人はなぜ[欲]というものがあるのだろう―。


仏教では欲の事を[煩悩]と言い、

人間の克服せねばならないことで、
欲は人の苦しみの原因でもあるという。


だから取り去れ…と。


本当にそうなのだろうか?


もしそうならば、

なぜ神は全ての人間に欲を与えたのか?


人間を苦しませたいからか?…



いつもの疑問癖がまた出た。


煩悩には

全部で108あるとされている。


その代表的なものが、

食欲、睡眠欲、性欲である。


しかし、

これらを取り去ったら一体どうなるだろう。


人類が栄えないどころか、

絶滅してしまうだろう。



本当に釈迦がそんなことを言ったのだろうか?


実は、

釈迦は一言もそんなことは言ってない。


[煩悩を取り去れ]とは、

後の弟子たちが教団を守るための
単なる組織上のルールであったことが分かった。


仏道修行の妨げになるから…という、

教団の都合だけである。


自然界にはそんなルールなどない。



昔、ある密教僧に聞いたことがある。



「煩悩を取り去るための修業は何でするのですか?」


『悟るためである』


「では、何のために悟る必要があるのですか?」


『苦しみからの解脱である』


「では、苦しみはどこから来るのですか?」


『煩悩があるからである、

よって煩悩を取り去る必要がある。』


…結局、堂々巡りで終わってしまった。



しかし本当に欲を取り去ったら、

苦しみが消え、みんなの人生が幸せになるのだろうか?


これら疑問を解決するために、

釈迦が体験したことを探ってみた。

(※釈迦=シッダールタ)




釈迦の悟り


シッダールタは、

人間の苦の原因を探るため、
肉体行を初めとするあらゆる苦行を行なった。


しかし悟るどころか、

今まで以上に欲や苦しみが増していく。


その後6年間、

数々な肉体苦行の末、

肉体行自体に疑問を持ち始める。


ある日、

やつれて汚れた身体を川で沐浴していると、
スジャータと言う名の美しい村娘の唄声が聞こえた。


『弦の音は強く締めれば糸が切れ、

弱くても音色が悪い…』


その歌を聞いて、

今まで偏っていた修行の愚かさを悟った。


「今、自分の肉体が悲鳴を上げている。

どんなに肉体をいじめても、そこには何の解決もなく、

苦しみから逃れる方法も真理もない」



スジャータは川に佇んでいる修行僧に気付いた。


それは、

シッダールタがあまりにも崇高で神々しく見えたからだ。


しかも体は痩せこけ衰弱し、骨と皮だけ。


スジャータは畏れ伏しながら、

自分の昼食用に用意していた冷たい乳粥を差し出す。


獣の乳は

修行僧にとって禁断であることは知っていた。


しかし、貧乏な村娘スジャータには

他に差し出すものがなかった。


※有名なコーヒーミルク[スジャータ]はこの物語の由来による。
そしてこの会社は、

福利厚生として[生体ミネラル]を社員に勧めているのも縁を感じざるを得ない。


シッダールタは優しく目でお礼を言うと、

それをおいしそうに飲みほした。


それを見ていた修行仲間は、

「シッダールタは堕落した」と去っていった。


※この絵は、史実に基く実際の『釈迦の容姿』 だ。
チベット、中国に仏教が伝わり、地場宗教と相まって、
現代の大仏のようなメタボイメージに歪曲されたらしい。
絵を見ると、王子の出だけに優美な崇高な姿だ。
歴史は権力者の都合でいつも改ざんされる…
http://www.j-smc.co.jp/img/buddha.gif



シッダールタは一人、

川のほとりにある菩提樹の木に向かう。


偏った肉体行では悟れないことを知り、
ただひたすら自分が辿ってきた過去を振り返る。

(※その後これが『身調べ(内観)』と言う入団条件となった)


自分の中で偏った考え、

両極端の考えがあったことを気付く。


そして[宇宙即我]の境地に達したと言われている…。



私は思う。


欲や煩悩があるから、

人々に苦しみが生じるのではない。


欲は苦しみどころか、

むしろ[喜び]のために神が人類に与えたものである。


ただし両極端に強く偏ると、

確かに苦しみや悩みの原因となる。


[自分さえ良ければ…]になるからだ。


自然界には

『自分さえ良ければ…』など一つもない。


つまり、

自己都合の両極を取り去った中道こそ、

初めて喜びの種となり、
誰もが幸せな人生を送ることができ、

そしてみんなが幸せになると思えるのだ。



例を述べよう。


[食欲]が両極に偏れば、

一方(食べ過ぎ)はメタボになり、

一方(食べることを拒否)は餓死する。


[睡眠欲]が偏れば、

寝過ぎも寝不足も、

どちらも健康を害することは医学的に証明されている。


[性欲]が強くなり過ぎれば、

外に向けられると犯罪になり、
全く無くなっても人類は滅亡する。


かと言って、

私は両極を否定しているわけではない。


必ず世の中には両極が存在しているからこそ、

中道があるのも事実。


地球のNとS、

社会と個人、

あの世(見えない世界)とこの世(見える世界)、

自力と他力、

女性の優しさと男性の強さ…


どちらに偏っても調和が取れなくなり、

破滅する運命にある。


夫婦とはまさに両極における調和なのだ。


よって愛の証であり、

喜びの対象である子どもが誕生する。


また、

自転車に初めからスイスイ乗れる人は、

世の中に一人もいない。


補助輪を付けたり、

親が後ろを支えてくれたり(他力)、
右に転び左に転び(自力)、

両極を体験してこそ、

バランス(調和)が整うようになる。

そこで初めて、

目的地(彼岸)に素早く到達できるようになるのだ。



人生もこれと同じ法則によって成り立つ。


この調和を心掛ければ、

[煩悩すなわち仏]になるのである。


108と言えば煩悩の数である。


なぜか、

全生命が生まれた地球のミネラル元素も

108前後と言われている。


不思議だ…


全生命の元も

108元素のミネラルから構成されているのだ。


そして、

除夜の鐘が108つ鳴らすのは、

108の欲の全てを調和し、
新しい年を迎えるためとされている。


『来年こそは108の欲を調和し、

喜び溢れた年にしよう…』と。


これは、

ミネラルの働きと併せると非常に共通している。



除夜の鐘の真意とは…


人は皆、

108種類の欲を持って生まれて来た。


それは、

人同士の喜びと楽しみと幸せを得るために。


欲とは、
神が人類に与えた慈悲であり、

夢と希望そのものだからだ。


しかし、

欲は両極に偏り過ぎてはいけない。


一方に偏れば強欲となり、

苦しみを生む。


一方に偏れば生きている意味を失い、

これも苦しみを生む。


中ほどが一番調和が取れ、

皆が幸せになれる唯一の方法なのだ。


つまり、

108種類の煩悩とは[108の喜び]となる。


四苦(4×9)=36(調和の霊数)


36×3(発信・受信・儀式)=108


そしてこの地球のミネラル元素も同じ108種類。


この大宇宙、大自然、全生命の全てが

この108種類の中で構成されている。


しかも、

それら一つ一つが主張せず、

偏らず、

調和を図りながら、
チームとなって協力し合っている。


これらの触媒作用が働くことで、

私たちの生命を支えてくれている。


もし不調和に偏った時(病気)、

この108の数の力と団結力が様々な奇跡を生む。


病気という不調和から、

健康という調和の状態へと導いてくれるのだ。


この[108を調和する力]こそが、

唯一、苦しみを消し、喜びに至る道なのだ。


ミネラルは1種類では機能しない。


反対に

1種類だけ摂り続けると毒となる。


つまり一方に偏ることによる煩悩の苦しみと同じだ。


他の多数のミネラルが存在してこそ、

初めて1種類の力が発揮できるのだ。


言い換えれば、

108のミネラルには[自分さえ良ければ]がない。


その想いは、

即破滅と苦しみを意味している自然界の法則だからだ。


これは人にとっても同じ法則が適用される。


煩悩が強くなれば、

必ず[自分さえ良ければ]の想いが働く。


よって強欲の連鎖が始まり、

それが最終的に自分に返ってくるからだ。


これこそ苦しみを生む最大の原因となる。



実は私が[相互扶助システム]を考えたのは、

『ミネラル相関図』 を知ったからだ。
http://www.j-smc.co.jp/img/mineral_02.jpg


ミネラルは1つでは機能しない…


多くの微量元素と調和を図ってこそ、

初めてとんでもない力をあらわす。


こんなに極微の世界でも

調和を図りながら発展しているのに、
人間社会のみが『我欲』の塊だけで争っていることを知った。


人間社会の目指す理想とは、
相互扶助の理念なくしては為し得ない…。


人間だけが

自然界のシステムから完全に乖離している。


大自然の神秘から学ぶことは多い。


このミネラルの微量元素群は人間と同じで、
顔も大きさも、

体重も、

個性も、

考え方も、

能力も、

れぞれに異なっている。


しかし一つでは結局、何もできない。


それぞれの個性が

それぞれ能力を合わせながら働き、
チームとなって協力し合い、

助け合い、

励まし合いながら発展して行く姿こそ、
まさに互いに活かし合う

「相互扶助システム」の真髄ではないのか。



究極の相互扶助システム、

それが目に見えない微量元素のナノの世界にある。


生体ミネラルの事を追求すればするほど、

その素晴らしさに敬服せざるを得ない。


完全なる[真善美]がそこにある。


これこそ釈迦の言う[中道]なのかも知れない。


全ての喜び、

幸せのヒントが、ここに隠されていると思う。


私も一つ一つの鐘の音を聞きながら

この一年を振り返り、
もし偏りがあれば修正し、
来年もこの108の喜びが、

調和によって皆さんに得られるように、
新たな心で新しい年を迎えたい。




今年は大変お世話になりました。

来年も宜しくお願い申し上げます。


JES代表:本井秀定