Ⅱペテ3:9 「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。3:10 しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。3:11 このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。3:12 そのようにして、神の日の来るのを待ち望み、その日の来るのを早めなければなりません。その日が来れば、そのために、天は燃えてくずれ、天の万象は焼け溶けてしまいます。3:13 しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」

 

イギリスのロンドンで1665年から1666年までペスト菌パンデミックが1年以上流行し、当時の医学では治せず、ロンドンの大疫病と呼ばれ、18か月でロンドン人口のほぼ4分の1、10万人を死亡させた。ペストは患者に近づいただけで、また、亡くなった人の食器に触れただけですぐに感染。当時、死体の山積みとなった馬車が町の至る所で見られ、毎日のように「死体を運び出して!」という泣き叫ぶ声が止まなかった。

 

その長期間にわたる疫病が流行している最中、ロンドンにもう一つの災害が起こった。1666年にパン屋のかまどから出火して4日間にわたって燃え続け、ロンドン市内の家屋のほとんどが木造で街路も狭かったため、市民は燃え広がる火を前になすすべもなく、およそロンドン市内の85%が焼失した。

 

ところが、ロンドン大火の後、すばらしいことが起こった。ペストは、この大火によって多くの菌が死滅し、感染者低減の一因になった。さらに1681年には世界初の火災保険もロンドンで生まれることになった。大火の死者はわずか5名で、ペストの死者数10万人に比較して、災い転じて益となったと言える。コロナ騒動も災い転じて、人々が神様を求める有益なリバイバルにつながるよう祈ります。

 

マル16:15 イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

 

クリスチャンが教会内部の働きには熱心であっても、1週間、日曜日から次の礼拝まで、未信者の誰にも福音を伝えていなかったとしたら、それは、ある意味、異常事態です。

 

イザ56:10 「見張り人はみな目が見えず、知ることがない。彼らはみな口のきけない犬、ほえることもできない。あえいで、横になり、眠りをむさぼる。」

番犬は、泥棒が家に近づいても吠えなければ、役に立ちません。

 

「もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者より悪いのです。」(第一テモテ5:8)

 

「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(テモテ第一2:4) 

  

宗教改革者は次のように語っております。

「伝道的でなくなった教会は、すぐに福音的でなくなる。」(アレキサンダー・ダフ)、

「数え切れない人々が、今なお福音を伝えられていない。」(ジョン・ウェスレー)、

 

「かくも多くの人々(未信者)が一度も福音を聞いたことがないのに、なぜ、かくも少ない人々(信者)が幾度も幾度も(教会内で)それを聞くべきなのか。」(オズワルド・スミス)

 

アフリカの伝道者ラインハルト・ボンケ氏は「世界で最も福音が語られている場所は世ではなく教会の講壇である。これは悲惨なことである。魚を釣るために、家のバスルームで釣ろうとしても一匹も釣れない。家から出て行って、川や海に行くなら魚が釣れます!福音宣教も同じです。」

 

マタ24:14 この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

 

ジョンウエスレー

 

「あなたは、この地上で、ただ一つのなすべきことを持っている。それは魂を救うことである。」

 

「教会は宣教の義務を果たすときのみ、その存在を正当化する。」

 

「病気にかかった教会に対する最上の治療法は、宣教という食餌(しょくじ)を与えることである。」

 

「私たちは『御国を来たらせたまえ』と祈りながら、決して『ここに私がおります。私をおつかわしください。』とは言わないのではないだろうか。」

 

「宣教しない教会は、いのちのない化石のようになる。」

 

「伝道的でなくなった教会は、すぐに福音的でなくなる。」

 

「世界はわが教区なり。」

 

「最も遠くまで届く光は、一番近い所を、最も強く照らす。

 

悪魔は牧師に対して、世の畑に出て行って、福音を宣教するという本来の使命を邪魔するために、教会内に悔い改めない人格的に問題をもった人々やイゼベル的な人々、教会批判や分裂を引き起こす「トラブルメーカー」という刺客を送り込み、牧師がカウンセリングや問題処理、苦情処理に追われて、本来的な使命である世に対する「伝道」がまったく、できないように仕向けます。

 

教会は精神病院ではありません。またカウンセリングする心理セラピーの施設でもありません。

純粋に神のみを求める人々が、霊とまことをもって礼拝する場所です。また福音を全世界に宣べ伝えていくための伝道の拠点です。教会は、慰めを受けるための場であると同時に、キリストの聖い「戦士」たちが集まる神の陣営です。

 

第一コリント9章16節でパウロは『私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられていたにしても、私には務めがゆだねられているのです。』

ある伝道者が言いました。「今日のクリスチャンの最大の罪は伝道を怠っていることである。」と。

 

アメリカでのことですが、妻が教会に行くことを反対している夫がいました。彼は妻を困らせるために、燃やしてしまおうと聖書を暖炉に投げ込みました。聖書が燃え尽きるまでには時間がかかるので、彼はしばらく外出することにしました。やがて、彼は、聖書は燃えつきただろうと思って家に帰って来ました。ところが、聖書は確かに燃えていたのですが、一部が燃え尽きずに残っていました。それを見て彼は驚きました。焼け残っていた部分には、「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)とあったからです。彼は恐ろしくなって教会に行き、神様を信じるようになりました。

 

Ⅱペテ1:19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。