ベートーベンの母親は彼を出産すると間もなく亡くなってしまいました。
父親は宮廷に仕えるテノール歌手でしたが、アルコール依存症で子供たちに殴る蹴るという暴力を振るっていました。ベートーベンはそんな父親に4歳から無理やりピアノを習わされ、子供らしい時期はほとんどなかったそうです。

11歳から作曲をして有名になり、モーツアルトやハイドンの弟子となるように強く推薦されます。
しかし、彼は母の死、そして父の死、また深い失恋を何度も経験し、結局、生涯独身で暮らします。
さらに20代後半から持病の難聴がどんどん悪化し、ついに音楽家としていのちとも言える耳が聞こえなくなってしまったのです。このような絶望的な荒野に追い込まれたベートーベンは、毎日襲ってくる失望やむなしさの荒野の中でも、決して希望を失いませんでした。
そうです。彼はクリスチャンだったのです!

32歳の時、(1802年の手紙)にはこう書いています。

「全能の主よ。あなたは、私の胸の奥にある、私の魂をのぞかれ、私の心を見抜いておられます。

私の心の内に、人類への愛と、善を為したいという要求とが満たされているのを主よ。あなたはご存知です」

40歳の時(1810年の手紙)に彼はこう記しました。
「私には友がいない。一人ぼっちで生きていかなければならない。だがわかっている。創造主は、誰よりも私の近くにおられるのだ。恐れずに、私は神に近づく。どんなときでも、このお方が私と共におられることがわかる。そして私は、主がどのようなお方かということも知っている」。

ベートーベンは一人っきりではありませんでした。彼に寄り添い、いつも励ましてくださる方を深く知っていたのです。苦難に満ちたベートーベンの生涯に真の希望を与えたのは、聖書を通して語りかける神様でした。ローマ10:13にはこのように約束が記されています。

「聖書はこう言っています。『彼(キリスト)に信頼する者は、失望させられることが無い』・・・『主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる』のです」

彼の最後の交響曲は第9です。
その最終楽章はあの有名な喜びの歌、歓喜の歌です。
苦難ばかりを通り、最も不幸に見えたベートーベンから歓喜の歌が生み出されたのです。
この歓喜の歌を知らない人がいるでしょうか?
世界中、どこにおいても歌われます。
この第9は日本でも年末にはどこにおいても演奏されます。
それは日本人がみな希望を必要としているからではないでしょうか?
人々に希望を与える曲は、最も苦難と絶望に満ちていたベートーベンを通して生み出されたのです

 た、患難があるのは神様の子である証拠なのです(ヘブル12:8)。

「しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る」(ヨブ23:10)

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです」(ローマ5:3~5)

「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。』」(ヘブル13:5)