新NISAはアメリカが日本の政府に命じた政策です。その大半の商品はアメリカのものです。日本人は世界一勤勉にタンス預金をして株を一般の庶民はあまりしなかったので、この国富にアメリカのDSは目を留めたのです。大きく上がってから、大きく下がると、その格差のゆえにも被害が大きくなります。作られたバブル景気破綻戦略で学ばされたはずです。最後にはDS傘下のグローバル企業だけが居残り、中小企業が無くなる世界。いまこそ要注意です。

株のチャートは海の波のようです。これが大きく上下する時、気絶しないよう、深入りしないようにご注意。

 

Ⅰコリント人10:31

「こういうわけで、あなたがたは、食べるに も、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」「こういうわけで、あなたがたは、食べるに も、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」 

 

交響曲の父と呼ばれるハイドンは、1791年、人生の大きな転換点を迎えます。イギリス・ ロンドンのウェストミンスター大聖堂でヘンデルのオラトリオ『メサイア』を聞き、大きな感動を受けたのです。そして、彼が1795年、その台本で3年間祈りながら、作曲したものが、不朽の名作『天地創造』です。

 

オラトリオの中で、ヘンデルの『メサイア』、メンデルスゾーンの『エリヤ』、そして、ハイドンの『天地創造』、三曲を挙げますが、彼は作曲するとき、友人にこのように語りました。

「天地創造を書いているときほど「敬虔な心」で作曲に臨んだことがないね。私は毎日、神様にひざまずき、この作品を成功的に仕上げるまで、推し進めていく力を与えてくださるように切に祈った。」

 

切に祈りながら、この曲を作曲し、初演のとき、とても大きな感動が臨み、人々は立ち上がり、拍手喝采を送りました。リハーサルのときから、感動が伝わり、初演のときはとても大勢の人が押し寄せたため、警察が聴衆を整理するほどでした。

 

それから10年後、彼が76歳のとき、彼の誕生日を祝うコンサートがビン大学で開かれました。当時、ビン大学で開かれた音楽会でサリエリが天地創造の指揮のを執り、彼の弟子であるベートーヴェンが彼の隣に座っていましたが、どれほど大きな感動を与えたことか、全聴衆が立ち上がり拍手を送りますが、拍手が止まりませんでした。ベートーヴェンが師匠の手に口づけしながら、「先生、これほど大きな成功を収めました。」と先生を褒め称えたとき、彼は手を振りながら、拍手を止め、このように話しました。

 

「いいえ、いいえ。私は至らぬ者です。この作品は私のものではなく「天におられる神様」からきたものです。」」

 

これが、彼が残した最後の言葉です。2ヶ月後、彼は主に召され、静かに御国に入りました。 私たちが主のための大きな働きをするとき、私たちが最後に告白しななければならないのは、「違います。これは私の力ではなく、天におられる主が成されたことです。」ハレルヤ。

 

彼は作曲を終えると、最後にラテン語で「Laus Deo(ラウス・デオ)」という言葉を書き込みました。「Laus Deo(ラウス・デオ)」という言葉の意味は、「Praise God」神様に賛美を捧げる。神様を賛美する。神様を褒め称える。神様に賛美を捧げます。必ず、最後に神様を賛美すると、署名をし、サインし、その楽譜を神様に捧げました。音楽を主に捧げました。私たちが歩む人生のすべての瞬間で、神様に栄光を捧げながら歩む皆様になることを願います。