イスラエルの7つの祭り 実はすべて完了済み

 

イスラエルで毎年、祝われている7つの恒例祭は、形を変えて日本の皇室でも毎年行われています。元々、7つの祭りは旧約聖書に記された行事ですが、意味は7つともイエス・キリストの生涯のおもだった出来事を預言しています。

しかし、ユダヤ教徒も皇室も隠された本来の意味を気付かずにお祀りしています。隠された真意を学びましょう。まず50日間に4回ある春の祭り。

 

1.過越祭(すぎこしさい)(ペサハ)3~4月頃


レビ記23:5「第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。」過越祭は、イスラエルがエジプトから奴隷解放される日に、エジプト中の初子は滅ぼされましたが、同様の災害はイスラエル人の家を過越して、無事に祝福のカナンへ旅立てたことを記念しています。ただ小羊の肉を食べ、その血を家の門柱とかもいに塗りつけさえすれば、それが神様との契約のしるしとなり、滅びの災いは過越しました。


これは預言的に、イエス様が私から滅びの災いを過越して天国のカナンに旅立たせるために、十字架で肉体を裂かれて血を流して死なれたことを現わします。

過越祭では、いけにえの小羊を4月10日に用意し、4日間吟味して後、14日の夕暮れ(日没から15日に入る)にほふって食しました。4日間も自宅飼育すれば、子供たちの心は小羊に愛情一杯です。しかし、最終日にほふられます。子供たちの嘆願する声が聞こえそうです。

「お父さん、メリーちゃんを殺さないで。もう大事な家族だから!」

しかし、人間の罪とは無情で恐ろしく、可愛い小羊をほふって血を流さなければ赦されない程、厳しいものです。イエス様もそのようでした。弟子たちと過ごした3年半、イエス様の愛と清さが弟子たちを魅了し、愛情いっぱいになりました。しかし、イエス様は神の小羊、十字架で死ぬ運命で世に来られた救い主です。そんなイエス様について聖書は証言します。

 

Ⅰヨハ1:1-2「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。」

 

イエス様は日曜日にエルサレムに入場されましたが、その日も同じ4月10日。その後4日間パリサイ人や律法学者、サドカイ人らに吟味されましたが罪は認められず、15日の朝に十字架にかけられ、日程が見事に一致します。

 

Ⅰコリ5:7 「新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。」

 

過越祭は、イエス様の十字架の死で完了しました!新約時代の今はイエス様の十字架の血潮を感謝して心の門柱とかもいに塗りつければ、それが神様との契約のしるしとなり、滅びの災いは過越し、天国のカナンに入れます。

考古学者によると古代へブル人の居住区ゴシェンの住居跡の遺跡には共通した不思議な穴が玄関前に空いていました。それはエジプトを信仰で立ち去る古代へブル人の信仰告白です。

「この家は立ち去るからもういらない。」

だから玄関前の危険な場所にあえて穴を掘ったのです。穴は過越の小羊をほふる場所です。

 

イエス様を信じたら、私の中に聖霊様が住まわれて、神様の神殿となります。私の心の入口の門柱である両サイドにはイエス様の右手と左手に打たれた釘から流れ出た血を適用して塗りましょう。上のかもいにも、頭部にいばらの冠を受けたイエス様の血を適用して塗りましょう。小羊をほふった穴の足元にはイエス様の両足に打たれた釘から流れ出た血を適用して塗りましょう。

こうすることで、それが神様との契約のしるしとなり、死の災いは過越し、罪悪のこの世という古いエジプトを出て、天国のカナンに向けた信仰生活の旅が始まります。こう祈りましょう。

「父なる神様、私は心の入口全体にイエス様の血を塗ります。滅びの災いが過越して罪の奴隷からも解放され、祝福の天国に旅立つようお守りください。イエス様の御名(みな)で祈ります。アーメン。」

 

 

 

日本では、過越祭は、カシチー祭や初詣(はつもうで)に形を変えました。

日本全国には様々な規模で30万以上の祭りがありますが、中でも過越祭の真意も知らずに、形を変えて、ほそぼそと行なっているのが、沖縄県の兼城のカシチー祭です。南風原町の伝統文化資料館によると「魔物や妖怪を追い払う行事」として、沖縄県南風原町で、過越祭の年代とほぼ同じ約3500年前からカシチー祭も毎年行なわれています。聖書の示す小羊もヒソプの木もない南風原町で、代わりに桑の葉とサンの束を、バケツに入っている牛の血に浸して自宅に持ち帰り、門柱とかもいに塗って神様に祈ります。角笛代わりにホラ貝も吹くカシチー祭は来日したユダヤ人による過越祭が本来の起源です。しかし、もうこの祭りはしなくていいです。イエス様の十字架の勝利の血潮が魔物や妖怪をすでに追い払って、救いを完了したからです。「イエス様の血潮でお守りください。」と信じて祈れば悪霊どもは過越して逃げて行きます。

また逆に、大胆に大勢で行なわれている過越祭は、元旦の初詣です。正月になると、皇室では1月1日に年始を祝う祭祀、歳旦祭(さいたんさい)が行なわれ、日本国民は全国の身近な神社に初詣に行きます。警察庁の統計発表によると、初詣の人出は2008年に過去最高9818万人を記録、翌年には前年を上回る9939万人を突破しました。彼らが意味を知らずに神社で初詣参拝する対象は、神道の日本神話であり、象徴天皇です。その神社の模型が家庭の神棚です。正月に玄関の両サイドに門松を置き、お餅をついて神棚に鏡餅として供え、しめ縄を新調したり、しめ飾りを付けます。1月7日の朝には野草の入った春の七草粥(ななくさがゆ)を食して15日まで新年を祝います。一体これらの習慣はどこから来たのでしょうか?それが聖書の過越祭です。

 

出エ12:1 「主は、エジプトの国でモーセとアロンに仰せられた。「この月をあなたがたの月の始まりとし、これをあなたがたの年の最初の月とせよ。」

 

出エ12:6-8 「あなたがたはこの月の十四日までそれをよく見守る。そしてイスラエルの民の全集会は集まって、夕暮れにそれをほふり、その血を取り、羊を食べる家々の二本の門柱と、かもいに、それをつける。その夜、その肉を食べる。すなわち、それを火に焼いて、種を入れないパンと苦菜を添えて食べなければならない。」

 

ユダヤの種を入れないナンみたいなパンが日本では鏡餅となり、苦菜は野草の入った春の七草粥となりました。しかし、この真意は「種を入れないパン」は、罪のパン種のないイエス様を預言し、「苦菜」はイエス様の十字架の苦い苦しみを預言し、犠牲にほふられる「雄の小羊」は罪のしみも呪いの傷もない「男性イエス様」の十字架の死を預言します。