大北メディカルクリニック院長

 

「コロナにおいてはもう今では4回も予防接種をすると全然、打ってない人と比べるとその重症化率は打っている人の方が100倍以上に上ると言うデータが出ております。すなわちコロナの予防接種を打てば打つほどコロナにかかり、免疫が下がり、いろんな病気になると言うことがわかっているわけです。」

 

2021年におけるワクチン接種後の胎児死亡数3774件、コロナ前より約50倍増加

コロナワクチンには、ナノチップにヒドラ、トリパソノーマなどの寄生虫が含まれており、元々、ワクチンを冷凍保存するという条件は、寄生虫が接種前に病院や接種会場で長期保存で孵化しないための予防策でした。

 

しかし、「米製薬大手ファイザーの日本法人は、日本での新型コロナウイルスワクチンの保存条件を緩和したと発表。これまではセ氏マイナス75度前後での保存が不可欠としていたが、今後は同20度前後で最長14日保存でき、通常の冷凍温度帯での取り扱いが可能になることで、地方でのワクチンの輸送や診療所での保管が容易になる。」とのことで如何に出鱈目なワクチンであるのかを表しています。日本はふたを開けてみると意外に接種者が多かったので回転率も速く、そのため常温でも次々と体内に入れてしまえば分からない。少しでも多く摂取させて利益を増やしたい悪魔連中の貪欲が増大しています。

 

ヒドラ、トリパソノーマなどの寄生虫は、イベルメクチンで駆除してください。

酸化グラフェンは追加ワクチンを打たなければやがて自然排除されます。
 

伝5:8 ある州で、貧しい者がしいたげられ、権利と正義がかすめられるのを見ても、そのことに驚いてはならない。その上役には、それを見張るもうひとりの上役がおり、彼らよりももっと高い者たちもいる。5:9 何にもまして、国の利益は農地を耕させる王である。5:10 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。

癌の原因は酸欠。酸欠の原因はストレス・冷え・そしてマスクです。赤血球の形が崩れ、きれいな丸型をしていない。赤血球の中央は破壊されているように見えます。

そして粘着性を持ってお互いを引き寄せ塊を作り始めています。

ワクチンで赤血球が凝固して、ストライキを起こしている状態なら、癌細胞を撃退する白血球も全身移動の活動ができません。白血球を載せて運ぶ運び屋が赤血球だからです。すると癌細胞は体内各所で増殖し放題で重篤な癌患者になります。

赤血球の主な役割は、すべての細胞に酸素を運ぶことです。だからワクチンを接種した人々に、酸欠から疲労感、めまい、体調不良、精神不安定が起きているのは当然の反応なのです。

 

 

変なおじさん増殖中

 

新型コロナウイルスの流行が長期化する中、普段は穏やかな人が急に怒りっぽくなるなど性格や言動が変容したとの報告が相次いでいる。診療にあたる南多摩病院(東京都八王子市)総合内科・膠原(こうげん)病内科の国松淳和(じゅんわ)部長はこうした現象を「CIAMS(シャムズ)」と命名した。目に見えない不安感が人々の心をむしばんでいるとみられ、周囲とのコミュニケーション強化を呼びかける。「シャムズは病気ではなく、『新型コロナで変わってしまった人たちを指す用語』国松氏がシャムズの存在に気付いたのは、国内で感染が急拡大した今春ごろ。外来診療などを通じ、新型コロナに感染していない人たちの中に、普段とはやや様子が異なる人が現れ始めていることを知った。

 

穏やかで礼儀正しかった患者がある日突然、医師や看護師を怒鳴り散らす。他にも、コロナ流行前には絶対に言わないこと、やらないことをして迷走している人がいたり、頑張り過ぎている人がいたり…。「その人らしくない言動」に周囲が困惑したというエピソードが患者の家族や仲間の医療者からも届くようになり、シャムズを確信した。

 

同一の御霊

 

私にはワクチン打つな。他のクリスチャンには打ちましょう。言う訳ない 

 

Ⅰコリ12:10 ある人には奇蹟を行う力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。12:11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

 

ペテロが思想と口を奪われた発言のように悪魔の言葉を、軽率にもクリスチャンリーダーが語るリスクがあります。最後の時代は騙されないよう祈って御霊の一致が大事です。

 

ピリ2:2 私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。

 

ピリ2:20 テモテのように私と同じ心になって、真実にあなたがたのことを心配している者は、ほかにだれもいないからです。

 

ケンタッキー・フライド・チキンの創業者、カーネル・サンダース(1890~1980)

 

彼は、六歳の時に父親を亡くし、母が農場で働いていたため、二人の弟妹のために料理も作り、世話をしていた。初めて焼いたパンを母に褒められたことが忘れられず、料理に興味を持つようになった。子どもたちは、母と毎週教会に行き、嘘をつかず、他人に優しくし、大人になっても酒や煙草はダメ、賭け事も絶対にしない、と母から厳しく躾けられて育つ。更に、仕事に対して常にベストを尽くし、人が喜ぶことをしなさい、と教えられた。彼にとって最大の喜びは、母親に喜んでもらうことであり、最大の悲しみは、母親の期待を裏切ることだった。そして、年を重ねていくに従い、その対象は「母親」から、「多くの人」を「喜ばせたい」へと知恵が増して行ったのである。やがて母が再婚すると、新しい父親は十二歳のサンダースに、学校に行っている間以外は働くよう強要するので、サンダースは十三歳で家を出る。彼は十五歳でサザン鉄道に入社した。当時、若者の九割は機関士になることに憧れていた時代だったのだ。しかし二十歳直前、サンダースは機関士になる前に会社を解雇される。母の躾により、正義感が強かった彼は、会社で組合のためにも一生懸命働き、労働条件や保障をめぐって経営者と積極的に交渉した。そのため、会社にとって煙たい存在となっていたのだ。


 その後も彼はフライドチキンを更に美味しくしようと、九年間かけて今日でも使われている十一種のハーブとスパイスを使ったレシピを完成させた。その間、仕事を手伝ってくれていた一人息子を、二十歳という若さで病のため亡くしたり、店が全焼したりと、苦難を体験するが、「今まで以上に他の人が喜ぶことをしよう」と彼はレストランを再建、五十歳の一九四一年、当時アメリカでも珍しい一四二席もある大レストランを田舎町に完成させた。


 サンダースが六十歳の頃、最大の危機が訪れる。ケンタッキー州にも、州を横断する高速道路が完成した。すると、国道沿いのサンダース・カフェに立ち寄っていた旅行者たちは、その町をバイパスする高速道路を利用するようになり、レストランの売上は激減する。サンダースは、店を競売に出して手放すが、他にも事業を展開して借金も抱えていたため、それを払いきると彼は六十五歳にして一文無しとなった。年金生活は面白くないと思った彼は、「どんなに苦しいときでも神様に敬意をもつことを忘れずに生きていれば、必ず神様が救いの手を差し伸べてくださる」と確信し、あることを発想する。それは、フライドチキンのレシピをレストランに売る、というフランチャイズ方式であった。彼は祈った、「神さま、どうか私のフランチャイズのアイデアを成功へと導いてください。そうしたら、あなたの分をお渡します」と。

 

すると、彼は、レストラン経営者たちのコンベンション(総会)で、ある人物と出会う。若くしてユタ州で最大のレストランを経営するピート・ハーマンである。彼も酒を飲まなかったので、サンダースは彼と真剣にビジネスを語り合えるようになった。このピートが後に、ケンタッキー・フライド・チキンの名を提案、世界初のフランチャイズ店の第一号店となってくれた。六十五歳のサンダースは、唯一残った財産、中古のフォードに圧力釜と秘伝のスパイスを入れた瓶を載せ、一軒一軒レストランを自ら訪ね歩く。費用節約のため車で寝泊まりし、各地をまわった。今や世界の八十カ国に一万店を出すまでに発展するKFCの始まりであった。


 サンダースがイエスを自分の救い主として受け入れ、クリスチャンとなるのは、ずっと後の七十七歳のときであった。キリストに救いを得た晩年のサンダースは、設立してあった基金で、千名の大学生を支援し、病院や教会に寄付することを喜びとし、このために自分は救われたのだ、と語っていた。カーネル・サンダースは、しばしばピール牧師の教会で礼拝をしていた。

 

「何をするにしても、神様が味方してくれないようなやり方をして、うまくいくはずがない。多くの人がこのことに気づいていないのは残念だ」とサンダースは言う。彼のビジネスの発展は、キリストが教えられた黄金律を守ったことによるのだった。彼は数々の功績を称えられているが、カーネル・サンダースのカーネル(大佐)とは、ケンタッキー州から与えられた名誉称号である。そして、ある表象会で会場に、かつて自分をクビにしたサザン鉄道の社長が出席していたので、カーネルはこうスピーチした。「私をクビにしてくれてありがとう。クビになっていなかったら、ケンタッキー・フライド・チキンで成功出来なかったかもしれない」と。そして最後に、「もう一度機関車の仕事をさせてくれたら、全財産を失ってもいい」と頼んだ。サザン鉄道は鉄道保存会と協力し、サンダースのために特別列車を走らせ、その夢を実現してくれた。機関士の格好をしたサンダースは、子どものように喜び、汽笛を鳴らしたという。
 イエス様の教えに従い、母を喜ばそうとした少年時代、そして、より多くの人を喜ばせたいと事業を展開していったサンダースである。そのように知恵が増して行った彼は、神と人とに愛されていた。 

 

純福音立川教会 泉パウロ Jesus39god - YouTube