イザヤを通して、神様はバビロンの最終審判のビジョンを与えました。

イザ13:3 「わたしは怒りを晴らすために、わたしに聖別された者たちに命じ、またわたしの勇士、わたしの勝利を誇る者たちを呼び集めた。」

 

イザヤ13:3の70人訳Greekを見ると、これは巨人を呼び寄せ、滅ぼす預言です!

I give command, and I bring them: giants are coming to fulfil my wrath, rejoicing at the same time and insulting.(*他訳ではGiantsは出てこない、)

直訳:私は命令を出し、彼らを連れてきます。巨人は私の怒りを実現するためにやって来て、同時に喜び、侮辱します。

 

更に、同じイザヤ書にある世の終わりの状況を新改訳では、

イザヤ13:21 「そこには荒野の獣が伏し、そこの家々にはみみずくが満ち、そこにはだちょうが住み、野やぎがそこにとびはねる。13:22 山犬は、そこのとりでで、ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない。」

 

ダチョウと野やぎが出てきて平和なイメージですが、70人訳Greekは異なる訳です。

Isaiah13:21 But wild beasts shall rest there; and the houses shall be filled with howling; and monsters shall rest there, and devils shall dance there, 

直訳:しかし、野獣はそこで休むでしょう。 家々は遠吠えで満たされなければならない。 モンスターたちはそこで休み、悪霊たちはそこで踊る。

 

70人訳Greekの終末預言は、モンスターである堕落天使の遺伝子を持つ雑種の巨人ネフィリム復活や666刻印を受けた人間たちが増え、キメラ生物や恐竜も復活して、悪霊たちが喜び踊るのです。

 

最大の問題は、666刻印です。 

巨人ネフィリムは堕天使と罪ある人間の交配種ハイブリッド雑種であるがゆえ、天国には入れないことです。

洪水前の時代からDNAを持って来て、ネフィリムのクローンを創造しているだけでなく、彼らはある特定の遺伝子を取り出しています。これは将来重要になりますが、伝染病などに対するワクチン予防接種でチップを受けた人に化石の骨から抽出したネフィリムの遺伝子を注入する計画です。

 

その後、反キリストが現れる頃に、右手か額にスタンプのような刻印を押されると、ネフイリムの遺伝子にスイッチが入り人間の遺伝子が変えられて獣の刻印となり、神様がお造りになったDNAを無効にしてしまうのです。遺伝子が無効になるので神様は私たちのことを神様の子どもと認識しなくなり、神様の救済も受け取れなくなります。DNAが悪霊に取り憑かれたことになるのです。

666受けたら人間だけに許されたイエス様の救いから落とされ地獄に行ってしまいます。イエス様の救い対象は純粋・純血なDNAを持つ人間だけで、堕天使のDNA混入の雑種は救われません。

 

獣=巨人ネフイリム  刻印=刻んで入れる印 ネフィリムの遺伝子注入 人間と堕天使、巨人ネフイリムの混血雑種になる。 堕天使、悪霊との混血は、取り返しきかない滅びの災難です。

 

ルカ13:1 「ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。13:2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」

 

遺伝子組み換え技術という試みは、純粋な捧げ物ではない人工的な人為的災難です。神様が受け入れない、いけにえに混ぜた獣の血です。

 

肉体の癒し 一本の木

 

霊魂の癒し主イエス様は更に肉体の病をも癒してくださいます。

 

 今の時代は過去のどんな時代よりも食物が危険な時です。アダムのため呪いを受けた土地であるため、野菜も果物も穀物も全て地上から生じる産物は、全くの無農薬では生産出来ないようになっています。

 

 すでに汚染された土壌に、より多くの収穫のための農薬や化学肥料に殺虫剤、収穫後は防腐剤に光沢のワックス塗り。

 あたかも野菜畑と言うより野菜工場と言った方がふさわしいような現代農業です。また、輸入品の放射能汚染や、遺伝子組み替え食品の発ガン物質の心配。家畜においては太らせるための諸々の抗生物質や成長ホルモンに化学飼料。更にはダイオキシンや酸性雨。大気汚染や有害物質等、私たちを取り巻く食物と環境は、いつ健康を害しても不思議でないほど悪化しています。事実、病気の多くは食べることから原因している物が多くあります。

 

アメリカで警視庁が発表したデータによると凶悪犯罪で検挙された第一級受刑囚のうち約7~8割は食生活が乱れており粗悪なスナック菓子やレトルト食品のような栄養の乏しくかたよった食生活を繰り返していたことが知られています。すなわち栄養のバランスが乱れている所から精神面にも不安定をまねき、最近の言葉で言うきれやすい性格を作っていたというのです。栄養のバランスがとれた家庭料理を家族と共にとるという本来人間当たり前の基本を正すことからも相当分やまいを未然に防げるようです。

 

また、日本のような火葬制度ではない葬儀スタイルをもつアメリカでは最近、死後、土葬された遺体が通常なら数ヶ月で自然と朽ち果ててくるはずのものが数年たっても腐らずにむしろ風化したままミイラになってしまうものがあると報告されています。その意味は食物に含有している防腐剤が食物摂取とともに一生涯体内に蓄積され続けてやがてはその人自身も腐らずにミイラ化されてしまう現象であり、現代の食物から来る目に見えない害は確かに人類をむしばみつづけているという一つの証しです。

 

 出エジプト記十五章二十五節では、イスラエルの民が荒野の旅路で飲んだマラの水に腹痛を覚え苦しみました。苦くて飲むことが出来ない毒のような飲み水だったのです。しかし、この汚染された苦い水を飲むことの出来る甘い水へ変える奇跡がそこにありました。これはむしばまれる現代人にも必要な特効薬です。主から示されたモーセが水に投げ込んだ一本の木です。

 

 これが奇跡を起こし、飲めるように水質を改善したのです。今日、この飲み水を癒した一本の木はイエス様の十字架を象徴します。私たちが食前毎の感謝の祈りを捧げる時、イエス様の十字架の血潮が食物中の有害物質を解毒し、安全な食べられる聖い物に変化させるのです。

 

「食物は信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受ける時、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りによって、聖められるからです。」(Ⅰテモテ四・三~五)。

 

 ですから、私たちは市場に売っているものは偶像に捧げられた食物以外は何でも安心して感謝のうちに食べられるのです。万一、悪いものを食べて腹痛を起こしたならば、胃袋というにがいマラの水に十字架の木を投げ込んで手を置き、イエス様の血潮の能力で祈って下さい。 御言葉は信者に約束します。

 

「信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けずまた病人に手を置けば病人は癒されます。」(マルコ一六・一七、一八)。

 

 信じる人々なるクリスチャンは病を癒し、目には見えなくとも病人の背後に実在して働く霊的存在、病の悪霊を追放することができるのです。全ての病が悪霊によるものではありませんが、ヨブを苦しめた病のように悪霊に原因するものもあります。

 

 信仰を持ってから私は不思議に知識の言葉の賜物を受けました。これは預言に似ているけど、また異なる賜物で、通常分からない霊の世界の色々なことが、ある瞬間聖霊様によって開かれ見えることがあるのです。初め、救われた頃主日礼拝中に一番前に座り聖徒の一人として御言葉を聞いている時、幻におちました。夢は寝ている時見ますが、幻は起きていながら見えるのです。脳の幻でした。不思議と気持ち悪くはありませんでしたが、私は初めこれを何かの私の罪のゆえだと思い、怖くなって心を探り悔い改めをしました。しかし、この鮮やかな脳の幻は一向に消えません。そこで今度はこの幻は悪魔によるものだと結論付けて心の内に命令しました。

「脳みその悪魔よ出ていけ。」

 しかし、私は礼拝を妨げる全く無秩序な悪魔の仕業だと思い、命令したけれども一向に幻は消えません。そこでよく見ると悟りが来ました。脳の右上の所に黒い石のようなできものが見えるのです。これが悪いものだ。

「イエス様の御名で命じる。この石ころ消えろ。」

 そう心の中で祈り命じると、今度はこの石だけが消えて全く癒された鮮やかな脳になって幻全体も消えました。不思議な幻でした。意味も分からず当惑しているとメッセージ終了後、講壇から牧師先生が報告しました。

「今日私たちの教会員のある姉妹が脳にできた腫瘍を取り除く難しい手術をしていますから、そのためにお祈り下さい。」

  悟りが来ました。イエス様は癒し主なのだ。その後も病んでいる体の一部分の幻が肢体として見えることの意味が分かりました。

 

 ある日、私は激しい偏頭痛で苦しみ、強い頭痛薬を飲んだけれども全く効果がありませんでした。そこで、「これは霊的な病だ、信仰で戦おう。」と決心してしばらく祈るとうっとり夢心地になりました。この眠り自体、現実の頭痛の激痛よりの救いではありましたが、それ以上に啓示の夢を見ました。見ると私の頭から背中にかけて、何か透明な半液体状のボンドのようなべっとりとした厚みあるものが衣服の上着か長服のように巻きついてくっついていました。

「ああ、これが頭痛を起こす病の悪霊だ。」

私はこの透明なべったりくっつく物体を捕まえて、力強く持ち上げ命じました。

「イエス・キリストの御名によって出ていけ!。」

そう命じて投げつけるとこれが体からガバッとはがれて、遠く投げ飛ばすことができたのです。そしてすぐに目覚めると先程まで床を転げまわる程苦しかった偏頭痛が完全に癒されて聖霊様の喜びだけが満ちていたのです。悟りが来ました。

 

「私は今まで色々な悪霊どもと夢や幻、実際にも戦って追い出しているけど病の霊だけは他の悪霊と違って、いつも透明で目に見えない性質の悪霊なのだ。だから時々その存在がこのような人の体の一部分の肢体についているシミや腫瘍の幻として示されるのだ。」

 

  病の霊は夢や幻で人間のような形で姿が見える他の悪霊どもと全く違って、霊の世界でもその姿が見えない特別な性質を持つ悪霊ですが、他の悪霊同様、実在します。ヨブは悪性のライ病に侵された時、その状況をこのように告白しています。

 

「夜は私の骨を私からえぐりとり、私をむしばむものは、休まない。それは大きな力で、私の着物に姿を変え、まるで長服のように私に巻きついている。」(ヨブ記三十・十七、十八)。

 

ヨブの証しした体験は本当に文字通り着物に姿を変え、長服のような形で張りつく見えない大きな力を持つ病の霊による苦しみであったと私は確信します。これを祈りの力で追放しなくてはいけません。

 

 霊的戦いには経験深かな指導者が絶対必要です。私の場合、私がこの世に捨てられ、霊的指導者もなく、夜ごとに数々の悪霊が現われては、首しめと暴力によりひどい苦しみを受け、絶望のどん底にあった時、私を見出して拾いあげてくださった私の妻の母であり、生涯の恩師である純福音教会の宣教師である朴栄玉牧師先生です。

私はこの真実な牧師先生の大きな愛と犠牲の中で育てられました。朴牧師先生を通して現われた癒しの奇跡を一つ証しさせていただきます。

 

以前私たちの教会に心臓病をひどく煩う聖徒がいました。三ヶ所の病院に行きましたが、同じく治療不可という本当に死を待つばかりの重病患者でした。そんなある日、水曜礼拝に来てメッセージを聞いていた時のことです。姉妹は突然幻を見ました。講壇の朴牧師先生の上に白く長い衣を着たイエス様が立たれ、その足元から真っ赤な血潮が流れ出ているのです。そしてその血潮の川が次第に自分の座っている席の方へゆっくり流れてくるのです。姉妹があっと思う間にその血潮の川は自分をとらえ、心に熱いものを感じました。「私は今癒された。」聖霊充満の喜びのうちに礼拝後、病院に行き、検査をしてみると完全に癒されていたのです。ハレルヤ。イエス様の血潮は肉体の病も癒す神様の力です。

 

 また、ある姉妹は大変なひざの痛みがあり、階段を降りるにも一段一段がゆっくり静かな真剣勝負でした。そんなある日のこと。金曜徹夜祈祷会で姉妹が祈っていると突然目の前に開かれたクリアーな幻が現われました。そこに見たものはひどくむち打たれ、引き裂かれたイエス様の背中そのものでした。イエス様の背中には無数のむち打たれた傷跡が生々しく残り、深く肉がえぐられており、そこから真っ赤な血潮が大量に流れ出ていました。幻を見つめるうちにイエス様のみ声が聞こえてきました。

 

「あなたが信じようと信じまいと、私は現実にあなたの癒しのためにむち打たれたのです。なぜこのことを信じないのですか?。」

 

姉妹は驚きのあまり震える声で繰り返し告白しました。

「信じます。信じます。信じます!。あなたは私のためにむち打たれて血潮を流し、苦しまれたことを。私は信じます。イエス様の打ち傷によって私は癒されました!。」

 

その日の帰り道、姉妹は階段の所ですでに完全に癒されて自由に昇り降りできる自分を再発見しました。ハレルヤ。

 

 トルコの聖リピヤ寺院に「イエスの審問及び処刑に関してカイザルに送ったピラトの報告書」という五十冊に至る当時のローマ皇帝への報告書が所蔵されています。これは聖書の証言の上に出るものではありませんが、確かな昔の公文書です。

それによるとイエス様が人として歩まれた当時、荒っぽく傲慢な律法学者やパリサイ人たちからイエス様の言動に対する抗議が毎日のように総督府に寄せられ、イエス様に対する陳情書がカイザルに提出されたこともあって、更なる迫害と暴動を懸念した総督ピラトは手紙を送って、イエス様と総督府で一度出会ったといいます。それは公生涯のうち、三年が過ぎたくらいの時期、十字架を直前にしてのことです。その時、イエス様は総督府のピラトに対して静かに語られました。

 

「地の君主よ。…まことにあなたに告げますが、シャロンの薔薇が咲く前に正義の血が流されるでしょう。」

 

 そこで、総督ピラトはナザレの青年イエスの謹厳で、崇高な態度と語られた御言葉に深い感動に打たれて、意味もわからずに答えました。

 

「あなたの血は流されないであろう。」

 

 しかし、その後過越の祭りがおとずれ、イエス様の定めの時が来ました。ピラトの庭でむち打たれ流れ出たイエス様の血潮はゴルゴタの丘へ連れ出される途中、総督府の玄関の階段に点々と、こぼれ落ち、そこにそのまま染みついていたと記録されています。これほどまでにイエス様は大量に出血され、肉の衣を裂き十字架につけられていたのです。更に十字架の上でも生き続け、動くため手足の釘打たれた傷はかさぶたでふさがらず流血は続いたのです。

 

「ああ、私は悲しい。この傷のために。この打ち傷はいやしがたい。そこで、私は言った。『まことに、これこそ私が、負わなければならない病だ。』」(エレミヤ一〇・一九)。

 

エレミヤは知らずしてイエス様の打ち傷を預言していたようです。私たちの身代わりとなって、苦しんで血潮を注がれたイエス様の恵みを感謝して癒しを受け取りましょう。 

 

聖書は断食についても勧めておりますが、断食治療には神様よりの直接の癒しに加えて医学的にも血液中の老廃物を取り除き、健康を回復する作用があり、長寿の秘訣でもあることが今日、知られております。また、人の命は血にあることも聖書は教えており、輸血も薬も認めております。ヒゼキヤの腫れ物にはひとかたまりの干しいちじくが薬として神様から与えられており、恐れが多くストレスから胃腸が弱かった若いテモテには少量の葡萄酒を薬としてパウロは勧めております。

 

 薬について黙示録三章一八節では空中携挙直前の今の時代は医学も発展し、物質的に豊かな時代ですが、霊的に盲目とならないように、主から目に塗る目薬を買うように勧めております。聖書はまた、西洋医学ばかりでなく、東洋医学も認めております。

 

イエス様が奇跡的に盲人を癒された時、イエス様のつばきを中東の泥に混ぜたものを盲人の目に塗ってシロアムの池で洗うように言われました。イエス様のつばプラス中東の土、これは立派な漢方薬でしょう。

 

ですから、私たちは病気になって病院へ行ったり、薬を飲むことは不信仰でありません。病院も薬も神様が癒しの手段の一部として、この世に置かれたものです。

 

ただ、現代医学でも治療ができなかったり、特別に信仰が生じて導かれた時は薬を投げ捨てて、断食して祈りを求めて冒険して下さい。癒しの奇跡を現実に信じる時、

イエス様の血潮が流れてきて奇跡を起こします。

 

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