弱い者が、強くされ
「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。」(ヘブル人への手紙11:32~34)弱かった者が強くされる。これはキリスト教の一つの原理であるように思う。ここに名前が出てくる面々は、旧約聖書で神に出会って、強く変えられた人たちである。最初に名前のあるギデオンは、自分の国が外国から攻められているときに、隠れていた臆病な人である。しかし、ある日、神様から「勇士よ。主があなたとともにおられる」と声をかけられる。最初は「自分は最も弱い部族の中の、最も幼い者だから」と言い訳をした彼だが、最後には自分の民族を敵から解放するために立ち上がった。彼は勇士へと変えられたのである。それは神が自分と共にいることを確信したからである。イエス・キリストを信じ、神が共におられることを知って強い者となったものは多い。1563年、戦国大名であった松永久秀に仕えた結城忠正という人が、命令を受けてキリシタン弾圧に乗り出した。とある訴訟事件において、彼は京都の町人であったディエゴという人と出会うことになる。ディエゴがキリシタンになったばかりの人だとを知った結城は、「伴天連などは間もなく追放されるぞ」と脅かした。しかし、ディエゴは「神の許しなしには何事も行われない」と言い放ち、堂々とキリスト教の良いところを論じたと言う。結城は驚いた。このように信じて間もない一介の町人が、これほどの確信を持ち、論理的に明答できるほどのすぐれた教えがあるのか、と思った。その後、彼は自ら伝道者を招待して、その教えを聞き、ついにキリシタンになった。伴天連追放令は1587年である。迫害の時代の中に突入しようとするこの時に、結城忠正はイエスキリストを信じ、キリシタン大名となった。それは戦国時代の嵐の中で、取るに足らない町人のうちに秘められた神の力を感じたに違いない。 弱くても用いられる―あなたのキャラクターを生かすために Amazon 日本キリシタン史 (塙選書 (52)) Amazon