イギリスの宣教師であり探検家であるアフリカ大陸の父と呼ばれたデイヴィッド・リヴィングストンが、アフリカに行ってから6年間、本国と連絡が途絶えたことがありました。

このデイヴィッド・リヴィングストン宣教師が、一体生きているのか死んでいるのか音信不通になりました。それでこのリヴィングストン宣教師を探しに『ニューヨーク・ヘラルド』の特派員であり探検家であるヘンリー・スタンリーを遣わしました。この人はノンクリスチャンでした。

しかし特ダネを書く目的でリヴィングストンを探しに密林に入って行ったのですが、何と7千マイルの探検の後に、1871年10月27日に、現在のタンザニア湖畔で原住民に仕えているデイヴィッド・リヴィングストンに出会いました。

そしてスタンリー記者がデイヴィッド・リヴィングストンと一緒に十ヶ月の間一緒に過ごしながら研究しました。

要するに同行しながら取材をしたのです。

一体この人はどんな人なのか。アフリカの奥地で一生を捧げて献身しているのか。どうして自ら買ってでも苦労しているのか。

 

数ヵ月後に、このデイヴィッド・リヴィングストンの仕える姿を通して、大きく感動しました。一度もイエスを信じなさいと言わなかったのに、その姿を見てイエスを信じるようになりました。

 

彼はその当時のことをこのように回顧しています。

「リヴィングストン宣教師が、その険しいところで働きをなすようになったのは『すべてのものを捨てて、わたしに従いなさい』という主の御言葉に、謙遜に従ったからでした。

彼の謙遜と柔和と、情熱と誠実、その姿を見た私は、結局悔い改めることになりました。

彼は私に悔い改めるようにと言ったり強いたりしませんでした。

私を悔い改めさせたのは、彼の説教ではなく、まさに彼の謙遜と従順して生きる生き方でした」

 

彼が残した文章によって、多くの人がチャレンジするようになり、多くの若者が宣教のために献身するようになりました。

この一人の従順と謙遜の姿を見た全アフリカを変化させ、数多くの人々がアフリカで宣教することができるように宣教の道を開いておいたのです。一人の人が犠牲になりましたが、その犠牲の実はまことに驚くほどの実を結ぶようになったのです。

ですから私たちが謙遜になれば神様が私たちを通して御業をなさるのです。

 

マタイの福音書11章29節に「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」