ヨエル書に見る歴史的リバイバルの預言

 

ヨエル書の記録は、2000年間の教会史を一つに集約した黙示録にも似た歴史的リバイバル(教会復興)の預言です。あなたの街にある教会がにわかに人数を大幅に増すのを見る時、世界の終わりの急接近が確認できます。

 

「長老たちよ。これを聞け。この地に住む者もみな、耳を貸せ。このようなことがあなたがたの時代に、また、あなたがたの先祖の時代にあったろうか。これをあなたがたの子どもたちに伝え、子どもたちはその子どもたちに、その子どもたちは後の世代に伝えよ。かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。」

(ヨエル書1:2-4)

 

ここで、長老たちに向けて特に御言葉が語られているのはリバイバルに大きく影響力を持つ人物は、諸教会のリーダーたちだからです。教会リーダーたちが、ひざまずいて真剣な涙の断食祈祷を捧げる時、主の働きは前進しリバイバルが始まります。

 

「祭司たちよ。荒布をまとっていたみ悲しめ。祭壇に仕える者たちよ。泣きわめけ。神に仕える者たちよ。宮に行き、荒布をまとって夜を過ごせ。穀物のささげ物も注ぎのぶどう酒もあなたがたの神の宮から退けられたからだ。断食の布告をし、きよめの集会のふれを出せ。長老たちとこの国に住むすべての者を、あなたがたの神、主の宮に集め、主に向かって叫べ。」(ヨエル書1:13、14)

 

日本のような霊的激戦地で祭司のように献身されている牧師先生たちはすべて教会の大小に関わらず本当に使命ある選ばれた主のしもべたちであり、二重に尊敬を受けるにふさわしい栄えある人たちです。地上で多くの報いも十分な尊敬も受けなくとも純粋に犠牲を払って奉仕されているのが現状です。

どうか、あなたの教会の牧師先生を心から愛して尊敬し全力でとりなし祈って祝福して下さい。イエス様が喜ばれます。

「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」

(ヨエル書2:25)

 

やがてすべての「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご」のような悪霊どもの大軍勢は全地から滅ぼし尽くされます。現代人はたくさんのいなごが霊的にくっ付いていて純粋な信仰生活をむしばんでいます。これを全面駆除しなければ穀物は食い荒らされ、ヨエルの時代同様、霊的大飢饉になってしまいます。

 

駆除すべき代表的ないなごとは、教会に来させないいなご、祈らせないいなご、聖書を読ませないいなご、賛美させないいなご、伝道させないいなご、聖さと喜びを奪ういなご、礼拝が始まると眠らせるいなご等々ありますが、これら無数のまとわり付くいなごを振り払う最も効果的な駆除方法は断食祈祷です。

 

いなごは一匹では決して怖くありません。むしろやっつけてつくだ煮にして食べてしまいます。しかし、異常気象などにより短期間に大発生して餌が不足してくると群れを形成し、目や羽や口元が細長くて鋭い攻撃的な体型に突然変異することがあります。こうなるとその破壊力は凄まじいものがあります。食欲旺盛に異変した無数のいなごの軍隊は人々の穀物や緑の野菜をことごとく食い尽くして大飢饉をもたらします。

国連いなご対策センターによるといなごは一日に500キロも移動でき、人間の50万人分の小麦を一日で食い尽くした記録もあります。さらにはいなごで満ちた道路や線路に突入する車や電車がこれを踏みつけた際流れ出た油がスリップ事故や大脱線さえ生み出すのです。日本でもかつていなごの大発生という災害がありましたが、ここヨエル書に記されたイスラエルにおけるいなご大発生の災害とは、単に当時のイスラエル一国ばかりでなく、全世界的規模で霊的に現在も進行中の大変意味深い預言的出来事だったのです。

 

歴史的リバイバルの預言を学びましょう。この預言は少し面白く悟れれば私たちの現在の霊的戦いの現状を正しく知ることにもなる大変重要な預言なのです。とにかく聖書はすごいです。

「ぶどうの木は枯れ、いちじくの木はしおれ、ざくろ、なつめやし、りんご、あらゆる野の木々は枯れた。人の子らから喜びが消えうせた。」(ヨエル1:12)

 

この悲劇はいなごの大群が通過した後の様子ですが、これらの枯れた木々は一様に衰退する教会を象徴しています。そして、教会をむしばんだ「かみつくいなご、いなご、ばった、食い荒らすいなご」という名を持つ四種類の天敵は悪霊どもを象徴しています。

                         

 

第一にAD32年ごろ、<絵A>

 

初代教会はまことに祝福された完全に成長した実のある木のように聖霊様の油満ちる勝利の教会でした。

「…その成長を祝福されます。あなたは、その年に、御恵みの冠をかぶらせ、あなたの通られた跡には、あぶらがしたたっています。」(詩篇65:10、11)

 

イエス様の通られた跡、建て上げられた初代教会はペンテコステの聖霊様の油注ぎの中で奮い立ち、「初めの雨」のリバイバルを体験しました。これを絵にするとAのような状態でした。

 

そこには教会員どうしの中に御霊の実である「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」があり、霊的な御霊の現われである「知恵のことば、知識のことば、信仰、いやしの賜物、奇蹟、預言、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力」もあり、神様の子どもらしい罪を離れた聖なる生活と正しい救いの教理すなわち救いはイエス様を純粋に信じるとき人間の良い行いにはよらず与えられる恵みであることなどが日々語られ、初代教会はまるで「初めの雨」を十分吸い込んで完全に成長した木のように全てが整って恵まれた状態でした。ヨエル書2:3では初代教会のこのように恵まれた霊的状態を「エデンの園のよう」と描写しております。

 

しかし、第二にAD32年からAD312年までの間、<絵B>

 

次第に始めの天敵なる「かみつくいなご」の大群が空中の権威を持って飛んで来て、初代教会にくっ付いてはむしばみ始めたのです。これは実だけを食べる種類のいなごであり、初代教会からおいしい御霊の実をかみついては食べてしまい、おなか一杯になったところで飛び去って行きました。そのため次第に教会から御霊の実を重んじる教理が喪失してしまったのです。食べられて、教会という木は豊かに実っていたはずの各種の実がすっかりなくなってしまいました。

 

すると第三にAD312年からAD590年までの間、<絵C>

 

今度はさらなる天敵「いなご」の大群が飛んで来て、教会をむしばみ始めたのです。始めの天敵「かみつくいなご」が実をすべて食らったため次においしい食い残しの葉の部分を食べ始めました。「いなご」は教会という木からことごとく葉のように重要な聖霊のバプテスマの賜物を食べ始めたため、次第に霊的教会が喪失していきました。木の葉が燦々と輝く太陽の光を受けとめ、幹に栄養分に変えて供給するように、神様の恵みの流れも葉のごとく聖霊様がとりなす間接的働きかけがなければ、教会という幹まで伝達されません。葉のない木は生きてはいてもその実死んだ状態です。聖霊様の働きなき教会も同様です。さらに攻撃は続きます。   

   

第四にAD590年からAD1000年まで、<絵D>

 

いわゆる中世暗黒時代に入ると「いなご」の大群がごちそうさまも言わずに飛び去った後、食い残された部分を食らうために今度は「ばった」の大群が飛んで来て、教会という木をむしばみ始めたのです。この「ばった」は、やわらかい枝だけを食らう種類であり、教会に残された枝のようにしっかり張り巡らされるべき重要な聖い生活の教理を食らい、そのため教会は中世暗黒時代に至っては聖別の教理を喪失した、みじめな状態になってしまったのです。やわらかい枝だけをおなか一杯に食べた「ばった」はこうして飛び去りました。

 

そして第五にAD1000年からAD1517年まで、<絵E>

 

ちょうどマルチン・ルターの宗教改革が始まる直前までの間、最後の天敵なる「食い荒らすいなご」の大群が飛んで来て、先に飛び去った「ばった」の大群が食い残した最後の食せる部分に食らいつきました。

 

「食い荒らすいなご」その食べ物は木の皮です。教会という木に残されていた信仰によって義とされ天国に入れるという木の皮のように最も基本ともなる救いの教理を食べてしまったのです。ついに中世暗黒時代に至っては救いの教理を喪失したため教会が命を完全に失い、形だけの宗教的儀式に埋没する霊的に死んでしまったような真っ暗な状態へと堕落してしまったのです。それゆえこの時期は中世暗黒時代と呼ばれるようになりました。

当時、聖書の御言葉は一般民衆には与えられず、誤った免罪符制度や宗教的な苦行を通して自らの救いを獲得しようと人々は右往左往しました。この時代の教会は<絵E>のように「食い荒らすいなご」が食い荒らす使命を果たして飛び去った後の姿であり、惨めにも枯れに枯れて死に直面した、最後の皮さえ剥ぎ取られた真っ白な何もない裸状態でした。

 

このように初代教会以降、四種類のいなごの連続的な四段階スライド攻撃を受け続けた教会から今は御霊の実が喪失し、霊的教会が喪失し、聖別教理が喪失し、救いの教理が喪失したため、かつてより預言者ヨエル(BC800年ころ活躍)により語られていた主の御言葉は2300年もの歳月をかけてそのまま成就してしまったのです。聖書の預言はどんなに長い歴史を超越しても必ず時が来れば実現します。

 

「かみつくいなごが残した物は、いなごが食い、いなごが残した物は、ばったが食い、ばったが残した物は、食い荒らすいなごが食った。酔っぱらいよ。目をさまして、泣け。すべてぶどう酒を飲む者よ。泣きわめけ。甘いぶどう酒があなたがたの口から断たれたからだ。一つの国民(いなご、悪霊)がわたしの国に攻め上った。力強く、数えきれない国民だ。その歯は雄獅子の歯、それには雄獅子のきばがある。それはわたしのぶどうの木を荒れすたれさせ、わたしのいちじくの木を引き裂き、これをまる裸に引きむいて投げた倒し、その枝々を白くした。」(ヨエル書1:4-7)

 

しかし!主の御旨はイエス様ご自身のように一度死んだ後に再びよみがえって神様の栄光を現わすものが多くあります。一度砕かれた十戒が再び与えられたように、一度滅亡したイスラエル国家が再建したように、一度失われたヘブライ語が公用語としてユダヤ人社会に復活したように、一度歴史から消えたノアの箱舟や契約の箱が終末世界に再現されたように、一度散らされたイスラエル12部族が再び終末世界に聖霊様を受けて立ち上がるように、一度罪に堕落した我らが今神様によって救われたように、教会という木もまた一度死んでも後、再び復活します。AD1517年以降、回復の希望を抱き、教会復活の新時代が到来しました。

 

「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。たとい、その根が地中で老い、その根株が土の中で枯れても、水分に出会うと芽をふき、苗木のように枝を出す。」(ヨブ記14:7-9)ハレルヤ。

 

リバイバルの新時代到来の第一の幕開けとして、<絵F>

 

主は1517年にマルチン・ルターを通して枯れ果てた教会という木の根に聖霊様の水分を注がれたのです。「後の雨」の降り始めです。宗教改革の始まりです。人は宗教的な苦行によって救われるのではなく、ただ純粋にイエス様を信じるとき救われるという信仰義認の救いの教理を回復されたのです。そのため最後に飛んで来た天敵の「食い荒らすいなご」に食い荒らされた幹から木の皮が再び色づいて回復してきたのです。「いなご、ばった、食い荒らすいなご、かみつくいなご、わたしがあなたがたの間に送った大軍勢が、食い尽くした年々を、わたしはあなたがたに償おう。」(ヨエル書2:25)約束の御言葉が成就してAD1517年からAD1739年まで救いの教理が回復する新時代となり教会に活気が戻りました。

 

次にリバイバルの新時代到来の第二に、<絵G>

 

一度失われた皮が木を覆い尽くし、見事な奇蹟的生命力で回復されたため、そこから枝が続いて生えてくる奇蹟がともなったのです。これは主が1739年、ジョン・ウェスレーを用いて大リバイバルを起こされた回復運動の始まりです。ウェスレーはその時代に最も欠けていた聖別の回復、聖めの教理を重点的に語り、メソジスト教会を創立し、12ヶ条の聖徒のあるべき敬虔な生活の規則を作成し、主に対する聖潔を強調しました。こうして、主は諸教会から失われていた聖別教理を回復され、枝を見事に張り巡らせました。この回復運動はやがてウェスレーに続き、アメリカのチャールズ・フィーニーやムーディーなども立ち上がり大リバイバルを起こし、AD1739年からAD1900年まで継続しました。

 

リバイバルの新時代到来の第三、<絵H>

 

枝がよく伸びて見事に回復したため、そこにはさらなる奇蹟、一度失われていた葉が再び枝に生えてきました。これぞ1900年代に起こったペンテコステ運動の始まりです。この時の回復運動で聖霊の賜物が教会に回復し、諸教会では聖霊様によってバプテスマを受け、異言や預言を語たる霊的教会が立ち上がったのです。

 

これは特にAD1900年から突然激しく全地に降り注ぐ「後の雨」となって全世界的な規模の回復運動となり、1970年代にはプロテスタント、カトリックを超えて全教会的にカリスマ運動へと発展していきました。そして、1900年代から突然激しくなった「後の雨」は絶えることなく今日まで継続して局地的に降り続いており、イエス・キリストの再臨のために御自身の選ばれた聖徒たちを今、大収穫しているのです。感謝して霊的事情を考察すると全世界の諸教会はすでに世の終わりに向けてすべてのよい条件が整った状態です。

 

今こそ教会に一度喪失していた救いの教理が復活しており、聖別教理も復活しており、霊的教会も復活した幸いな時代です。初代教会以降失われていた全ての恵みはすでに回復し、後は本当に最後の戦いだけが教会に残されています。

それは、「かみつくいなご」を全面駆除する戦いです。

そうすれば、御霊の実を結ぶことができ、失われた魂の刈り取りリバイバルの救霊の実がもう一度必ず豊かに結ばれるのです。ハレルヤ。

 

終末の大収穫期の大リバイバルです。断食と祈りで最後の妨げ、人々の救いの実を食べてしまう「かみつくいなご」なる最後の悪霊どもを徹底追放して勇敢に勝利しましょう。聖書は戦うあなたに約束します。

 

「あなたがたは飽きるほど食べて満足し、あなたがたに不思議なことをしてくださったあなたがたの神、主の名をほめたたえよう。わたしの民は永遠に恥を見ることはない。」(ヨエル書2:26)

 

教会の歴史を振り返って見ると、おおよそ1950年代はいやしのリバイバルが強調され、1970年代にはカリスマ運動、1980年代は教会成長、1990年代は霊の戦いが強調された時代でした。2000年代は最後の残された霊的戦いに勝利して実を結ぶだけの魂の大収穫リバイバルを体験する時代です。今がその時代です。

今が戦って魂を実際に刈り取るだけの最も幸いな終末の大収穫の時です。

今が「後の雨」が全世界に降り注いでいる世界最後の収穫期です。

 

https://apps.apple.com/jp/app/%E8%81%B4%E3%81%8F%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E8%81%96%E6%9B%B8/id1480321610

壮大な聖書のドラマの開幕!「聴くドラマ聖書」は、日本初、本格的なドラマ仕立ての聖書アプリです。https://graceandmercy.or.jp/app