『アベイフォーティタ』兄弟愛‥‥兄弟間の愛を示す言葉です。

行き過ぎた正しくない兄弟愛の事例

 

ヒビ人シェケムに妹ディナを汚された兄弟シメオンとレビの復讐。 

創34:25 シメオンとレビは騙してヒビ人すべてに割礼を受けさせて攻撃、牛の足のすじ切り大量殺人を行いました。そこに妹への兄弟愛は確かにあったのですが、やりすぎでした。 

 

同様にアブシャロムも行き過ぎた正しくない兄弟愛を行いました、

サムⅡ13:28 妹タマルを汚された復讐のため、兄弟アムノンを殺人しました。 

 

ロマ13:10 「愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。」害する時点ですでに、真実な兄弟愛ではないです。
 

正しい兄弟愛の事例 ピレモ1:18 

パウロはピレモンの奴隷オネシモを神の家族として兄弟と呼び、借金を自分が身代わりに払うとまで確約しました。

コロ4:9 「また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。」

 

ピレモ1:17「もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。1:18 もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください。1:19 この手紙は私パウロの自筆です。私がそれを支払います。」 

 

パウロは主人ピレモンから奴隷オネシモが盗んだお金を身代わりに支払うと手紙に書いたのです。

パウロは「自分が貧しくなってもいいから身代わりに兄弟オネシモが罪の赦しと和解を受けて欲しい」と考えました。

イエスが十字架で「完了した」テテレスタイと言われた言葉は、借金完済宣言と同じ意味です。罪は借金同様、必ず清算来るものですが、イエス様は愛ゆえに私たちの罪の借金を身代わりに支払ってくださったのです。

 

エレミヤ27:2 エレミヤはやがてバビロン捕囚になるイスラエル人に警鐘を鳴らす使命を受け、なわとかせとを作り、エレミヤ自身の首につけて奴隷のように出歩く預言活動をしました。それは、一見、狂った預言者でしたが、悔い改めを促す神様からの警鐘、激しい兄弟愛の現れでした。

 

エゼキエル12章 エゼキエルは昼に人々の見ている前で、自分の家の壁を壊して大穴をあけ、捕囚のための荷物を持ち出し、捕虜のように夕方、引っ越すことでバビロン捕囚の惨事を事前に警告しました。ただ聞くだけではもはや心に留めない、かたくななイスラエル人に、聞くことプラス明確な視覚を通じて神様は御心を示し、エゼキエルの行動自体がイスラエルの家のためにしるしとされたのです。

 

「百聞は一見にしかず」と、ことわざにありますが、通常の人には理解できない預言行動が視覚ゆえ、よりいっそうの感銘を与え、深く考えさせ、痛く心に刻まれたのです。エゼキエルは人々の悔い改めのために、まるで愚か者のように身を持って恥を受け、笑い者になることに甘んじたのです。見世物となった預言者エレミヤもエゼキエルも同胞への深い兄弟愛があったからこれらの行動ができました。 

それがイエス様の傷ついた御姿を人々にさらす見世物、さらしものの十字架の予型なのです!