丸山ワクチン オフィシャルWEBサイト (nms.ac.jp)

 

おすすめ 丸山ワクチンの誕生 

クリスチャンであった故 丸山千里博士 

丸山ワクチン(SSM=Specific Substance MARUYAMA)は1944年、皮膚結核の治療薬として誕生しました。ワクチンの生みの親である故 丸山千里博士(元日本医科大学学長・1901~1992年)にちなんで後に丸山ワクチンと呼ばれるようになりました。皮膚結核に対して驚くべき効果をもたらしたこのワクチンは、ハンセン病の皮膚障害、発汗障害、神経障害にも効果を上げました。

皮膚結核やハンセン病の治療に打ち込むなかで、あるとき、この二つの病気にはガン患者が少ないという共通点が見つかりました。このようにして、ガンに対するワクチンの作用を調べる研究が始まりました。

1964年の暮れ、丸山は実際のガン治療にワクチンを用いることを決意し、知り合いの医師にワクチンを使ってみてくれるように依頼しました。そのうちに、あちこちの医師から「ガンの縮小がみられる」などの報告が届くようになります。なによりも驚いたのは、ワクチンを打った末期ガンの患者さんの中に、ガンと共存して何年も元気に暮らす人が現れるようになったことです。

「ワクチンを使えば、人がガンと共存できる道が開けるのではないか?」丸山は、体からガンを排除する従来の治療法ではなく、ガンを体内に宿したまま生きる方法もあると確信し、こうしてワクチン療法によるガン治療が始まりました。

丸山ワクチン 4つの特長

1 副作用がほとんどない

丸山ワクチンは細胞に対して毒性を持たず、副作用の心配がほとんどありません。どのような段階のガンであっても、また、患者さんの体の衰弱がみられるときでも、長期にわたって安心して使うことができます。進行したガンの患者さんで、10年、20年とワクチンを続けておられる方も多数見受けられます。患者さんにとって最大の利点です。

2 延命効果が見られる

現在、ワクチンを使う患者さんの中には末期ガンと呼ばれる段階の方が多数いらっしゃいます。その多くは、体が弱っていたりガンの転移が広範囲に及んでいたりして、手術療法や化学療法・放射線療法などの治療法を選択できない患者さんです。そうした患者さんでも丸山ワクチンで5年、10年と長期延命される方がいらっしゃることは非常に大きな意味をもっています。

3 自覚症状の改善が図れる

ガンが進行すると痛みや貧血など、患者さんにとって大変つらい症状が現れることがありますが、丸山ワクチンでその痛みがやわらいだり、自覚症状が改善されることで、たとえ体内にガンが残っていたとしても、患者さんは通常の生活を送ることも期待できます。

4 ガン腫の増殖が抑えられる

丸山ワクチンは自然免疫の司令塔とも言われる樹状細胞を刺激し活性化させることで、ガン細胞の増殖を抑えていきます。また、ワクチンを続けていくと、コラーゲン(細胞と細胞をつないでいる線維状のたんぱく質)が増殖しガン細胞を封じ込め、ガンが縮小し、場合によっては完全に消し去ることもあります。

治療実績をあげる丸山ワクチン

1964年に丸山ワクチンがガン治療の現場で用いられるようになって50年以上の年月が経過しました。ワクチンの治験は、国公立の病院をはじめ全国の病・医院で実施され、丸山ワクチンの投与を受けた患者さんの総数は2019年12月末で411,500人に上っています。

図は手術でガンを取りきれなかった患者さん126名を対象に、抗ガン剤のみの治療(Aグループ)と抗ガン剤と丸山ワクチンの併用治療(Bグループ)の2群に分けて生存率を調べたものです。治療を開始して50カ月の生存率は、ワクチンを併用したグループは、抗ガン剤のみのグループより15.2%高く、これはワクチンを併用すれば1000人あたり152人の割合で延命効果があることを意味しています。

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「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(第一テサロニケ5:18)

 

アメリカ空軍の従軍牧師であったマーリン・キャロザースの書いた本に『讃美の力』という本があります。彼は「感謝と賛美は環境を変化させ、全ての試練を喜びと祝福に変える!」と言いました。
ある時、彼の空軍の属する兵士の妻が尋ねて来て、訴えました。
「牧師先生!私はもう死にそうです。私の夫は軍人として長く働きましたが、彼はアルコールのヘビードリンカーであるばかりか、お酒を飲むと真っ裸になる習慣があります。
路上に素っ裸になって隠すべき所も隠さず寝てしまいます。また、アパートに帰って来て、私たちの家の門の前で素っ裸で寝ているので、周りの住民は皆顔をしかめています。
私がいくら、そんな醜態をさらすのは止めるように言い聞かせても、無駄でした。脅迫しても駄目でした。もうこれ以上なす術がありません!牧師先生!どうすれば良いでしょうか!」と。
すると牧師先生が尋ねます。
「夫が酔っ払って、素っ裸で寝転んでいることを感謝したことがありますか?」
「えっ? 何ですか!夫のあんな姿を感謝するのですか?では、もっと狂ってしまったら、一体どうすれば良いのですか!」
牧師先生は次のように答えました。
「感謝をいけにえとして神様に捧げれば、神様が来て御業を成してくださいます。ですから、神様!夫がお酒を飲んで素っ裸になって横になっていることも感謝します!
ただただ感謝します!なぜ感謝するのか理由も分かりませんが感謝します!
感謝をすれば神様が喜ばれ、悪魔に混乱が起きて、環境に自由と解放が近づいてくる御業が起きるのですから、感謝してください!これが解決法です!」
それで、牧師先生は、その夫人と一緒に祈りながら感謝を捧げました。
牧師先生が先に祈りました。
「神様!この兵士がお酒さえ飲めば素っ裸になって、酔っ払って路上でも眠ったりしますが、感謝します。このような人がいることを感謝します。神様の栄光が現されるために、このようなことがあるので感謝します。こういう人がいてこそ、こういう人を癒す神様が現れますから感謝します!」
このように祈った後、夫人が家に帰って行ったのですが、家に帰ると、夫にどのようなことが起きたでしょうか?2週間待っても連絡が来ないので、その夫人に電話をしました。
「ご主人はどうなりましたか?」
「あぁ、牧師先生!今ではお酒も飲まず、素っ裸になることもなく、職場からすぐに家に帰って来ます!」とても感謝が出来ない状況の時どうすべきでしょうか?真っ暗な状況の時こそ、パウロとシラスのように感謝と賛美のいけにえを捧げることです! 

 

エレ23:28 夢を見る預言者は夢を述べるがよい。しかし、わたしのことばを聞く者は、わたしのことばを忠実に語らなければならない。麦はわらと何のかかわりがあろうか。主の御告げ

 

 

ある女性が悩んで自殺しようと思い、ピストルを頭に当て、撃とうと思っていたときにテレビを見ていると、ケニー・ダンプというテレビ伝道者が話しているのを耳にしたそうです。
 「イエスさまを信じなさい。救われます。」と語ったそうです。その時彼女は、「もしあの先生の話を聞いたら、自分は自殺しなくても救われるかも知れない。先生に会いたい」と思ったそうです。
 そうしたら目の前に電話番号が浮かびました。その人はその番号に電話しました。ケニー先生はその時、ある場所に行くために高速道路を走っていました。すると、子どもたちがお腹が空いたと言うので、レストランに入りました。
 レストランにはいると、みんなはご飯を食べましたが、先生は食べませんでした。食欲がなくて外を散歩をしていました。
 すると、目の前の公衆電話が鳴りました。ケニー・ダンプ先生がその公衆電話を取りました。「何ですか?」と言うと、「私はケニー・ダンプ先生と話したくて電話したんです。」と言いました。

彼はとても驚いて、「それは、私です」と言いました。出会い、救われ彼のテレビ番組で証しした。

 

 

ウィリアム・ケアリーは若い頃、靴の修繕工でした。

幼い頃から、敬虔な両親とともに、日曜日には教会の礼拝に行き、聖書も読んでいましたが、その信仰生活は形式的なものでした。

そんな中、ある青年の個人伝道によって、彼はイエス様を救い主として受け入れます。

しかし、若いケアリはお金を盗み、「盗んでいない」という彼のうそが発覚して、恥をさらしてしまいます。このことで自分の弱さを徹底的に悟ったケアリは、17歳の時、人生をイエス様へと明け渡し

あちこち歩き回って福音を語るようになります。そして彼は大きな夢を描きました。

 

かつて彼は靴の修繕だけをしていたので希望がなく挫折していましたが、イエス様に人生を明け渡してから心の中に夢が生まれたのです。その夢は立派な宣教師になるというものでした。

彼は靴を修繕する店で、自分が座る目の前に世界地図と3つの標語を書いた紙を貼り、毎朝それを見上げて一日をスタートしたのです。

その紙に記されていた3つの標語とは、「大きな夢を持て!大きな祈りを捧げよ!大きく期待せよ!」でした。

そして宣教師になる夢を思い描き、期待して祈った結果、次第に彼の心には「インドに行って伝道したい」というはっきりとした願いが生まれたのです。

後に、彼はインドの歴史上最も有名な宣教師となった。

 

ケアリは、ラテン語、ギリシャ語、ヘブル語、フランス語、オランダ語を学び、十代のうちに、六か国語で聖書を学び、新約聖書をインドのベンガル語に翻訳し、フォートウィリアム大学の語学教授になる。1824年まで6ヶ国語の聖書を完成。その外にも、数多くの国語で、たくさんのトラクトや信仰書を著した。さらに、ミッションスクールのセランポー大学を設立する。

 

ケアリは宣教師としての悲しみも多く経験した人だった。

7年目に初めてインド人の中からクリスチャンが生まれたが、迫害のゆえの殉教者も出た。

聖書翻訳という宣教の方法に確信を持つまでの苦労や、宣教師家族の持つ特有の問題、経済的問題、息子の死、そして妻も、12年間精神を病んだ末に亡くなる。

また、出版事業が軌道に乗った矢先に印刷所が火災に遭った。

1793年にインドに渡り、1834年、73歳で一度もイギリスに帰国せずに、インドで死去した。

 

「神から大きなことを期待せよ。神のために大いなることを企画せよ」

 

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