める。とりわけ文学部門では大きな存在感を示しており、同部門のノーベル賞受賞者の約35%にのぼる。このデータは、これらのグループが文学において突出していることを示唆している。おそらく、文学賞の受賞傾向が、世俗的なテーマを表現する傾向があり、宗教的な背景からの脱却を描くことが多いためだろう。

ユダヤ人受賞者の割合は特に顕著である。化学(17%)、医学、物理学(各26%)で大きな割合を占め、経済学では40%という驚くべき数字である。ユダヤ人が世界人口のわずか0.2%しかいないことを考えれば、この功績は注目に値する。対照的に、世界人口の約20%を占めるイスラム教徒は、ノーベル賞受賞者全体のわずか0.8%しかいないことがわかった。

これらの調査結果は、科学的・文学的業績における文化面や宗教的背景の役割についての疑問を投げかけている。歴史的にキリスト教徒は科学的発見の最前線にいるが、これは西洋文化、特にノーベル賞の起源となった20世紀初頭のヨーロッパにおける時代背景が、彼らにとって優位だったことも十分考えられる。

しかしながらユダヤ人社会に関しては別で、彼らがノーベル賞受賞者割合において突出した成功を収めていることは、特に彼らの歴史的地位を考慮すると、興味深い現象として際立っている。彼らの成功は、ノーベル賞受賞と文化的優位性という相関性に疑問を投げかけるものである。

いずれにしても、ユダヤ人もキリスト教徒も、聖書を通しての強烈な自己認識と使命意識を受けているという点で共通している。聖書にルーツを置く御言葉の民が、ますます世の光、地の塩としての存在感を発揮し、天的な影響力を世にもたらすことを願ってやまない。これらの証しが、人々の救霊につながることを祈っていただきたい。

 

1884年、アメリカはペンシルバニア州フィラデルフィアの小さな教会の外で少女ハッティ・メイ・ウィアットが泣いていました。

 

教会が小さくてとても混んでいたので、門前払いを受けたのです。少女は、そばに歩いて来た牧師ラッセル・コンウェルに、「教会学校の教室に入れないの…」 と泣きつきました。
牧師は、その子の着古した洋服やみっともない様子を見て、そのわけを想像したのですが、彼女を抱きかかえ、近いうちに必ず子供たち全員が入れる教室を建てると約束しながら彼女の手を引いて日曜学校のクラスに連れて行き席に座らせました。その夜、少女はこのできごとがとても心に残り『教会が小さくて、子供たちにはイエス様を礼拝する場所がないこと』 を考えながら眠りにつきました。
2年後のある日、その少女ハッティは亡くなり、その遺体が貧困者救済の家の1室に横たえられました。両親は、娘に親切にしてくれたこの牧師に、お葬式をお願いしました。

このかわいそうな幼い娘を動かそうとした時、ごみの山から探し当てたような、ぼろぼろで、しわくちゃな財布が見つかりました。中には57セントが入っており、子どもの手で書いたようなメモで、
もっとたくさんの子どもたちが教会学校へ行けるように、ちっちゃな教会を大きくするために使ってください。」と書いてありました。このお金は、2年間、愛の捧げものとしてこの子が貯めていたものでした。


牧師は涙ながらにこのメモを読み、そして即座に何をすべきかを悟ったのです。牧師はこのメモを持ち、この幼い女の子の無償の愛と捧げものについて説教で話しました。また、新聞社がこの話を知り、新聞に掲載しました。これを読んだ不動産屋が、何千ドルもする土地の提供を申し出たのです。教会は、そんなに広い土地を購入することはできないと言った時、不動産屋は、57セントだけを要求したのでした。教会員達も、大きな献金を申し出ました。小切手があちらこちらから届き、5年間、この幼い女の子の献金は25万ドルにも跳ね上がったのです。それは19世紀の終わり頃ですから、当時としては巨額なものでした。1912年、少女ハッティが捧げたわずか57セントから始まった様々なプロジェクトは、時を経て教会は大きく発展。彼らが建てたクリニックは街で最大の病院に。職業訓練センターは現在、州で最大の教育機関であるテンプル大学になりました。

 

ヨハ12:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。