学校や会社等の人と会うのが苦痛な「社会不安障害」と言う現象もあります。自分が恥ずかしい思いをする可能性の状況に対し不安反応が誘発され、職場や学校などの社会的な状況下で赤面や動悸、震えや混乱が生じる現象です。

 

ある知り合いは高校生の時、国語の授業の時、先生から突然、漢文を読むように言われましたが、ぼおっとしていてよく聞いていなかったので、あてられたことにびっくりしながら立ち上がり、無我夢中で変な読み方をして、みんなの笑いものになってしまいました。

 

「くくくけれれければ」

 

その恥ずかしかった一瞬の苦い体験が切欠に彼はその後の人生で長いこと対人恐怖症を患ったと言います。しかしそんな彼もイエス様を信じて救われ、人と親しく交われるように回復し、祝された妻子にも恵まれて、今では伝道者として仕事と教会の両方に忙しい日々を過ごしています。

 

目に見えない領域で受けたストレスや心の傷が癒されず、長期間放置された結果、やがては目に見える領域で病という形になって現れるケースがしばし、あります。医学的には解離性障害(かいりせいしょうがい)といい、苦痛やストレスにより記憶や意識、身体運動の正常なコントロールを失う神経症のことですが、自分のしたことを覚えていなかったり、周りの刺激に反応しなくなったり、声が出なくなったり、立てなくなったりする症状まであります。特に受けたストレスや心の傷がひどい場合、大動脈解離、胸や肩、背中、腰に激痛が現れ、放っておくと頭部や四肢、心臓や腎臓、腸管などに血液が流れなくなってしまうので、緊急手術が行われることさえあります。

 

脊髄の血行が障害されると、麻痺や膀胱直腸障害を起こします。ささいな日常生活で受けやすいストレスによる不安や抑圧された心理的葛藤は、長期間放置すると最悪、体や精神のさまざまな症状としてあらわれることとは、すなわち心と体が密接に連動して働いているということです。

 

よく教会のメッセージで「憎んでいる誰かを心底、赦してから祈ると病気が癒された。」という奇蹟の証を聞いたことがあると思いますが、この種のストレスから生じた病であれば、その根源なる「赦せないという感情のストレス自体」を除けば癒しが追従することは医学的にも理にかなった出来事と言えます。憎悪は連続した怒りを抑えたものですが、この長期間に渡って蓄積して構築された憎悪のとりでを破壊する強大な奇蹟の力が信仰によって赦しを宣言することです。

 

かつてベートーベンは「憎しみはその心を抱く者の上にはね返ってくる。」と言いましたが、憎悪が各種の病と連動して働き、発病という形でわが身にはね返ってくるとは、何とも割に合わない話しです。

 

人は神様が創られた作品ゆえ、非常によくできており、受けたストレスをどんなにうまく隠しても顔の表情にチックとなって表れたり、心の憂いが暗い顔という形で表れ出たりするものです。汚れた心も汚い目つきになって表れます。人が誰かを愛するとは、愛した対象に深い関心をよせるという積極的行為です。

 

愛するがゆえに相手をもっと知りたい深い関心が寄せられます。そんな意味では愛の反対は憎しみではなく無関心です。愛するなら積極的に会話し、敏感に相手の外的変化を観察して心の乱れを読み取ってください。会話を通じて心の中にある不安やわずらいごとが吐き出され、多くは大病に至らず早期に治療、解消できます。

 

自己暗示能力の高い幼少期に虐待された苦痛体験を「痛くない」と自分に言い聞かせることで、いやな感覚を麻痺させる現象もあります。しかしこの自己暗示的手段も一時的なもので耐え続けるといずれ限界が来て、その反動はいや増し大きな反社会的行動となるケースがあります。ストレスは日々、賛美と祈りと御言葉で発散して蓄積しないことがベストでしょう。

 

私たちの病める心を内側から癒す優れた力を紹介します。

 

それは賛美の力。

 

イスラエルのサウル王は悪い霊に悩まされ、精神錯乱状態で叫んだり、わめいたり誰にも手に負えない不安定状態が続きましたが、不思議とダビデが傍らに呼ばれ、竪琴で上手に賛美をささげると、その場でサウル王は落ち着きを取り戻して平安になりました。賛美の力は病める心と体に大きな癒し効果があります。

 

賛美の曲をいつもBGMに流したしいたけ栽培業者では良質しいたけがたくさん安定的に収穫できるようになり、養鶏場では鶏が良質な卵を多く生むようになり、酪農業者では牛が上質な牛乳を多く出すようになったという確かなデーターに裏付けられた研究報告があります。賛美は人体を始め、あらゆる生き物に神様の御臨在を解き放つ祝福と繁栄の秘訣です。心騒ぎ眠れぬ夜は賛美をささげて心を癒してください。

 

異言による祈りの力。

 

預言者イザヤは規制された規則ずくめの現代社会にも異言の祈りが傷つき病める人の心を癒し、ストレスを緩和することをこのように預言しました。

「彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。』と。」まことに主は、もつれた舌で、外国のことばで、この民に語られる。主は、彼らに「ここにいこいがある。疲れた者をいこわせよ。ここに休みがある。」と仰せられたのに、彼らは聞こうとはしなかった。」(イザヤ書28:10-12)

 

異言による長時間の祈りは不思議と心と体に安息を与え、実生活であれ荒んだ心身をリフレッシュさせ、新たにやる気を起こさせるリセット効果があります。異言による祈りがまず霊的領域を祝して満たすからです。魂が恵まれれば、それに続いて全ての環境と心も恵まれ、健やかな健康もついてきます。最近の研究では異言の祈りが疲れた脳内までも沈静化していることが分かってきています。

 

「神秘的現象の科学的分析」というテーマでABCTVのニュース特集で報道されていましたが、ペンシルベニア大学病院放射線科A.ニューバーグ博士は中立の立場から「宗教と科学の状態」をテーマに研究し、特に最近、異言についてレポート発表しました。同州のゲテスバーグ、フリーダムバリー教会ストルツフー牧師が協力して実験のため異言を語っているときの脳のスキャンを撮影しました。その画像分析では脳の動きが変化に伴い、赤、オレンジ、黄色、青等、色の移り変わりで部分ごとの動きが識別できますが、同氏が通常の英語で知的に祈っているときは言語をつかさどる前頭葉は赤色、すなわち活発に動いていますが、異言で霊的に祈っているときは色の変化なく落ち着いていました。このことから博士はこう説明します。

 

「(異言の)祈りに没頭しているときには前頭葉の活動は沈静化するものです。(異言の祈りが)自発的な動きではないということですが、これは異言は自分でやっているのではなく、神から動かされて語っていると言う(信者の)証言とも一致しますね。」

 

博士は牧師だけでなく別の信者たちのデーターも取りましたが、そこでも同様の結果がもっと顕著に現れました。異言の祈りは前頭葉を活発に使うことなくむしろ沈静化する。人ではなく聖霊様に舌が動かされて語る。

 

これらのことが科学的に立証されつつあるということです。博士は以前、仏教の僧侶たちやキリスト教の修道女たちが祈っている時の脳も調べたことがありますが、異言を語っている人たちの脳だけは彼らとまったく違って沈静化していることも分かりました。博士はこう言います。

「仏教の僧侶やキリスト教の修道女たちのデーターとは正反対ですね。こちらの場合、前頭葉がむしろ活性化していましたから。」

 

聖霊様に満たされた異言の祈りは、ストレスの多い現代人に確かな「いこい」と「休み」を与えてリフレッシュさせる病める心の癒し効果があります。