今日内観から戻って参りました。
本来は1週間なのですが、
僕は2回目という事で急遽3日間にして頂きました。
二十数年振りでしたが、
やっぱり内観は地味な作業ですけどスゴイものですね!
内観の原型は、
今から2600年前の釈迦の時代に遡ります。
当時、安易に出家する人たちが多くいたので、
その出家する前の試験のようなものだったのですね。
でも当時の内観は、
獣や毒蛇のうじゃうじゃいる山奥に入り、
7日間の反省後に、
後光の出ていないものは入団を拒否されたという、
凄まじく厳しいものだったようです。
そう言えば、
瞑想をしている仏陀の周りに、
多くの獣や動物たちが囲んでいる絵画もありますね。
生まれてから現在までの過去を振り返り、
自己に棲む内なるマーラー(魔)を克服し、
そして遂に『宇宙即我』を悟られたという。。
これが内観です。
正しい反省が進めば獣に食べられずに済むとは言うけれど、
もし僕が当時生まれていたなら、
間違いなく5分で喰われています。
太っておいしそうですから(笑)。
通常内観は、
部屋の片隅に屏風を直角に立て、
座布団一つのスペースで1日15時間座り続けます。
三度の食事もその中です。
(今回僕は、『命水断食』でしたが)
視界に入るのは目の前の真っ白の屏風だけで、
外界から全く遮断された世界です。
そして2時間おきに面接官が訪れ、
生まれてから今日までの内観の進み具合を聞きに来ます。
自分の人生を振り返る中で、
今まで全く思い出しもしなかった事実が次々と湧いてきます。
特に母との関係を調べて行くと、
強烈な事実が次々と浮かび上がります。
面接官が屏風の前に来て、
このような形で始まります。
「ただ今の時間、
どなたに対していつの自分を調べて頂けましたか?」
『はい、
母に対して、
生まれてから3歳までの自分を調べさせて頂きました』
そしてその母に対して、
『して頂いたこと』
『して返した事』
『ご迷惑をかけた事』
の3つだけを答えます。
普通、3歳までの事は覚えていないと思いますが、
静寂の中でずっとそのことだけを考えて行くと、
おぼろげながら何となく思い出されるのが不思議です。
たとえば、
母におんぶされていた時の背中のぬくもりと安心感、
おっぱいを飲んでいる時の幸福感と満足感、
おしめを替えてくれた時の気持ち良さ、
優しいまなざし…
ただ母からして頂くばかりで、
ほとんどの人は『して返した事』など見当たりません。
そしてそれが終わると次の2時間は、
4歳から小学校に上がる時まで…という具合で、
現在の自分まで進めて行きます。
すると涙が次から次へと溢れ出します。
実は内観とは、
母の愛を通して神の愛を知る作業なのかもしれませんね。
愛の落ち穂拾い…
自分は気付かないうちにいっぱいの愛を注がれて、
今の自分を形成して行ったのだなぁ…
ということを実感します。
どんなに今、
母との確執や憎しみめいたものがあった人でも、
その無償の愛を与え続けてくれた事にふと気付き、
胸の奥が暖かくなり、
とめどなく熱い涙がこぼれて来ます。
ただその愛を知らないだけだったんですね。
そして母が終わると、
父や兄弟、
結婚されている方であれば、
妻や夫や子供に対して内観して行きます。
僕が常々講演会で、
「知らない事は罪」という話をしますが、
ほとんどの苦しみや不幸や体調不良は、
この内観によって真実を知り、
自分の中で解決され消えてしまうから不思議です。
今回の僕の内観は、
別に母との確執があった訳でもなく、
大きな悩みがあった訳でもないのですが、
実はある目的がありました。
その目的とは、
約1年ほど前から、
『何かが僕に通信したがっている』…
という漠然な思いがしていたからです。
5月にエジプトに行き、
ギザのピラミッドを借り切って特別な儀式を行ない、
それによって自分の人生の点が線となって繋がり、
全てにおいて偶然という事は無い事を確信したのはいいのですが、
ではそれを知った上で次に自分は何をしたらよいか…
が見えなかった事もあります。
二十数年前の内観では、
守護霊らしき方の出現がありました。
知らない方もいると思うので、
ちょっとその昔話をしましょう。
内観も進んだ頃の4日目、
不思議な現象が起きました。
自分の肉体の感覚がないのです。
今、自分の手がどういう状況なのか、
意識しないと確認できません。
「呼吸は?・・・」と、目の前に置いた腕時計に意識を向けると、
何と1分間に1呼吸しかしていません。
心臓の音もゆっくり鼓動しているのが分かります。
「こりゃ何かおかしい」と思った僕は、
「ひょっとして守護霊というものがあるとすれば、
今ならそれを呼べるかも・・・」
と直感的に思いました。
すると自然に目の前に合掌の形をした手が上がり、
三角形をした手の隙間に呼吸をしている自分がありました。
「守護霊様、守護霊様・・・
もし、僕に守護霊というものがいるとすれば、どうぞ目の前に・・・」と、
最後まで言わない内に、
いきなり『わっはっはっはっは・・・』という高らかな声が、
胸の奥から聴こえました。
「つ、遂に出た~!」・・・とは思いませんでした(笑)。
とても自然で、
むしろ気持ちはゆったりと安らいでいます。
相手の顔もはっきりと見えます。
髭を生やした真っ白な老人です。
優しそうな顔をしてました。
そしてすかさず僕は
「あなたは私の守護霊ですか?」と尋ねました・・・。
さて、
質問というのは質問者の方で、
「多分、この中から答えを言うんだろうな・・・」
と3択ないしは5択位を用意しているものです。
僕もそうでした。
①そうだ
②いや違う、お前の先祖だ
③ここの土地を守る神だ
④お前と縁のある者だ
⑤悪霊じゃ(笑)」・・・
きっとこの中の一つだろう、と思っていました。
ところが・・・。
『そんなことはどうでも良い!』
…と、その老人は僕に一括しました。
全く予想もしていなかった解答でした。
その答えにうろたえました。
100%答えてくれると確信していたからです。
だから、
これは自分の中で作った妄想の類ではない・・・
とその時思いました。
続けて質問しました。
「内観していて自分の愚かさが良く分かりました。
しかし、
こんな自堕落な僕でも生まれてきた目的や使命などあるのですか?」
この答えも私が予め用意したイメージの答えとは全く違っていました。
『何を恐れておる!』
・・・そう老人は答えました。
「恐れ?」と、私は聞きなおしました。
そうしたら・・・。
『お前が今まで成して来た事、
そしてこれから成そうとする事を、
わしらが知らないとでも思っていたのか!』
・・・と続きました。
なんとも、答えになってません。
しかし、
自分の中で何かがはじけました。。
これが二十数年前の不思議な体験でしたが、
今回は期間が短かったのか、
残念ながら、
どこからも何の通信もありませんでした。
たぶん、
『自分で考えろ!』って言う事かも知れません。
でも何かが微笑んでいるような、
安らぎに満ちた感じがしました。
3日間断食での内観だったのですが、
お腹は全然すきませんでした。
多分、かなりの備蓄(脂肪)をしているせいでしょう(笑)。
さて今回の最終日の三日目の夜、
内観を終えて布団を敷き、
電気を消して『さぁ、寝ようか…』と思った瞬間、
『あれ???』と思う事がありました。
真っ暗な天井を見ていたら、
天井一面に『壁画』が見えるのです。
『天井のシミかな?』と思い、
いったん電気を点けてみましたが、
特別なシミなどどこも見当たりません。
もう一度電気を消し、
天井を見てみました。
明らかに壁画が見えます。
しかも、
銀色のオーブというのでしょうか、
プラーナって言うのでしょうか、
とても小さな砂粒のようなキラキラしたものが無数に点在し、
光っては消え、また現れる…ということを繰り返しています。
その光によって、
背後にある壁画の部分部分が見える…という感じです。
眼をパチパチしても、
視点を変えても、
そのデザインは全く変わりません。
くっきりと図柄の線が見え、
写生できるくらいリアルです。
良く見ると、
全体的にはまるで寄木細工のように、
様々な色の木を組み合わせたような色の絵柄でした。
では、
それがどういった絵柄だったかと言うと、
一面が花と植物が散らばっていて、
横に1匹の龍のような巨大な生き物がデザインされていました。
龍と言えば今まで僕はあまり良いイメージを持っていなかったのですが、
『水の化身』とも言われていますね。
しかも、
その壁画の中央には、
青色に光った水晶でできているような、
とても美しい小さな木が浮かび上がっていました。
そう言えば水晶も、
水の結晶でもありますね。
一体これが何の意味を持つのか、
今の僕にはさっぱり分かりませんが、
『混沌とした世の中で、雷が轟き、
この世も終わりかと思われる荒れ狂う海から龍は飛翔する…』
という伝説は聞いた事があります。
順風満帆な世の中では、
龍は単なる大きなミミズにしか過ぎない…とも。
安定志向ではなく、
果敢に世の中を変えて行け…という事なのかもしれません。
折しも内観を終えて会社に着いた時、、
いきなり、
ミネラルの農業指導者である多武さんが来社しました。
内観から髭ぼうぼうで帰って来てから、
いきなり多武さんが来ていたのでビックリしました。
日本では、
ミネラルと放射能との関係について研究できないので、
英国からの一時帰国で、
その報告がてらでした。
ものすごい朗報を聞きました。
12月からオックスフォード大学で、
本格的な実証に入るそうです。
いずれにしても、
何かが変わる時かも…
いや、
変えなくてはいけない時なのかも知れませんね。。