「愛についての聖書の教え」  

Ⅰヨハ4:8 「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。」 

愛がない=神わからない。愛の反対は無関心。人々の滅びに無関心であってはならない。

十戒「殺すな」。その意味は、自分を隠して傷付ける自己封殺。そして、伝道せず滅びるのに無関心な見殺しの間接殺人の両方もあります。


間違った愛 同性愛がそれです。 創19:5 ソドムゴモラは硫黄の火で焼かれています。。

士20:48 ミツパも同性愛によってベニヤミン族を戦争と火で壊滅させています。

ローマ1 同性愛からの解放と治療法 

神を神としてあがめる賛美と感謝礼拝。偶像アイドル歌手や俳優と関係切り離すことです。  

「不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。」

 

ロマ1:20 「1:21 彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。1:22 彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、1:23 不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。 1:24 それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。1:25 それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。1:26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、1:27 同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。」

 

愛の種類

1、『アガペー』神愛‥‥新約聖書に120回、動詞は130回あります。これは神が人を愛する愛です。

 

「それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。」マルコ5:5

自分を傷つける悪霊レギオンにつかれた男同様の自殺未遂、自己卑下、自己虐待。

自己拒絶、不健全な自己否定、自責の念、罪悪感など自分をいたずらに傷つけている人が多くいます。

モーセの十戒に「殺してはいけない。」とあるように自分自身にも自己封殺しないよう高価で貴い神様に愛されている特別な存在であるという意識を持って、自らをいたわり、自信を持って高貴に歩むことが必要です。イエス様を信じれば誰でも皆、聖霊様が心に住まわれる神様の貴い神殿になれます。

 

イエス様はレギオン悪霊につかれた男一人を癒す為に、大きな財産である二千匹の豚の群れが湖中に崖からダイビングして失われる犠牲を許可されたのです。一匹の豚はいくらでしょうか?仮に一匹十万円なら二千匹で二億円です。一匹五万円でも総額一億円。かなりの資産です。しかし神様の価値基準は時に人とは大きく異なります。

もし、ここに天秤が置かれ、片側に二億円が置かれ、反対側には悪霊につかれて理性を失い、全身に傷を持つ裸の男が道をとおせんぼしながら大声で意味不明なことを叫んでいます。一体どちらが重要ですか?言うまでもなく、一人の失われた魂への神様の価値観は最も大きいです。一人の魂は天地よりもはるかに尊く価値があります。この認識でイエス様は多くの病人をあわれみの思い一杯で癒されたのです。

 

物の価値は時に支払われた代価の大きさによって分かります。骨董品や高価な宝石類は鑑定人でないと本当の価値が分かりませんが、おおよそ支払われた代価を聞く時はじめて、素人でもその物の真価が分かります。私たちの価値は一体どれ位でしょうか?

多くの失敗によって、自分の本当の価値を見失いそうな気分になる時、失敗した自分の姿ではなく十字架のイエス様を仰ぎ見つめなければなりません。その支払われた御子イエス様の罪なき唯一の血潮の代価を引きかえに与えられた命です。神のひとり子の身代わりの死という犠牲の大きさを思うとき悟りが来ます。あなたは高価で尊く神様に愛されている重要人物です。

ヨハ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

 

数億円の犠牲が出ても、それ以上に高価で尊く愛されている人間。

動物の群れが滅びても、それ以上に価値あるあなたです。

ヨナが従順になってニネべ宣教に行き、12万以上の人々を罪と地獄から救うリバイバルのため、神様は嵐で貿易商人たちの船内積荷すべてを海に捨てさせ大損害が出てもOKでした!大事なのは魂の救い。

愛してるから!時に、肉を打っても霊に従うのが信仰生活。 

マタ16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

 

マルコ14:5 ベタニヤ・マリヤが高価なナルドの香油を石膏のつぼを割ってイエス様に直接注いで捧げたとき、献金泥棒できなかったユダは女をひどく迫害しました。

その時、ユダは砕かれた香油の香りから瞬時に計算して、この香油なら「三百デナリ以上」と価値を特定しています。

今も香水は知る人が知るもので、私なら目の前でシャネルが砕かれようが、子供の安いおもちゃ香水がこぼれようが香りで値段は分かりません。ユダはある程度、香油の価値相場を知る上流階級の人だったかもしれません。ベタニヤ・マリヤは兄弟ラザロ復活の感謝に満ちて神の愛を知った時、これに応えて結婚できなくてもいいと言う勢いで嫁入り道具の香油を全部捧げました。愛は献身。愛は計算しないです。

 

計算しなかった愛の事例 ベタニヤ・マリヤは香油の分量を量らずに大胆に石膏のつぼを全部割りました。

ベタニヤ・マリヤはイエス様に感動的な心で計算なく感謝献金300万円と夢の結婚人生を捧げました。

それを電卓計算する愛を知らないユダは銀貨30枚、108万円位もらってイエス裏切ったのです。  

 

盲人バルテマイも大胆に上着を脱ぎ捨てイエス様の元に行きました。愛の癒しの奇蹟を信じ、必ず癒されるから、癒されたら自分で働き、物乞い専用の政府公認上着がもういらないと信じて脱ぎ捨てました。 

実は万能上着でした。着ていると本物障害者の証明、政府公認、国家公務員のように安定した身分で堂々と施しを受けられたのです。これは沢山施し受けると包んで風呂敷にもなり、雨降ると傘にもなり、夜は布団にもなります。朝はこれを着て座るだけで商売道具になり、こんな優れた多機能の万能上着を脱ぎ捨てた大胆な計算ない純粋信仰です。もし捨てて行き、癒されないで帰り、その間に盗まれたらホームレスのなかのホームレスのリスクがあったはずです。しかし、癒し信じた証しに脱ぎ捨てた大胆さは愛の癒し主イエス信じた勇気の現れです。

 

荒野でイエス様に5つの大麦パンと2匹の魚を捧げた少年も皆と同じく空腹だったはずです。自分のお弁当がなくなったら損なのに、イエス様のために断食の捧げ物です。現代も、愛で損得計算しない人に奇蹟が起こるのです。

 

ヘブル13:5 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」