『愛に燃やされて生きる』
『愛に燃やされて生きる』という本がある。私が好きな本の一つである。アフリカのモザンビークを中心に働いている宣教師夫妻の話で、女性宣教師であるハイディ・ベイカーが書いている。モザンビークという国は非常貧しい国である。しかし、そこで仕える彼らを通して、見捨てられた子供たちが愛を受け、食料が与えられ、たましいが変えられている。天国が来ている。あるとき彼女がロンドンの道端で説教していた。彼女は二人の若者に会った。一人はジェインという少女。男たちから集団暴行を受け、骨折して1年間入院するほどであった。それで彼女はいつも怒りに満ちて、すべての男性を憎んでいた。もう一人は、ピーターという青年。彼も傷ついた人で、ハイディが行くと呪いの言葉を吐きながら、あっちに行けと言う、そんな人だった。ハイディはこの二人にいつも言い続けた。「私はあなたを愛しているわ。そして、イエス様もあなたを愛しているわよ」そして、食料を届けた。あるとき、ジェインはいつもにまして怒り狂っていた。ハイディを割れた瓶のかけらで脅しながら、彼女を殴り続けていた。しかし、ハイディはそれでも「神はあなたを愛し、大切に思っている」と言い続けた。そこにピーターが居合わせ、警察を呼ぼうと言い出した。しかし、ハイディは断った。ジェインが受けた心の痛みを感じていたからだった。殴られ続け、ハイディが力尽きようとしたその時、ピーターが割り込んで彼女を救った。彼は泣いて言った。「あんたは2年間、イエスが俺を愛していると言い続けてきた。今、彼の愛を見たよ。俺には彼が必要だ。あんたは愛について俺に言い続けてきたけど、今日その愛を見たんだ」いったい何が起こったのだろう。彼は暴行に耐え続けるハイディの姿を通して神の愛を見た。罪人のためにあざけられ、むち打たれ、十字架につけられるイエスの姿を見た。ピーターはその場でひざまずき、イエスを自分の主として告白した。神はしばしばクリスチャンたちを通して、人々に愛を示される。私自身も、その愛を受けた一人だ。神を信じてはみたが、何も変わらず、自分のやりたいことをやっていた日々。ビジネスをやりたいと思って失敗し、文字通り一文無しになったちょうどのそのとき、クリスチャンの姉から手紙が来た。「がんばれ」という短いメッセージとお金が入っていた。もちろん、姉は私の状況など知る由もない。そのとき、私は泣き、すべての人の背後にあって働いておられる神を体験した。私が滅びることのないように、助けられる神を。今日もイエスキリストはその愛を知らせようと、人々の心のドアをたたき続けている。その人が返事をするのを待っている。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3:16)「愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。」(1ヨハネ4:8~9)