『SECOND CONTACT 2』で、

モーリスの言葉はこう終わった。

(※まだ通信は途中です)

 

 

…すると、

今度は涙をポロポロ流し始めた。

 

「地球が…人類が…あなたが…悲しい…」

 

『(;''∀'')いったい何が起きるの?…

僕が悲しい?…なぜ?』

 

「ずっと見てた…悲しい…あなた58…可哀想…、

でも助ける!…私たち…絶対!…何があっても!…」

 

 

これは前回の『SECOND CONTACT 2』で、

モーリスが私自身に言った言葉だ。

 

今回は個人的な話ばかりで申し訳ないが、

ここで言ってた「58」の意味について、

気付いたことがあったので話したいと思う。

 

皆さんの多くが予測していたように、

これは私の年齢について、

モーリスが予言したものと思われる。

 

私は1957年生まれ、

現在59歳になったばかり。

 

58歳をようやく過ぎて実は安心している。

 

※ブログの「プロフィール」には54歳となっていますが、

これは54歳の時に初めてブログを立ち上げたので、

そのまま更新を怠っていただけです(笑)。

 

そして、

モーリスからの今回の通信をもらったのは、

2013年10月14日…、

私が56歳の時だった。

 

その3日後の10月17日に、

「宇宙人からのセカンドコンタクト」と題して、

初めて当時のブログで公表した。

 

今回のように余りにも反響が凄かったので、

その余波も考え、

すぐに削除してお蔵入りした。

 

しかし今回は、

たった1日で10万件以上のアクセス…。

 

有名人でもなく広告費も使わずに、

しかも滅多に更新もせず、

名もない普通の会社の社長にとっては、

異常事態とも思える現象である。

 

では、

「なぜ今回再度公開したか」…だが、

理由はその時こう思ったからだ。

 

『もし58歳で死ぬような事があったら、

自動的にこの体験は墓場に持って行くことになる…。

でももし生きていたら、

58歳に何が起きるのかを確認してから、

公開する意味が見出せるのではないか…。』

 

実は、

その予兆かと思えるような事が起きた。

 

通信をもらった丁度1年後、

2014年10月の本社セミナー時での話。

 

本社のあるビル7階から非常階段で、

6階にあるセミナー会場に向かう途中で、

なぜか足を滑らせ階段を踏み外してコケた(笑)。

 

思い切り尻もちをつき、

それを見ていた女子社員が即座に、

「しゃ、社長、大丈夫ですか~?」

 

その声が掛かる前の一瞬の間だから、

わずか0.1秒くらいだろうか、

また凝縮した種のように、

次のビジョンが声と共に聞こえたのである。

 

豪族のような侍が、

はんてん姿で私を睨んでいる。

 

「秀定よ、

なぜそなたがこの世に出でたか今一度考えられよ!

 

『えっ…誰???』

 

すぐに、

『先祖だろうな…、でもなぜ?』…と思った。

 

考えてもまったく意味が分からない。

 

本井家は、

『愛』の兜を付けた直江兼続と共に、

上杉謙信の家老の血を引いており、

6歳違いの兄で17代目、

私は4人兄弟の末っ子で次男である。

https://www.youtube.com/watch?v=d5z6Dz4gTNY

 

数霊講座も始まり先祖供養の大切さも知ったので、

神社やお寺に出掛けた時は、

なるべく時間が許す限り、

意識しながら『先祖供養』の祈願も行うようにしていた。

 

『きっと、

まだ浮かばれない先祖が迷って出て来たのかも?』…と(笑)。

 

 

年が明けて2015年、58歳になり、

『今年、いよいよ僕の最期かもしれない…』

本当にそう思って早速生命保険を掛けた(笑)。

 

幼少時から何度も死ぬ目に遭っているので、

死はいつも身近に感じられた。

 

そして2015年3月22日(日)、

久々に時間が取れたので、

ふと「佐野厄除け大師」に行きたくなった。

http://www.sanoyakuyokedaishi.or.jp/

 

大師に到着し、

他の神社やお寺もそうだったが、

意外と『先祖供養』が一般祈願項目にない事を知った。

 

受付窓口に聞いた。

 

『なぜ先祖供養が申込用紙にないのですか?』

 

「さぁ…、わざわざ祈願するような方が少ないからでは?」

 

現代は《感謝の行為》も需要と供給なのか、

先祖があってこその私たちなのに…。

 

そう言えばWさんも言っていた。

 

「人々が先祖への感謝の念を忘れる事により、

先祖の力が発揮できずに家系は必ず途絶える…」と。

 

水子供養と同じお堂で、

護摩祈祷を受け夕方に帰宅する。

 

すると、

いきなり大阪に住んでいる娘が彼氏を連れて帰って来ると言う。

 

遂にその時が来たか…

 

しみじみと、

28年前に嫁をもらいに、

緊張して家内の実家に行った頃を思い出す。

 

※これが間違いの元だった…ジョークです(笑)。

 

 

『これも先祖供養のお陰かなぁ、

死ぬかもしれない年に娘の結婚か…』

 

すると、人生は陰と陽、

「万事塞翁が馬」の出来事がこの後すぐに起きた。

 

突然、

私の携帯電話が鳴った。

 

ふと嫌な予感がした。

 

91歳になる新潟の実家の母からだった。

 

兄が昨日事故に遭い、

今、集中治療室で手術しているとの事。

 

実家の駐車場で倒れていたのは、

3月21日(土)の午前2時半。

 

救急車に運ばれ、

手術は成功して命は取り留めたものの、

車椅子はおろか、一生全身不随だと言う。

 

実はその後、

脳幹療法の駒川先生と新潟に行ったのは、

兄の施療の為だった。

 

勿論、

宝徳様にも『病気平癒祈願』を掛け、

手術後は生体ミネラルも倍量飲ませる事にした。

 

すると奇跡が起きた。

 

首から下は神経が切れて全く動かないはずなのに、

まず肩が動き始め、

ナースボタンを自分で押す事ができた。

 

次に左足が動き、

医師の手を蹴っ飛ばした。

 

次に右足も動き、

腰も上下に動き、

遂には手の親指も動き始めたのだ。

 

「神経が首で全て分断されているのに有り得ない…」

 

神経が通ってないのに、

自分の意思で動かせるなど、

物質主体の医学では奇跡の何ものでもなかった。

 

『目に見えないチカラか…』

 

会員の医師たちはこう言う。

 

「生体ミネラルの大きな特徴として挙げられるものに、

《神経伝達機能》がある…」と。

 

すなわち、

《神を経て伝わり達する機能》…と読める。

 

病院では有り得ない臨床例として、

病院の親系列でもある国立大学病院に報告する。

 

すると、

大学病院から医師が毎回派遣され、

特別リハビリが開始された。

 

異例中の異例なので、

全てリハビリ代金は無料になった。

 

金額にしたら、

きっととんでもない額になるだろう。

 

その後の親族会議で、

私が本井総本家第18代目の家督を継いだ。

 

そして今月で兄が倒れて丁度1年、

頭は元気だった頃よりも冴え渡り、

見舞に行く度にうるさく文句を言うくらいに回復し(笑)、

いつかひょっとして車椅子で自分の手で食事も…

と期待が膨らむ今日だ。

 

実家でたった一人となった母は、

毎日、仏壇と神棚にお給仕をし、

ただひたすら先祖と神に感謝の言葉を捧げている。

 

 

ここまでお読みになって、

私が何を言いたいかお分かりになるだろうか。。

 

私の命の代わりに、

兄を《身代わり》にせざるを得なかったのかもしれない…。

 

勿論、他の人は、

「そんな事はない、気にし過ぎだ」とは言ってくれているが、

私はそう思っている。

 

それ以外にも、

大変な事実が発覚した。

 

実はなんと!

 

兄が倒れた2日後の3月23日(月)、

兄の会社の取引先と、

高額の《債務保証》をする予定だったのだ!

 

現在、

その取引先の社長は行方不明…。

 

もし兄が前日に倒れなかったら、

今頃は会社も実家も全て無くなり、

莫大な借金を背負っていたかもしれない。

 

当然この債務問題は、

少なくとも次男である私をも巻き込んだだろう。

 

つまりギリギリセーフで、

先祖代々守り続けた実家が助かったという訳である。

 

これらの事実が、

果たして《偶然》と言う言葉で片づけられるだろうか。。

 

 

最悪の状況にならないよう、

私たちは多くの、

『目に見えないチカラ』に守られている。

 

モーリスの預言…58歳…先祖の警告…兄の奇跡…、

今でも常に誰かに見られている視線を感じている。

 

《お陰様で…》の言葉は、

日本民族のDNAに刻まれた《感謝の言葉》だと私は確信している。

 

 

 

※お陰…やっぱり裏か…(笑)