信仰を持つ前の自分には、実に多くの野望があった。

それが蜃気楼のように、現れたり、消えたりしていた。大学卒業後の進路を考えたときは、唯一当時読んでいた社会学者の本が面白くて、これなら熱心に打ち込めると思って、研究者の道を目指した。
しかし、大学院一年目から多くの人間関係のつまづき、一年留年した後、中退するという何も残らない結果になった。多くの人々に迷惑をかけた。

その後も、ビジネスを始めようとしたり、ダンスに打ち込んだりして、模索した。しばらくは熱心に情熱的に生きるのだが、どれも自分の人生の核となるほど情熱は続かなかった。

 

その中で、本好きだった私は世界の偉人たち伝記に触れ、偉人たちの多くがクリスチャンであることを知るようになる。アブラハム・リンカーン、マルティン・ルーサーキングjr、マザー・テレサ、ナイチンゲール、数えると枚挙にいとまがない。
しかも、これらの人は多くが自分の帝国を作り上げた人ではなく、他人のために人生をささげた人だった。

 

その後、私は聖書に出会い、神を知ることになった。
「自分の人生が何のためにあるのか知りたかった」からだった。
 

聖書には、神が私を創ったと書いてある。

 

「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ人のへの手紙2:10)


そして、そのためになにがしかの才能がみなに与えられているのである。
 

「神は私の人生の使命を知っている。私のための計画がある」

と私は思い、信じたのである。
 

 

私の知り合いに、Iさんという人がいる。この人は累積で20年間刑務所に入っていた人だ。人殺しと覚せい剤以外はすべてやったと言っていた。しかし、獄中でキリストと出会った。

聖書を読んでいたとき、「サウロ、サウロなぜわたしを迫害するのか?」という言葉にさしかかったとき、心が刺された。「どうしてわたしに罪を犯すのか?」と神が語られたのだった。Iさんはその場で大泣きして、自分の今までの罪を悔い改めた。それから彼は変わった。

 

模範的な受刑者となって、他の受刑者を助ける役割を受け持つようになった。出所してから、受刑者が社会で更生改善できるように助けるNPOなどを始めるようになった。以前は化粧品のセールスの何かの部門で全国3位になったことがあるほど、話すことは得意だった。

 

しかし、今はその才能は受刑者たちの更生改善のために用いられている。出所してきた人たちのために役所とやりとりしたり、改善することが難しい更生環境を知ってもらうために啓蒙活動をしている。以前は犯罪の道具だった才能は、今は人を助ける道具になっている。神に仕え、人に仕えている。

 

神様は、私たち一人一人に使命を持たせ、それをするための才能を与えている。

それが何かを知るためには、まず自分を造った方に聞くほかない。神であるイエスキリストと出会って、すべては始まる。