アメリカから律法基準満たす赤い牛到着:

提供はクリスチャン農家

完璧な赤牛を提供したクリスチャンのバイロン・スティンソンさん

新年に先立つ15日、アメリカのテキサス州から、育った土地や、食料などが律法の基準にあっているとされる赤い牛5頭が、ベングリオン空港に到着した。もしそのままイスラエルに定着させることができれば、第三神殿が完成した際には、大贖罪日のささげものにする可能性が出てくる。なんともタイムリーな到着である。

聖書の民数記19章には、かつて贖罪の日に、全イスラエルの罪をあがなうためのいけにえとして捧げられていた赤い牛についてが以下のように書いてある。

傷がなく、まだくびきの置かれたことのない、完全な赤い雌牛をあなたのところに引いて来させよ。あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡せ。彼はそれを宿営の外に引き出し、彼に前でほふれ。祭司エルアザルは、指でその血を取り、会見の天幕の正面に向かってこの血を七たび振りかけよ。(民数記19:2-4)

第三神殿推進派たちは、ここに書かれている「完全」に赤い雌牛の育成を試みてきたが、これまで、律法にかなう土壌や餌で育てた赤牛で、100%の赤毛のものを得ることができなかった。今年初頭、「Temple Institute(神殿研究所)」は、イスラエルでも100%の赤牛の育成を試みてきたが、まだ99.9%で、1%違うので、まだ使えないと言っていた。

しかし、この度、アメリカのテキサス州で5頭の赤い牛が、ついに100%と認定され、イスラエルに搬送された。100%赤毛であるだけでなく、傷もいっさいない、1歳未満の牛たちである。これほどの完璧な赤牛は、神殿があった2000年前以来とのこと。

驚いたことに、この牛たちを提供したのは、クリスチャン農家で、“ブネイ・イスラエル(イスラエルを建てる)”というミニストリーのバイロン・スティンソンさんである。

 

 

 

牛たちは、ハイファ1週間隔離のあと、イスラエルの農家2軒に引き継がれ、一般に公開される予定。実際にささげものになるのは、3年後になるとのこと。

イスラエルでは第三神殿建設に向けた準備が水面化で進められているが、3年後までに神殿ができるのかも!?

www.jpost.com/judaism/article-717650

ということは、再臨まであと3年はある!?

 

次々と出現する終末の「予兆」

最近、主にイスラエルで、「終末の預言のしるしとして聖書に描かれている」ことが立て続けて起きて、話題となっています。その3つは、

・イスラエルに2000年ぶりに「赤い牛」

・死海に魚が生息していることが確認された

・嘆きの壁にヘビが出現した

いずれも、聖書の預言成就ですが、終末の近いしるしです。

ユダヤ教の聖書である「モーセ五書」の注解の書「ミシュナー」には以下のように記されています。

ユダヤ教の書「ミシュナー」より

10番目の赤い雌牛は主であるメシアの手によって出現することになるだろう。これは神の意志である。

つまり、赤い雄牛は「神の意志により出現する」とされているもので、それが出現すれば、イスラエルは「第三神殿を建設する時期がやって来た」と宣言できるのです。

と、同時にメシアの手で出現とは、アメリカから反キリストが出るという暗示だろうか・・・。

次々と出現する「予兆」の意味

平均して毎日1個ずつのシンクホールが開き続けている死海。現在では死海周辺に 3000個のシンクホールが開き、死海の消滅は時間の問題だとされています。

 

シンクホールとは、地下水による浸食、あるいは何らかの化学的な変化によって、地下にある岩石または空間が崩壊し、地表にまで到達する大きな穴が開く。地下で空洞が発達し表層が崩落して生じる陥没孔。魚回復は終末の前兆です。


エゼ47:7 私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。
 47:8 彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。47:9 この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。 47:10 漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。47:11 しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。47:12 川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。
 

イスラエルの 9月5日の報道です。輸入とはまた違う記事!?どっちが本当?

救世主の予兆:イスラエルに赤い雌牛が生まれる

Harbinger to Messiah: Red Heifer Is Born

エルサレムの神殿研究所が行っていた「赤い雄牛プログラム」がついに成果を出すことに成功した。

9月上旬、完全に赤い雌の子牛が生まれたのだ。

これにより、ソロモン第三神殿の建立計画を再度確立し、寺院再建へ向けての最終段階への道が開いた。

今から約 3年前、神殿研究所は、イスラエル政府のプログラムのもとで赤毛の牛を育て始めた。

イスラエルには生きている牛の輸入を制限する法律があるために、神殿研究所は赤いアンガス牛の凍結した胚を輸入し、イスラエルの牛にそれを移植した。それにより妊娠した牛たちはイスラエル各地の飼育場で飼育された。それらの牛は今年の夏、何頭かの仔牛を誕生させた。

その中に、今回生まれた「完全に赤い雌牛」がいた。

赤い雌牛の出生から1週間後、生まれたばかりの赤い雌牛はすべての聖書の要求を満たすとしてイスラエルのラビたちによって認定された。今回、自然な出生から生まれた雌牛は、完全な赤い色を持ち、また、いかなる労働のために使用されたことがあってはいけないという条件も備えている。

ユダヤの伝説では、人類史上において十頭の赤い雌牛が救世主時代を導くとされている。

 

 

エデンの園をもう一度!

 

 エデンの陸、海、空、驚天動地の福音です。聖書と照らし合わせて注意深く研究考察すれば必ず神様の完成された人類救済計画をさらに深く正確に理解でき、神様に栄光をお返しできることと信じます。

 

        「エデンの園」

 

 自然には人をひきつけ、ストレスを除き、心に安らぎを与えるすばらしい魅力があります。私は教会では講壇に美しい花を整え、雰囲気と空気を良くする植物を増やしました。そして週に一日は休日に定め、なるべく外に出て自然を求めて自由に遊ぶように心がけています。六日間、牧会で右回りになった頭の回転を思いっきり左回りに戻す休息の一日は、その後の働きの能率を高めるとても有意義な時間であり、神様の定められた一つの法則です。そこで休日に趣味の小さな野菜畑を作ってみました。小さな畑を借りて掘り下げ、山から肥えた土を運び入れ、豆腐屋からもらってきたおからや魚などの残飯を肥料として土を作りました。ミミズをたくさん放ち、土地を耕す使命を与え、カマキリとトカゲとカエルも捕まえてきては放ち、畑の野菜に付く害虫駆除の使命を与えました。こうして三十種類の野菜を新鮮有機無農薬野菜として育て上げ、花やいちじくや葡萄、さくらんぼの木等も育てました。しかし、後にはトカゲがカエルを食べてしまったのか、姿が見られず、ついにはカマキリも飛び去り、トカゲも見えなくなってしまいました。代わりに小さな汚い害虫がどこからともなくわき出て来て、その中で互いに食物連鎖を成し、肥料を分解したり、大きい虫が小さい虫を食べたりしながら、一つのバランスある小世界を形成し、本来の自然に近くなってきました。けれどもアダムゆえ呪いを受けた現在の土地では呪いの産物、害虫が緑の野菜をも食い尽くしてしまい、全く100パーセント有機無農薬野菜作りは不可能であることを思い知らされました。

 

 また、私は子どもの時から生き物が大好きでいろいろな生き物を捕まえて来ては育てていました。ゴムボートで海の深みに漕ぎ出しては釣りをして、浜ではうに、なまこ、各種の貝類、かに等を捕らえ、山ではくわがた、ヘビ、トカゲ、サンショウオ、里ではカエルからザリガニに小魚、イモリ、キリギリス、店では買ってきたカメ、ワニ、にわとり、うさぎ、鳥、ハムスター、犬・・・いろいろと育てては繁殖させて楽しんでいました。大人になった今は、只一つ、九十センチの水槽をオアシスに仕立てたくさんの水草を植込み、種々の美しい熱帯魚を泳がせ、目で見て楽しむ小さな楽園を作りました。牧会が忙しくなってきたためあまり深くは没頭しませんが、聖書中、本格的に森や池まで作り、自然環境を満喫した人にソロモン王がいます。(伝2-4~10)。

 

 私はこれら一切の体験を経て、今一つの悟りがあります。人間には霊においては、神様を絶えず慕い求める飢え渇きの心があり、肉的環境では、あの失われたオアシス、エデンの園を慕い求める欲求が本能的にあるということです。私の心の願いもすべてエデンの園の中にあるということです。では、エデンの園とは一体どんな環境だったのでしょうか。

 

 第一に創世記によるとエデンには園を歩き回られる主なる神様が共におられ、霊的に祝福された土地でした。いつでも主に話し掛ければすぐに祈りの答えを受けられる環境です。

 

 第二にエデンの園はおいしく実を結ぶ豊かな各種の木々と美しく香りを放つ花々が咲き乱れ、木の実を取って食することにより健康に恵まれ、特に命の木の実を食したならば永遠に生きることも出来た最良の肥えた一等地でした。

 

 第三にエデンの園には当時、草食性であった人間にとってユニークな友として動物たちや鳥、昆虫、魚等満ち溢れ平和と命に満ちた楽園であり、四つの川が園を潤す目的で流れ出て、湿潤でそこには金、銀、あらゆる宝石があり、物質的にも何一つ乏しいことのない完全な土地でした。(創世記1-29、2-10~14、エゼキエル28-12、13)

 

 第四にエデンの園には楽しみ、感謝、賛美、歌声があり、精神的にも恵まれていました。

「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(イザヤ書51-3)

 

私たちが今日、教会を賛美で満たそうといろいろな楽器を用いて練習することも結局、神様を賛美礼拝する失われたエデンに響く歌声を、もう一度回復しようとしている努力です。

 

 第五にエデンの園の優れた環境の只中でアダム自身が祝福されていました。彼は、神様の創造物を毎日楽しんで感謝と信仰で生きることが許され、心が幸福感に満たされていたのです。エデンの園は寒すぎることも、熱すぎることもなく気候が温暖、快適でアダムは服を着ない裸でも生活できた程優れていたのです。今日のような冷暖房も空調設備も一切必要無く、裸足で歩くアダムを害するイバラやアザミのようなトゲもない人にやさしい地球だったのです。

 

 創世記2-19によると神様はアダムに対してふさわしい助け手なる女、エバを創造されました。その時エバは始めの産まれつきから結婚適齢期の女性として造られ、赤ちゃんエバ、少女エバという成長過程における一切の時間と空間のプロセスを超越して創造されたことが次の御言葉から解ります。

「これこそ今や、私の骨からの骨。肉からの肉。これを女と名づけよう。これは男からとられたのだから。」(創世記2-23)

 

エバの美しさに魅了され、これを賛美して喜ぶアダムの言葉は決して子どもの言葉ではなく、子どもに対する言葉でもなく、まさにアダムの心を満足させ、捕らえるに十分な大人への愛の告白です。主は今日でもご自身の愛する者のためには、時間と空間のプロセスも飛び越えて、必要なものを完成された状態で眠っている間にも備えて与えて下さる善いお方なのです。(詩篇127-2)。

 

アダムはさらにこの時、初対面のエバを見るや否や、そこで即興で最もふさわしく表現力豊かな言葉をもって女、エバをほめています。

「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉、これを女と名づけよう。」

なんと詩的で文学的に優れた愛の表現法でしょうか。一般の凡人には思いもつかないような絶賛する言葉です。もし、これが私だったらこう言うかもしれません。「うわー。美人だな。あなたは私にぴったりですね。仲良くしましょう。」

この程度のほめ言葉が限界でしょう。ですから、アダムの内には今日見られる芸術家や文学者、優れた詩人の原点が見えるのです。

 

今日も主と共にいる人はアダムのように感受性もだんだん豊かになり、研ぎ澄まされた情緒と表現力を持つようになれます。こうして、夫婦は霊、魂、肉一つに調和し、互いに愛し合う完全な存在だったのです。しかし、どうして今日の激しい離婚率にみられるような夫婦間の愛が冷めた時代となったのでしょうか。それはサタンに誘惑され、人間に与えられた尊厳と自由意志を乱用したアダムとエバが善悪の木の実に手をつけ、これを取って食べたこの堕落のためです。後に預言者ホセアは善悪の木の実を取って食べたアダムの行為をこう言いました。

「ところが、彼らは、アダムのように契約を破り、その時、わたしを裏切った。」(ホセア書6-7)。

すなわち契約破りであり、神様への裏切り行為と評価したのです。

 

 また、ヨブはこう言いました。「あるいは、私がアダムのように自分のそむきの罪をおおい隠し、自分の咎を胸の中に秘めたことがあろうか。」(ヨブき31-33)。ヨブはこれをアダムのそむきの罪、アダムの咎と指摘したのです。

 

 以前、私もアダムについて考えていたことがあります。私の場合、聖書を研究した後アダムへの評価は怒りといきどおりでした。「アダムが罪を犯さなければ、人類は地獄に行かず、平和でよかったのに。アダムがすべて悪い。」

本当に心の底から人類を代表するような誤ったいきどおりが生じて、しばらくの間、私はアダムを憎んでいました。そんなある日、ルカ伝3-38を読んでいると今まで無味乾燥したように思えていたこの系図の最後に、この御言葉を発見しました。「…エノスの子、セツの子、アダムの子、このアダムは神の子である。」

私はこの御言葉を読むや否や目からはりとうろこが取れたようなレイマとなって心に突き刺され、悟りがきました。

「聖書では、神様がこの罪人アダムを「神の子」と言って赦して、受け入れている。神様が受け入れているのに赦さない私は誰だ?。」私はそこで悟って悔い改めました。「主よ。アダムを憎んでいた罪を悔い改めます。私も同じ罪赦されたものです。きっと私もエデンの園にいたら同じく罪を犯していたことでしょう。いや、それ以上かもしれません。イエス‐キリストの御名でアダムを赦します。アーメン。」私がこう祈り終わると即座に心は晴れやかになりました。御言葉の力に感謝します。

 

創世記3-17では罪犯した直後のアダムへ審判の御言葉が宣告されています。

「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地はあなたのゆえにのろわれてしまった。」実に、この時から呪いを受けた土地は地力を失い人を害する蚊、あぶ、はえ、のみ、しらみ、各種の疫病菌、新鮮有機無農薬野菜をむしばむ、いろいろな汚れた害虫等が出て来たのです。ですから害虫は呪いの産物です。

 

 さらにこの呪いの力は全世界に及び、動物界においても弱肉強食の新秩序をもたらし、人間もまた「種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。」(創一・二九)と定められていた本来の草食性から助け手だったお友達の動物を殺して食べる肉食性の存在へと激変したのでした。もちろん今は祝福の源イエス様が宣言された通り(マルコ伝7-19)すべての食物は聖く、毒でない限り、動物も鳥も植物も食べてよい時代です。

 

創世記3-24では、「こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るためにエデンの園の東にケルビムと輪をえがいてまわる炎の剣をおかれた。」とあり、結局、罪を犯し呪いを受けたアダムとエバはみじめにもエデンの園を追い出され、霊・魂・肉すべての祝福を一夜にして失ってしまいました。今、すべての人々の心の願いは、変わらずこのエデンの園の中に元々あった魂が恵まれ、すべての事に恵まれ、健康であることに要約されます。しかし、追放されたエデンの祝福の中へもう一度入ろうとする人々の幸福追求の手段にイエス様の血潮信仰の力で入ろうとせず、人間の肉の力で入ろうとするところに現代人の諸問題が生じています。人間の作った宗教や倫理、道徳、教育、哲学等ではエデンの祝福には決して入れず、むしろエデンの東にケルビムと輪をえがいてまわっている炎の剣の害を受け、火傷と傷を受けるばかりです。エデン追放後の旧約時代も人々は続いて失われたエデンの幸福を追求しています。そこで神様から示された天国の模型、至聖所がありました。

 

「あの中に入れば主と出会い、あの失われたエデンの祝福をもう一度取り戻せるにちがいない。」と誰もが期待したことでしょう。しかし、現実は厳しく、その入り口には大きく、ぶ厚い仕切りの垂れ幕があり、そこにもあのエデン追放以降現われた炎の剣を手に持つ御使いケルビムの刺しゅうがエデンを守る番兵のごとくに巧みにおりあわされ封印されていたのです。(出エジプト記26-31)しかも大祭司だけが一年に一度入れるだけでした。

 

 しかし時代は変わり、時が移りすぎて新約時代。イエス様が十字架上ただ一度ご自身の肉体という垂れ幕を裂いて血潮を流し、死なれた時、神殿の垂れ幕も超自然的に二つに引き裂かれました。そのためケルビムの封印も一緒に破れて取り除かれ、真の新しい生けるエデンの道が再開したのです。ハレルヤ。

 

今は誰でもイエス様の血潮を携えて御許に行けば、真の至聖所、天国に入れ、エデンの祝福に入れます。エデン入場は現実に可能です。エデンの園とは遠く「ほら、そこにある。あそこにある。」というものではなく、私たちの只中、心の中から実現します。マラキ書3-12では収入の十分の一を神様のものとして認め、善悪の木の実のように取って食べないで主にお返しすることにより、昔も今も、このエデン同様の祝福が臨むと契約されています。(ルカ伝11-42)。

 

マラキ書の祝福は第一に、天の窓が開かれあふれるばかりの霊的祝福であり、第二に、イナゴのような悪霊がしかられて追放され、土地の産物、畑の葡萄の木が豊作になる物資的祝福であり、第三に、捧げたその人自身がしあわせものとなり、喜びの地となるという精神的、肉体的健康の祝福が訪れます。ここで神様の約束「あなたがたが喜びの地となる。」(マラキ書3-12)に用いられた「喜びの地」とは、原語が「パラディソス」であり、それは「喜びの園・エデン」とも訳せます。ハレルヤ。十一献金を通して心の中にエデンの園が誕生するのです。その心には、園の主・聖霊様が歩き回られ、楽しみと喜び、感謝と歌声があるのです。(イザヤ書51-3)。

 

三愛運動の力

 

デンマークは1864年、ドイツとの戦争で敗れ、莫大な賠償金を課せられました。また、穀倉地帯を全てドイツに奪われてしまいました。その結果、穀物を生産することのできない険しい山岳地帯だけが残りました。若者たちは戦争から帰って来て真昼からお酒に酔っぱらって暴れ、女性たちは外国人に身体を売って、その日の糧を得てデンマークの国民は耐え切れない苦難に直面していました。

その時グルントヴィヒ牧師が立ち上がって、三愛運動を叫んだのです。

「今こそ、まず神様を愛そう。国を愛そう。自分の家庭を愛そう」と。

 

そして国民高等学校を設立して、教科過程の50%以上を聖書によって作りました。また、農民学校を建て、聖書を基盤とした精神的な資源を供給しました。

 

グルントヴィヒ牧師は、青少年をしっかりさせ、国の未来を夢見るためには、神様の御言葉しかないと信じて、先の3つのモットーをもって国民運動を始めたのです。その後、デンマークは驚くほど変化し、希望もなく絶望だった国が地上の楽園となり、今日、世界的な福祉国家となりました。彼らの考えが変わって、夢が変わったからです。

その信仰によって変わったので、デンマークの運命が変わったのです。環境が変わることを待つのではなく、聖書を土台として、考えを変え、夢を変えることなのです!信仰によって、語る言葉を変えることなのです!そうすれば環境が変わるのです。グルントヴィ牧師を通して希望が撒かれると、混乱と挫折の中にあったデンマークは、絶望の地から地上の楽園に変わったのです!


  
日本のプロテスタント宣教の歴史の中で大きな影響を与えた三浦綾子さん。三塩狩峠をはじめ、信仰をベースにした小説を書きましたが、なぜ小説を書くようになったのでしょうか。

 

実は結婚当初、夫の光世さんの給料が少なかったため、生活が苦しかったそうです。それで小さな店を開いて商売を始めたのですが、正直で親切な商売をするので客はどんどん増え、毎日トラックで品物を積んできても売り切れてしまうほどだったそうです。

 

ところがある日、夫が帰って来て、「どうしたものかな。私たちの店のせいで、他の店がつぶれてしまった。今日、あの向かいの店も閉じてしまったそうだ。」と心配して言いました。それを聞いて心を痛めるんですね。どうしましょう、自分たちのせいで他の人たちを苦しめるようなことがあってはいけないわ。それで次の日から大量に仕入れていた品物を大幅に減らして何種類かだけを選んで置き、客が品物を買いに来たら、他の店に行くように勧めたのです。するとどうなったでしょうか。

 

商売あがったり・・というところですが、そのことで逆に時間に余裕ができ、好きだった読書や文章を書くことができるようになり、当時募集していた朝日新聞社の懸賞金付き小説に応募することができたのです。それは1,000万円という当時としては破格の懸賞金でした。それに選ばれたのです。こうした生まれた小説が、あの有名な「氷点」です。

 

自分たちの店のために他の店がつぶれてしまうという問題の中で、いったいどうしたらいいかと悩みつつ、結局、自分たちの店を縮小してでも他の店に影響が及ぼすことがないようにとしたことが、小説家としての道を切り拓く結果となったのです。神を愛する人たちのために、神はすべてのことを働かせて益としてくださるのです。私たちは、そうした神のご配慮を信じているのです。

クリックで観られます。https://youtu.be/ldFyTpLR4O0

2022年10月2日 泉パウロ フロリダ史上最大級のハリケーン・イアンは人工的な気象兵器HAARPによる攻撃の可能性がある。フロリダ知事は反ワクチン派であり、ワクチン推進派のバイデン大統領と戦っていた。これはメキシコの3度の大地震と同じパターン。株暴落予測が先月、的中しました。  太陽の黒点の多い時、太陽フレア活動が盛んな時期や満月に戦争や暴動や犯罪が多くなり、景気的には良いという過去の統計から、11年周期の黒点増大パターンで世界の終末の時期がおおよそ近いと分かる説。 

泉パウロ 純福音立川教会 - YouTube