前回の『お詫び』記事…


「本、すでに買ってしまったじゃないの!
どうしてくれんのよ~!!」


…って言う『コメント』が、
実は殺到すると《予測》してました(笑)。


ところが反対に暖かい励ましやら、
優しいお褒めの言葉まで頂いて(´;ω;`)ウッ…


またまた僕の《予測》は、
見事に「良い方」にはずれました(笑)。


でも、
下記は当たってました。

 

※(略)…このブログと《ご縁》を持った方々は、
皆さん誰よりも人一倍、
優しい心を持っておられると思うからです。


優しい心…善意…、
そして、困っている方々に何ができるか…


前に述べたWさんに通信したモーリスのように、
皆さんは《母性そのもの》だからです。。

参照:『支援物資と奇跡』より

 

「お詫び」をしていながら皆さんのコメント見て感動するなんて、
なんて僕は果報者なんでしょう。。


失敗の《裏》には成功がある…、

お詫びの《裏》には感動がある(笑)。


そして、
真実は《裏》でつかむ…


勿論、

まだ本をご紹介したのは失敗した訳では決してなく、

むしろ前向きに検討している段階です。

 

個人的には本の内容及び構成は、

緻密且つダイナミックで、

読まれる方には、

素晴らしい気づきを与えてくれる内容だと思っています。

 

センセーショナル…、

本当にこの本は世界の常識を覆すほどの、

パワーと説得力を持っています。

 

それだけに、

慎重を要している…だけです。

 

 

さて、

この世もあの世も、
全て両極である《裏と表》で成り立ってます。


陰陽によって全ての調和が成り立っている訳です。

 

※(略)…掌を私に向けて掲げている。

 

『本井よ、
こっちが表か、それとも裏か…』

 

実は、
言われたのはたったこの一言だけだった…。

参照:『母性の時代』より

上記の表裏の言葉は、
宝徳さんの故・鷲頭先生が祖霊殿に現れて僕に言った言葉です。


今回は、
皆さんから暖かいコメントを戴いたそのお返しに、
《宝徳秘話》の一つをお話ししましょう(笑)。

 

鷲頭先生と初めてお会いしたのは、
52年前の僕が7歳の時でした。


「奥の宮」のある山の頂上に母と向かう途中に、
いきなり林の中からガサガサッと、
熊のように鷲頭先生は現れました。


※「奥の宮」…年に一度、天空に火の鳥が乱舞する場所。
昨年はなぜかUFOの大群が現れたらしい。。
(過去ブログ参照)


まだその初対面の時には、
まさかこの方が後の宝徳大社大宮司さんになるとは露知らず、
母は驚いて咄嗟に僕をかばいました(笑)。


「奥の宮にお参りですか?」


母『あっ、はい…』


「じゃあ一緒にお参りしましょう」


母『いったい誰だろうこの人…、
きっと地元の農家さんかも。』

 

…その時そう思っていたそうです。


先生は一緒に山を歩きながら
「坊主、いくつになった?」


定坊『・・・』


母『はい、7歳です』


※僕は当時極端に人見知りで、
母がいつも代わりに答えていた。


「そうか…、
これ食べるか?」


差し出したのは、
食べかけの板チョコでした。


僕はありがとうも言わず、
それを母の陰から手を出し受け取りました。


チョコレートは当時貴重品でした。


それできっと僕は嬉しくて、
『この人は悪い人ではない…』と単純に判断したのでしょう(笑)、
握りしめていた母の手を放し、
少しは話ができるようになりました。


鷲頭先生は僕に沢の水を飲むように勧めた後、
こう言いました。


「お母さん、
この子は真ん中がない子だ…(略)」

※参照:『11月2日 神幸祭』

そして、
「この子は人の10倍失敗して、
6倍成功するだろう」
…と。


何となくその予言通りに歩んでます(笑)。


※いや、もっと失敗してるかも。


「奥の宮」に着き、
先生は神殿の方を向きながら、

こんな意味深な事を僕に言いました。


「ほ~今日は珍しい…、
坊主、お前をじっと見てるのが分かるか?」


『えっ、だれが?』


「う~ん、まだ見えぬか…、

そこにお座りになっておられる。」


※注:今も全く見えません(笑)。


母『…あの、何が見えるんですか?』


「日本の神さまだ。」


母『え?…あなた様はいったい…』


「いや、この神社を建てた者だ。」


母『か、神主さん…そうだったんですね…』


僕はつい、
「そこに神様がいる」と聞いて反応しました(笑)。


『おじちゃん、
神さまってどんなかっこうしてんの?』


「ん?…あのな、頭のわきっちょに髪をこう結んでて、
ダボダボの白い服を着てて、帯は…
おっ、また来られた、おっ、またもう一人…。
どうもお前に関心があるみたいだぞ。」


『どんな顔してるの?』


「みんなお前の顔を見ながらニコニコされてるなぁ…、
しかしおかしいな、

普段は祈ってから降りて来られるのだが…」


そう言った後に、
先生の威厳ある静かな祈りが始まりました。


その先生が祈る姿を見た時、
僕は小学生でありながら、
全身に鳥肌が立つほど衝撃が走った事を覚えています。


『わっ、カッコいい…』(笑)


先生の横にいた母と僕も後ろに回り、
一緒に祈らせて頂きました。


そして先生は10分ほど祈り終わると。。


「う~ん…まずいな、
やはり避けられんか…」


母『あの…何か良くないお知らせが?』


「地震だよ、
やはりここ(新潟)に来るしかないのか…」


※その直後に、
1964年6月16日の新潟県下越沖を震源とする「新潟地震」発生!

 

 

さて、
話は元に戻ります。


表と裏…両極…


『失敗は成功のもと』と言われているように、
「失敗」の陰には必ず両極の「成功」が潜んでいます。


僕の人生を振り返ると、
成功体験よりも失敗体験の方がダントツ多かったです。


失敗した後に、
『こんな事しなければ良かった…』と何度後悔したか分かりません。


でも途中で気が付きました。


確かに何もしなければ、
失敗も悲しみも絶望もリスクもありません。


けれども反対に、
成功も喜びも希望も幸せも進化もありません。


何もしなければ、
未来に何一つ変化が起きない訳ですね。


この世に生まれてきた理由…

 

何もしないで生きる事は、

自分が選んだ人生から引き籠る事と同じです。

 

失敗を恐れて何もしないよりは、

行動して失敗した方がマシだということですね。

 

 

僕は過去59年間、
人一倍多くの失敗をしてきました。


でも少なくともその失敗は、
「この方法では成功しない」という事を、
神さまが教えてくれたと思うのです。


発明王であり事業家のエジソンは、
「失敗は成功の《母》」と言いました。


ひょっとしたら失敗とは、
神の《母性》から与えられるのかもしれません。


失敗によって、

大きな気付きやひらめきが生まれる事は往々にしてあります。


その失敗が大きければ大きいほど。


僕は自分で思うに、
《今は比較的》、人から好かれる方だと思います。


でも白状しますが、
昔はそうではありませんでした(笑)。


嫌われる…って程ではありませんが、
決して人から好かれるタイプではなかったようです。


口ベタで人見知りで、
対人恐怖症になった事もあります。

 

不本意ながらも知らずに周りの人を傷つけ、

それで僕もその時々で「どうしてなんだろう」…

と自己嫌悪に陥りながらも反省し、

今の自分を作りました。


※参考:『本井秀定の物語』

今でも鮮明に覚えてますが、
初めて社会人になった頃、
とんでもない失敗を犯してしまいました。


ドクター専門商社に、
新卒で入社した間もない頃の話です。


毎年恒例の、
それぞれの営業担当者が、
お得意様であるドクターの家族を誘い、
富士山近くにある別荘地への一泊旅行に招待した時の事です。


僕は前任の先輩社員の引継ぎだったので、
そんなに親しくはない、ある一組の先生家族4名を誘いました。


無口で物静かな先生のため、
ゴージャスなサロンバス内でも会話はほとんど弾まず、
その先生のそばに座っていても楽しくはありませんでした。


ずっとしらけムードで静かにしている僕を見兼ねたのか、
隣の席に座っていた、

当時テレビに出ている有名なお医者さんから誘われ、
僕の担当する先生家族をそっちのけで、

そちらの家族と打ち解けてしまいました。


仲良くなったその先生を担当している先輩からは、
『本井、お前はこちらの先生からとても気に入られてるぞ!』
…と誉められ、ますます僕は浮かれてしまい、
すっかり自分の担当である先生家族を忘れていました。


帰りのバスも、
親しくなった先生からお酒も勧められ、
ほぼ強引に「本井君、今日は担当と一緒に私の家に泊まりなさい。
子ども達も喜ぶと思うし」。


担当している先輩も上機嫌で、
「本井、お言葉に甘えてそうしよう!」と。


とうとう僕は、
自分の担当の先生家族を放って置いて、
別な先生家族と一緒に途中下車してしまいました。


僕の担当していた先生家族は、
40分先の終点の営業所までです。


さて翌朝会社に出社すると、
いきなり所長に、
ものすごい剣幕で怒鳴られました。

 

なぜ怒られたのか、
それすらも気が付きません。


実は僕が担当していた先生家族は、
終点の営業所の駐車場で降りる予定でしたが、
夜も遅く会社にはもう誰もいなくて出迎える人がいなかったのです。


しかもそこは、

千葉の港近くに営業所がある為、

人けがなく周りが真っ暗闇で、公衆電話もそばにはありません。

 

携帯電話がない時代です。


その先生家族は、
真っ暗闇の道をとぼとぼと、
タクシーのある町まで歩いて行ったとの事。


それを翌日知らされ、
余りにも自分の愚かさに愕然として、
心が苦しくてその場で倒れそうになりました。


「君は営業マン以前の大馬鹿者だ!
そんな人の気持ちが分からない人間に、
大切な我が社のお客様は任せられない!」


誘った先輩社員も厳重に注意を受け、
その後退職しました。


僕はまだ世間も何も知らない新入社員という事もあり、
反省文だけで終わりましたが。


その先生は当然ですが、
所長と一緒に謝罪に行っても、
もう二度と会ってくれませんでした。


せっかくの休日に、
しかもお子様も楽しみにしていたのに。。


今でもそれを思い出すと、
心が苦しくなってトラウマになっています。


僕が常々、
『自分さえ良ければ…が罪と苦しみを作る』、
『気配りと心配りの違い』と偉そうに話しているのは、
実はこういった愚かで恥ずかしい失敗体験もあったからです。

 

無知は罪…もそうですね。。


滅多に今の僕は社員に対して怒る事はしないのですが、
お客様に迷惑掛けたり、ないがしろにした場合は、
その時こそは凄く怒ります。


でもそれは、
その時の愚かで情けない自分を同時に叱っているのですね。


社員がこれから先、

自分と同じような苦しみを持たない為にも。


会員さんに毎月送付している『発展のためのアドバイス』は、
ほとんどが本からの抜粋ではありません。


「発展のためのアドバイス」とは、
僕の失敗体験から学んだ、
ある意味、いろんな方を傷つけてしまい、
苦しませてしまった反省文のようなものです。


※192ページの新刊(~2016.04.15迄)が完成しました。


人は自分が人から傷つけられた事よりも、
人が自分の愚かな行為や言動によって、
相手が傷ついた事を知った時が一番苦しいのかもしれません。


今でもあの時、
僕を真剣に怒鳴ってくれた当時の所長と、
毎年お会いしています。


お会いする度に、
鷲頭先生と似たような事を言われます。


いつも思うけど、
君は人の10倍生きてるね!

 

…10倍失敗もしてるけど(笑)。

 

人生は気付きの連続ですね。

 

気付きは天からの慈悲、

優しさでもあると思えます。

 

『発展の為のアドバイス』に載せている、

嫌なことがあった時にこそ『ありがとう!』…とは、

その優しさの気付きを与えてくれるからですね。

 

 

折しも昨日、

スタッフブログで社員の古川が、

『支援物資と奇跡~その後~』を記事更新しています。

 

支援させて頂いた益城町の被災者からの御礼の声や、

本ブログのコメントで寄せられた有益情報等が転載されております。

 

こちらも是非ご覧になってチェックして下さいね!

 

「スタッフブログ」に読者登録すると、近々良いことが…(笑)

 

情報提供頂いた、hanaさん、tomomoさん、

ありがとうございました。

 

hanaさんのブログ記事も、おもしろいですね!

 

情報提供も、

「今私にできること」の大きなチカラの一つですね!