今から3年前、2011年3月19日(土)、福島原発事故により1号機が爆発してから1週間。
あの時の状況を、タイムスパンに合わせて回想してみると、どれだけ精神的な極限状態に置かれていたのかが、改めてわかるのよ。
避難区域に指定されて、強制退去させられたわけではなくても、長期間のストレス状態に置かれていました。
mamaの異様なストレス、ジェシカも感じていたよ。だから、mamaを怒らせないように、いい仔にしていました。
そうだったね。ジェシカたちにとっては、3年前のこと。でも、未だに避難生活を強いられ、家に帰る目途も立たない方たちの心労や、如何に。。。
だから、あの時の事、書いているんだね。
3月12日以降、事態は悪化の一途をたどってました。15日には大量の放射性物質が内陸までまき散らされて。
のんびりmamaも、ジェシカを安全地帯に連れて行かないと、と深刻に考え始めました。
じゃ、19日に避難したの?
いいえ! まだ、お家にいました。
なんで?
ガソリンないのに、むやみに出かけるわけにはいきません。非常事態なので、JAFに電話したって、ガソリン持って来てはくれません。
ネット使って、情報収集の日々を送っていました。
15日に、川崎まで避難した友人の話では、途中乗り捨てられた車が、ところどころにあって、渋滞に拍車をかけていたとか。ガソリンスタンドも、途中1軒くらいしか開いておらず、長蛇の列。埼玉に入っても、渋滞は緩和されなかったそうです。
原子炉爆発、と言う最悪の事態を想定して、現在あるガソリンで、どこまで風上に逃れられるか、そして、どこでガソリンの補給ができるか、計画する必要がありました。当時新潟では、ガソリンパニックになっていないことを、確認。
ところが、福島では日に日に、ガソリン不足の状態が悪化。それとともに、皆、新潟までガソリン求めて殺到していました。ひどい渋滞も起こり、また県境まで行っても、手に入らない事態も出始めました。次のタンクローリーが来るまで、数日間野宿と言う事態も想定する必要が出てきたのです。高速道路のSAでの車中泊なら、トイレも洗面所も完備されているし、食堂もあるので、何とかなります。一般道の田舎道、ガソリン待ちの車が長蛇の列をなしていたら、何にもないところで車中泊となります。高濃度放射能が飛んでこないという保証もないのです。
とまぁ、手短に言えば、アレコレ考えて、ウジウジしていたわけ。
大地震の後は、年中震度4~5クラスの余震でユラユラ。だから緊急地震速報の警報音も覚えたし。震度の予想もつくようになった。置いてかれないように、ずっとmamaに張り付いていた。
以前記事にも書きましたが (→こちら 「イルミネーションと放射能」2013年12月11日http://ameblo.jp/jessica726/entry-11727561005.html )、お庭のクリスマスイルミネーションは、チャカチャカとやたら華やかで元気良く、きれいでした。
そこで、ジェシカを連れて外に出ました。夜7時ごろ。
そして、知ったのです。
えッ! 誰もいないの?
そう、家々の明かり、ついてなかった!!
真っ暗
もちろん、街灯はついていますよ。でも、家の明かりがない!!
ジェシカ家と、両隣はついていたけど。
ゴーストタウン
不思議な感じ。 新興住宅地なので、近隣の家は、ここ10年以内に建てられた、新しい家が多いのです。
でも、だれもいない。。。。
不思議な感覚にとりつかれ、ジェシカと一緒に街歩き。
たま~~に、ぽつんと電気のついている家を見つけると、ほっとしていました。
ジェシカも、1週間もずっと家に閉じこもっていたので、久々のお散歩でルンルン気分
リードを取って、運動不足を解消。
キャッホ~~
キキ~~~~~ッ!
軽トラック。危うくひかれそうになった!
【ジェシカのペット防災講座 7】
いつ、いかなる所でも、交通事故は起こる!
油断大敵、雨あられ。。。
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